今、コミットしている現場から  梓澤和幸


NHK受信料裁判──それは憲法訴訟である

法学セミナー 2008年3月号

梓澤和幸  視聴者側弁護団 共同代表

はじめに
  2004年7月に発覚した番組制作費流用事件に端を発した一連の職員による不正経理、公費横領事件などの不祥事はNHKに対する不信を増大させた。
  さらに、職員の内部告発や女性国際戦犯法廷番組への政治介入による番組内容の改変の指摘 (朝日新聞 2005年1月12日朝刊ほか) は、 公共放送としてのあり方そのものへの疑問を抱かせるに至り、2004年から2005年にかけて、受信料不払い者数は一挙に増大し、約112万件に達した。 (2006年10月6日付読売新聞朝刊) 2005年9月には、237億円の減収が確認され、年間では500億円の減収の予測となった。

  NHKは 「新生プラン」 と題する信頼回復策なるものを打ち出しだが、 政治介入の事実は否定し続けるなど (この点、NHKは介入に屈したとする国際法廷主催団体との訴訟で、2007年1月29日東京高裁判決において敗訴し、 上告審で審理中)、反省の方向は打ち出さないまま、受信料請求の民事督促手続申立に踏み切った。 橋本会長の発言がある。「『大変迷った。――普通の会社なら倒産する事態だった』 などと振り返り、 民事手続が世論の批判の中での苦渋の決断だったことを明らかにした」 (2008年1月11日付東京新聞朝刊)。

  民事督促手続 (支払い命令の申立) につき、3名の視聴者が異議申し立てをしたことから手続きは東京地裁にうつった。 被告となった視聴者から11名の弁護士が選任され私はその一人である。訴訟の論点は多岐にわたるが主として憲法上の論点にふれたい。

<憲法上の論点は発見されるもの>
  これから訴訟の憲法問題にふれるが、読者に留意していただきたいことがある。
  憲法判例百選 (ジュリスト特集) など憲法判例に関する文献をみると、「被疑者の写真撮影と肖像権」、「取材源の秘匿と表現の自由」、 「集会の自由と市民会館の使用不許可」 などというテーマが憲法上の論点として示され、事案の概要、判旨、解説とすすんでいく。 論点は整理された所与のものとされている。しかし、なまの紛争はもっと混沌としている。 公権力や、これと同等の力を持った社会的勢力と徒手空拳の市民の間の紛争の中にわけいり、いかなる紛争の実態と憲法問題があるのかを発見し、 理論構成すること、それは実務法律家にとって、もっとも大切な知的創造の作業だということである。

<どんな発見があったか>
  NHKの請求は、被告視聴者らは放送受信契約に基づき受信料を支払うべきところ、それぞれ4万円ないし6万円の不払いをしているから支払えというものである。
  視聴者側がNHKにおける不祥事の累積や、政治介入の容認という受信契約上の反対債務の不履行を不払いの正当な抗弁として主張すると、NHKは次のように答えた。

  放送法には、(ラジオ、テレビなど) 放送受信機を備えるものはNHKと受信契約を結ばなければならない、との規定がある。 (法32条) 放送法は国と放送事業者との関係を規律する公法であって、この条文に基づいて結ばれる契約は私法上の契約であっても、 NHKは視聴者に対しては債務を負わない、というのである。公法上豊かで良い放送を行う義務を負っているだけだ、というのである。 そういう論理を援用している判決もある (たとえば東京高裁平成11年9月29日判決)、とNHKはいう。

  しかしこの主張には無理がある。公法上の義務を果たしていてもそれは公法上の効果を生むだけである。放送免許を更新できるとか、 行政指導を受けないですむとかといったような。私法上の問題としては、放送事業の顧客である視聴者に受信契約上何の債務も負わないということは、 契約当事者の信義則からいって考えられない。
  NHKがそれでも “放送法は公法であるぞ”、“視聴者への債務は一切負わない” を水戸黄門の印籠のように言うなら、放送法はいったいどのようにして誕生し、 その基本精神はいかなるものかを考究しなければならないだろう。

<放送法の誕生と基本精神>
  明治憲法下では、電波は政府管掌のもの (公物) とされ、ラジオ聴取者は地方逓信局長あてに願いを出して承認をうけ、逓信局との聴取契約を結ばなければならず、 この手続きを経ないラジオ聴取は無線電信法で処罰を受けた (放送50年史 日本放送協会)。
  放送は1925年に開始されたが発足当初から政府の統制は著しく、外交、軍事機密、政治上の講演または論議は放送禁止事項とされ (逓信省電務局長通達)、 番組内容または梗概の事前検閲制もあった (無線電信法)。のちに放送番組の企画編成は内閣情報局の指導の下に置かれ、放送は政府の日常的な管理下におかれた。 この体制のもとで放送も新聞もともにメデイアが、政府、軍部の批判をできなかったばかりか、侵略をあおった痕跡は消せない。

  戦後、メデイア内部の労働運動による戦争責任追及と民主化運動、米占領軍による民主化、日本国憲法の施行などの一連の戦後改革の波はNHKにもおよび、 会長人事、番組内容の変革なども行われたが、法的な変革としては憲法施行後にあたる1950年の電波三法 (放送法、電波法、電波管理委員会設置法) の成立と、 無線電信法の廃止がもっとも大きな出来事であった。
  電波管理委員会法は政府の人事、免許への介入を防止する構想をうたい、放送法は1条で放送の最大限普及、放送による表現の自由の確保、 放送の民主主義への貢献をうたった。戦前の放送の歴史をみるとき、これは日本国憲法の放送分野への具体化とも言うべき立法だったといえる。

<放送はパブリックフォーラムであるという法思想>
  明治憲法下で電波は政府管掌のものとされた。承認なきラジオの聴取は処罰の対象となった。
  それではいま、電波は誰のものなのか。
  それは空や海といった環境が誰のものかという問いに似ている。それは市民社会を成立させるために必要な公共の財産である。 放送は人体の血管のようなものだ。そのよりよき運用により、情報と意見の自由な流通が確保されてはじめて、民主主義社会が成立するとみるのである。
  受信料制度は新憲法の下、主権者である市民が、民主主義の道具である放送に 「参加しつつ支える」 というダイナミックな構想のもとで放送法に組み込まれたのである。
  放送法1条の目的や32条の受信契約の強制規定はそうした考えに基づく。国会答弁などでも受信料は強制して取り立てるべきものではなく、 視聴者の自発的意思で収めるべきものとの見解が開陳されてきた歴史がある。

  視聴者参加による公共放送の構想――私たちはこれを 「放送はパブリックフォーラムである」 と言い表して訴訟で主張している。

  学説上も電波――放送もパブリックフォーラムであるとの見解が有力に存在している。電波を単純な公物 (政府管掌) とみるべきでなく、 表現の自由を保障することこそが重要とする行政法研究者の見解があり (塩野宏 行政法L 320ページ)、 奥平康弘教授は早くから、放送は伝播力からみるにパブリックフォーラムとしての使命を新聞以上に強く持っていると主張している (民放連研究所編  放送の自由のために 日本評論社)。

<受信料の民事請求による強制徴収は憲法違反である>
  NHKは放送法が公法であることを強調して、受信契約について、視聴者に対しては一切債務を負わない片務契約とし、受信料請求の請求原因として援用している。 しかしこれは、放送法が無線電信法に変わって登場し、放送を民主主義と表現の自由に貢献すべきものとして規定した構想に真っ向から挑戦するものである。 この請求は、憲法21条と国民主権原理に違反することは明らかである。
  東京地裁における論戦はいまだ続行中である。裁判所がこの議論の行方をいかにさばくか、その訴訟指揮と結論への期待は小さくない。