今、コミットしている現場から  梓澤和幸


NPJ 福島へ ──その4──

小名浜漁港にて

  小名浜はよく知られた漁港である。このほかにもいわきから北茨城にかけては大小いくつもの漁港があった。
  漁村、漁港その向背地には魚市場があり、魚を加工する工場、仲卸業、 魚の小売店そしてそれぞれの場所で働く人たちの住む家があり商店があるといったように、漁業はこの一帯の人々が生きていく中心に座っている。 ある峠を越えると次の海岸の集落、それを超えると漁港、それをまた超えると漁港というようにこの海岸一帯の光景は連綿と続く人々の日々を語っていた。

  南から北を遠く見はるかす高台に来ると、薄曇りのボーっと霞んだ向こうに半島が突き出し、穏やかな海が浜にうち寄せていた。
  ふと気がつくとそこここに大小の漁船が、あるものはそのままの姿で、あるものは腹をひっくり返し道の両側に打ち上げられたままになっていた。 ある漁港で、2000トンくらいはあると思われる中型の漁船が海の中に斜めに突き刺さり、一方は岸壁に打ち上げられていた。 元に戻すための作業がクレーンを使って行われていた。10人ほどの人たちが頭にヘルメットを被り、 作業服でその斜めのかなり急な傾斜に全くへっぴり腰でもなく普通の姿勢で立ってクレーンを見上げていた。 きっとクレーンの一動作が終わるとまたクレーンのフックをどこか船に引っかけてまた船の移動をするのだろう。


  近くの岸壁のところをみると2隻3隻と1人か2人乗りの小さな漁船がつながれていた。漁師の人たちが津波の波を突っ切って助かった漁船だ。 海が汚されているせいなのだろう、漁に出ている様子はうかがえなかった。

  もう一度、漁港とその向こうに岬の先までつながっていく少し赤みがかったわん曲の浜を見た。 そうかここは自然の風景の美に沢山の人々が引き寄せられて来た地だったのだ、ということが分かった。 だが、今はどんな美しい風景にも津波の無惨な破壊の跡を語るがれきと原発が蹂躙し尽くした海がついてまわる。

  漁船が漁に出ることができず、魚が揚がらない以上、この土地のあらゆる人々の生活がたつことはない。 このがれきが全部キレイに片づけられたとしてもその先が見えない。これは目に見えるものすべてを破壊し尽くした光景である。つまりジェノサイドである。
  福島第一原発は半径何十キロにもわたって津波とともに命を奪い尽くしている。
以上