言論統制    梓澤和幸


毎日新聞時評(2002年7月3日)


  ワールドサッカーは終わった。
  準決勝まですすんだ韓国では最大時に首都で80万人、全国で650万人の人々が街頭に出た。
  準決勝で韓国がドイツに敗れた瞬間の一瞬の静寂と直後の歓声、三位決定戦後観客席にひろがる相手国トルコの国旗、腕をくみあわせて観客にこたえる両国の選手の像が胸に残る。(6月26日、30日各紙)
  15年前の同じ月、朴鐘哲 (パクジョンチョル) という学生の拷問死を究明する運動が盛り上がった。それはサッカー応援の群集と同じ規模で街頭を埋め、ノテウ大統領の民主化宣言を引き出した。韓国は長い軍事政権のくびきから解放された。6月大抗争と呼ばれる。
  赤いティーシャツをまとうサポーターの熱狂は、15年前の出来事を思い起こさせる。毎日を含むどのメデイアもこの連想にふれていないことに不足を感じた。観衆の熱気を国民性と片付けるのでは事実に肉迫しているといえない。韓国併合を含む歴史の中で、この出来事を位置付ける報道と論評こそ日韓共催を意義あらしめよう。
  米軍占領中に与えた損害の補償費を日本が400万ドル肩代わりするとの沖縄返還に伴う日米密約を裏付ける米公文書発見の記事は毎日のスクープだった。(6月28日本紙朝刊) 71年公電を入手して報道した毎日新聞記者が72年4月逮捕、後に有罪となっているだけに、注目される記事だった。
  防衛庁リスト問題に比較して反響が弱い。政府は密約を否定したままだ。本土並みにいったん核を沖縄の外に撤去するが有事のときには核もちこみを容認するという別な密約があった。その暴露をおそれて日米で口裏会わせをするために送られた公文書という点がポイントだ。(6月28日付け3頁) この点、より詳しく究明すれば有事法制の審議とも関連してより焦点があたるだろう。
  沖縄戦慰霊の日の首相参列の記事 (6月24日朝刊各紙) は扱いが分かれた。読売には記事がない。有事法制審議における首相の言葉とは逆に 「備えあって憂いを招いた」 のが沖縄戦だ。本土決戦に備えた時間かせぎのための玉砕作戦と大量自決や日本軍による住民虐殺が、将兵に倍する十数万人の住民の死を招いた。
  親族二名を沖縄戦でなくした村議会議員宮城盛光さんが慰霊祭会場で有事立法をすすめる首相に抗議した。その姿を毎日だけが写真と実名いりで伝えた。(6月24日) 憤りの動機となっている沖縄戦の体験を具体的に伝える記事が欲しい。それは有事法制を考える生きた素材となる。
  住民基本台帳ネットワーク (住基ネット) の8月全国化に不安がひろがっている。
  本紙でも本人の行動記録や病歴が逐一記録されるとする岡村久道近畿大講師の解説 (6月25日) やこのまま施行すれば現場は混乱するとの国分寺市長の発言をつたえる記事 (7月2日本紙) がある。しかし危険性がわかりにくい。通過する車両のナンバーと運転手、助手席の肖像を写真におさめている警察のNシステムや新宿歌舞伎町の監視カメラなど治安を名目にした措置の実態を明らかにし、一億総監視につながる住基ネットの危険性をわかりやすく解明してほしい。