裁判員制度  梓澤和幸

裁判員制度と公開

山梨学院ロー・ジャーナル 第5号 掲載

  掲載にあたって
  裁判員制度についての報道が活発である。 市民参加の要素が強調されているが職業裁判官の合議体(3人)と市民裁判員の関係がどうなっているのか、立ち入った報道と解説は皆無に等しい。 職業裁判官3人だけが行う公判前整理手続につい手の報道は皆無に等しい。この言葉を知らない人がほとんどだろう。
  もし幸いご存知だとしてもこの言葉を使うことに気恥ずかしさのようなためらいを覚えるのではないか。専門家が独占している言葉だからである。 筆者はそこに危惧を抱いた。 3人の職業裁判官は何をしているのか。そこに国民の監視の目を行き届かせるべきだ。 そんな問題意識で書いた論文である。
  『裁判員制度と知る権利』(現代書館刊 田島泰彦教授と共編)に継続する研究である。 ご高覧いただければ光栄である。



   

  裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(以下裁判員法という)は2009年5月21日施行された。施行後1年が経過した。
  2010年3月末日までの統計では1662人が裁判員法適用事件で起訴された。うち444人に判決が言い渡され、すべて有罪判決であった。 実刑判決は364人、執行猶予は80人であった (最高裁発表による──毎日新聞電子版2010年5月21日)。

  本稿は裁判員制度の運営につき、公判前整理手続の公開、または、 その情報の開示並びに裁判員が負う守秘義務規定の改廃と運用上の守秘義務緩和を提言し、その必要性を論証するために書かれる。 大きな前提として、裁判員制度が職業裁判官三名の合議体を中核とした素人裁判員の参加制度であるという認識に立つ。 この認識を採用する理由について第一章に述べ、次に公判前整理手続の非公開の運用趣旨の把握と批判、 さらに裁判員の守秘義務規定の立法趣旨とその運用並びに批判、そして提言へと稿を進める。

  第一 裁判員制度は陪審制ではなく、職業裁判官合議体を
中核とした素人裁判官の参加制度である。

  <はじめに>
  裁判員制度は妥協の産物である。陪審制度でもなく、任期制の参審制度でもない。日本特有の制度である(この点については 「裁判員法と守秘義務」 真田範行 『裁判員制度と知る権利』 167頁参照)。
  裁判員制度を裁判への国民参加制度の一歩として積極的な評価を与え、 その点に光をあてた議論や報道をすることが法曹界でもメディアでもメインストリーム(通説)となっている。
  しかし、妥協は妥協として、制度にひそむ矛盾は矛盾としてそのまま把握する方が現実にリアルに迫ることができるのではないか。 その意味で現場において審理の枠組みを設定し、訴訟指揮、評議指揮を行う職業裁判官が打ち出している制度趣旨の理解(公権的解釈)を把握し、 それが表現する手続設計から目を離すべきではない。
  それは矛盾をはらんだ制度のもつ一つの側面であるが、手続の主宰者の認識であるから現実への影響力が強い。 それだけに現実の弁護活動や制度改善の活動が回避できない 「現実」 である。
  本稿はその現実がもつ強大な公権力行使濫用の危険を防止することを目標とする。

  1、裁判員制度は職業裁判官の専権とされてきた刑事裁判に国民参加を果たした画期的な制度という見方が多い。 そこから裁判員に中心をあてた制度理解が引き出されている。
  この背景には裁判員制度が擬似陪審、あるいは、陪審への一歩という期待があるように思われる。 陪審または擬似陪審という理解に立たなくても国民参加の要素を現実より過大に評価する傾向があるように思われる。 筆者は裁判員制度施行前に、刑訴法研究者、メディア法、友人の弁護士とともに10ヶ月ほど継続的な研究会をもった (その成果は 『裁判員制度を知る権利』 梓澤和幸、田島泰彦編 現代書館 にまとめた)。その際、裁判員制度は陪審か参審かという議論があったが、 その論点にあまり関心がわかなかった。それよりも制度が従前の刑事裁判の弊を克服するものか否か、という点が重要と考えたからである。
  しかし、公判前整理手続非公開と守秘義務の運用の問題を一体として考察する機会をもってみると、九名の評議体(職業裁判官3名、 裁判員6名)の中における職業裁判官3名の合議体と裁判員6名の関係(ヽヽ)に重要な問題があるように思われた。
  そこで、陪審か、参審か、そのどちらでもない日本特有の制度か、という評議体の性格づけについて認識を確認しておきたい。 それが二つの公開、守秘問題の解明に役立つと考えるからである。

  2、裁判員制度は陪審ではない
  司法改革審議会が司法への国民参加の問題を取り上げたのは、2000年春のことであった。この頃、日弁連は陪審制度の実現に向けての提案を発表し、 日弁連の意見を背景として出席していた中坊公平委員は陪審制の採用を強く主張した。しかし、その意見は審議会の採用するところとならなかった。
  裁判員制度が陪審制でないことについては、裁判官として刑事手続検討会に参加していた池田修氏(同氏著 『解説裁判員法』 弘文堂刊 2007年 1頁) ならびに、弁護士として参加していた四宮啓氏(現国学院大学法科大学院教授)の評価(伊佐千尋著 『裁判員制度は刑事裁判を変えるか』 現代人文社  2006年所収の対談中の発言)でも異なるところはない。
  陪審でないといっているところの含意が大切である。
  裁判員制度は第一に、従前の刑事裁判のあり方に否定的な評価を加えたものではない。
  それは第二に、素人裁判官を事実認定主体の中核にすえた制度ではない、ということである。

  3、どのような裁判体として把握することが実態にかなうか
  裁判官による文献にあたり、裁判体がどのように構想されているかを考えてみよう。
  池田修判事は次のように述べている。(文節の番号は筆者による)
  「裁判員制度は @ 国民に加わってもらうことによって A 国民の司法に対する理解を増進し、 長期的にみて裁判の正統性に対する国民の信頼を高めることを目的とするものであり  B 現在の刑事裁判が基本的にきちんと機能しているという評価を前提として C 新しい時代にふさわしく、 国民にとってより身近な司法を実現するための手段として導入されたものである。」(前掲 『解説裁判員法』 2頁)
  この文章では、A の正統性付与 B の従前の刑事裁判の全面的肯定評価に着目しておきたい。

  次の文献も参考になる。
  「裁判員裁判のあり方を規定する基本的な考慮要素はつぎのようなものである。
  @ 裁判員として参加する国民が審理の内容を理解し、意見を述べることができること A 合理的期間内に審理を終え、参加する国民の生活、経済面、 精神面での負担をできるだけ少ないものにすること B 刑事裁判の目的である真相の解明、被告人の権利保護の要請を満たすものであることである。」 (最高裁判所事務総局刑事局 「模擬裁判の成果と課題」 判例タイムズNO.1287 2009年3月15日号 8頁)
  これをキーワード風にまとめると @ わかりやすさ A 迅速 B 実体的真実と被告人の権利保護ということになるであろう。

  この二つの公権解釈的文献から浮かび上がるのは、次の二点である。
  1、従前の刑事裁判には問題がないという現状認識である。
  2、裁判への国民参加の目的は裁判への正統性付与と国民の理解と信頼の増進である。

  この制度趣旨は裁判員法に明示されている。
  「国民の中から選任された裁判員が……手続に関与することが、司法に対する国民の理解の増進と信頼の向上に資することにかんがみ…… 必要な事項を定める」(同法一条)

  裁判員制度成立に至る経緯を検討した文献(『裁判員制度の立法学』 柳瀬昇)や司法改革審議会刑事手続検討会に委員として参加した四宮啓弁護士の述懐などによると、 この制度が現状の裁判への評価についての一致を求めず棚上げしたものであること、 法曹三者の要求や政党間の交渉の妥協の産物であることは否定できない。 しかし妥協の現実(妥協を決定した力関係の現実)は必ずしも法律の条文や上記裁判官たちの文献に正確に反映されているわけではない。
  事実認定について、捜査官よりになりがちな裁判官の考え方に、国民の常識を反映させる制度という陪審または擬似陪審的な理解や、 国民参加→従前の裁判の改善などという漠然とした認識は、(実践的改革目標として抱くことは正しいとしても、)法規範のリアルな認識として当を得ていない、 ということをあえて指摘しておきたい。
  もっと端的にいうと、刑事裁判への絶望にこたえる制度として裁判員制度への過度の期待を持つべきではないということである。 法規範の現実をあくまでリアルにみすえた弁護活動の構想、制度改善の構想、改廃の検討を考えるべきだと思う。

  4、裁判体のリアルな把握
  裁判体は9人で構成されるが、この9人は等質の9人ではない。3人の職業裁判官の合議体と6名の素人裁判官の構成である。
  3人の職業裁判官は、日々、自分の所属する裁判部に勤め、裁判長は普通、司法行政上、右陪審、左陪審の裁判官を監督する立場にある。 裁判官室では裁判長を部長と呼んでいる。

  裁判員対象事件がある部に配属されると、ほぼ毎日一緒に仕事をしている裁判長、右陪席、左陪席が受訴裁判所となる。 この受訴裁判所が公判前整理手続を終了し、第一回公判期日が定まったときに、受訴裁判所は補充裁判員の必要性の有無を判断した上、 裁判員の選任手続きを開始する。(裁判員法26条1項)

  <裁判員選任は公判前整理手続終了後に始められる>
  裁判員選任開始が公判前整理手続終了後であることに注目を喚起したい。その意とするところは次の2点である。
  第一に職業裁判官3名は裁判員の選任手続さえ開始されていないときに一定の期間当該事件の公判前整理手続に従事する。 否認事件では、3ヶ月からときに1年を超える期間になるであろう。この間、当事者間では証拠開示、証拠の採否、鑑定の採否を巡って厳しい攻防が行われ、 そのことにつき職業裁判官が進行の差配を行い、究極的には、証拠決定、鑑定採否決定、証拠開示に関する裁定が行われる。 この間、裁判員は誰一人選任されていない。誰が当該事件に関与するかは、誰にも分からない。このような状況の中で公判前整理手続は、進行し、終了する。 この事実ほど、職業裁判官と裁判員の存在上の較差、権限較差、情報較差を示す事実もないであろう。 9名の評議体構成員はかかる較差のもとに置かれていることを制度設計として、再度確認すべきである。

  第二に当該事件の裁判員の存在していない状態であるから、言われているところの公判前整理手続公開の弊害は少ない。 公開消極論として、公開の結果もたらされる報道、被告人バッシングの弊害が語られる(後掲 淵野助教授の意見など)。 しかし、公判前整理手続進行中は当該事件の裁判員が存在しないことに鑑みれば、公開→報道→裁判員への否定的影響は、 ほとんど遮断されているとみてよいと考える。

  受訴裁判所が公判前整理手続を主宰する主体とするか否か、裁判員を選任する手続の主体とするか否かについては複数の選択肢があったが、 法は受訴裁判所をしてこれを行わせることとした。
  あらかじめ争点を把握した職業裁判官の合議体が評議体を構成する裁判員を選任する権限をもつ。 (裁判員法37条)争点との関連で恣意がはいる危険性無きにしもあらずである(たとえば公判前手続き終了の時点で、 死刑が量刑上問題となることが予測される事件では、死刑廃止論者の排除の可能性もあるなどの事例を想起せよ)。
  そして受訴裁判所は公判前整理手続きで証拠決定を中心とする審理計画を決定する権限をもつのであり、 (刑事訴訟法316条の5)裁判員は受訴裁判所のこうした手続きを経た上で、事案の審理の最終段階に関与するという設計となっている点を見ておく必要がある。

  以上の検討から裁判員裁判手続きは職業裁判官3名の合議体が中核となり、裁判員6名はこれに参与するという組織設計になっているということが導かれる。
  その意味で一般に用いられる裁判員裁判という呼称はかならずしも実態を正確に反映していないのではないか。 韓国では 「国民参与裁判」 という呼称が用いられていることが参照されてよい。

  第二 公判前整理手続きの公開について

  1、公判前整理手続き非公開の現状とその説明
  前記のとおり公式統計で1276件、本稿執筆時点で1400件は超えると思われる件数が起訴されているが、 裁判員手続に必要的に随伴する公判前整理手続は1件も公開されていない。公開の有無についての統計は発表されていないが、 公開について報道された事例がないことは確かである。

  2、公判前整理手続の公開と情報開示について
  (1) 公判前整理手続は裁判員法49条によって、裁判員法廷には必要的なものとされた。 その趣旨は非職業裁判官である裁判員のかかわる裁判員法廷を長期に開くことはできない (裁判員裁判の実施状況について──最高裁公式ホーム頁掲載の情報によると裁判員法廷の平均開廷回数は3.3回)ことから、争点と証拠を整理し、 絞り込むためとされている。
  実は公判前整理手続は公開とも非公開とも、条文上の規定はない。
  なぜ、公開の規定がないのか。この点につき次の解釈がある。
  「公判前整理手続の性質は公判準備であり、公開の法廷で行うことを要しない。
  非公開の法廷はもとより、裁判官室や準備室など法廷以外の場所で行うこともできる。刑罰権の存否範囲を審理する公判手続きではなく、 憲法82条1項の 「対審」 には当たらないから非公開とすることは憲法に抵触しない。」(松本時夫ほか編 『条解刑事訴訟法』 4版721頁)

  (2) 公判前整理手続の公開についての本稿の立場
  公判前整理手続は憲法上公開すべき手続きであるとの立場に立つ。
  それは公判前整理手続は対審の実質を備えていると考えるからである。
  その点につき以下述べる。
  憲法82条1項の対審とは何か。
  「対審とは、裁判過程の中核にあたるもので裁判官の前での訴訟当事者の直接、口頭の弁論をさす。刑事訴訟においてはこれを公判手続と呼び、 民事訴訟においては口頭弁論と呼ぶ(野中ほか 『憲法K』 第4版254頁)」。
  公判前整理手続は公判準備であって公判でないから公開を要しないというのが前記条解刑事訴訟法の解釈である。 形式的に公判準備という性格づけをして結論を出しているが、問題の実質が重要であるとするのが本稿の立場である。
  なぜ裁判(ここでは刑事裁判)の公開が要求されるのか。
  それは被告人の生命、人身の自由、財産という人権を争いがたく権力的に決定する手続きであるから、 それを行う裁判官の権力行使を市民社会の監視のもとにおくべきだという権力懐疑の思想に由来する。

  つぎの指摘は参考になろう。
  「理想的な裁判官がほとんど完璧に審理をすすめ、かつそれをすべての人が信頼しているのであれば、裁判を公開することにはほとんど意味がない。 公開原則を定める憲法は、そこまでは裁判官を信頼し得ないとの立場に立っているはずである。また裁判は公平に行われるのみならず、 公平であることが誰にもわかる形で行われる必要がある。」(長谷部恭男 『憲法』 第4版 新世社 2008年308頁)。
  田宮教授は次のように述べている。
  「裁判には被告人の命運がかかっているばかりか社会公共の利害も関係するので、「闇から闇へ」 式の前近代的な秘密裁判をきらい、 その公平、公正の主張の保障を国民の監視にゆだねた。そこで公開主義は憲法の宣言する原則である──憲法82条(田宮裕 『刑事訴訟法』 新版  有斐閣 2002年 234頁)」。

  公判前整理手続の位置づけとの関係で次の指摘も参考になる。
  「公判中心主義の原則は、(刑事裁判が)訴訟である以上当然のことのように思われるかもしれないが、実はなかなか理想どおりにはいかないものである。 刑事裁判については、公判のために証拠をそろえておく準備活動が必要なのでそのほうにどうしても比重がかかるからであろう。 ヨーロッパや戦前のわが国には予審があったがそれが周到になればなるほど公判は二番煎じになる傾向があった(前掲書234頁)。」

  刑事手続きの中核は公開とし、権力行使を国民の監視のもとにおくということが裁判公開と公平公開の裁判を求める権利(憲法37条1項)の趣旨である。
  この趣旨に立脚して考察すると、公判前整理手続は準備手続だからという形式的論議だけで解決するのは妥当でない。
  公判前整理手続の設計と運用の実態に即して公開の要否を論ずべきであろう。

  そこで公判前整理手続が対審の実質を備えているのではないかとの関心で手続きをみてみたい。
  公判前整理手続では裁判員法廷に備えて争点整理が行われるという説明がされる。((裁判員の負担軽減のために)事前に十分な争点整理、 証拠整理を行ったうえで連日的な開廷を可能とするような審理計画を策定しておくことが必須の条件となる、という(前掲 『条解刑事訴訟法』 721頁))。
  確かに条文の体裁としては裁判員法廷のための準備手続きという側面は否定できない。しかし、予審手続きとは異なり、 公判前整理手続の主宰者は受訴裁判所である。公判開始後も法令解釈と訴訟手続きの法令問題の解釈権限をもつ。 訴訟指揮権をにぎる裁判長が合議体の中心にいる。この受訴裁判所がこの公判前整理手続の主宰者となる設計となっていることに着目すべきである。

  主張証拠の整理のほか、法令の解釈と訴訟手続きにかかわる判断(裁判員法6条2項)、証拠開示に関する裁定(刑事訴訟法316条の25)、 証拠決定(証人の採否、尋問時間の決定――刑事訴訟法316条の5 七号)鑑定の採否、鑑定人の選任(裁判員法50条1項)、 右についての当事者の意見の聴取(裁判員法50条2項)鑑定の実施を行う。(ただし鑑定結果の報告は公判前整理手続ではできない(裁判員法50条3項)。

  法令解釈、訴訟手続きに関連する判断、証拠の採否、鑑定の採否は事件像の把握、心証形成と切り離せない判断事項である。
  たとえば被告人の自白調書の任意性の存否判断は職業裁判官の任務である。捜査の経緯、すでに収集された証拠物との対比、 捜査段階の鑑定との対比など事件像全体の証拠による分析なくして自白の任意性を判断することなどありえない。

  足利事件の再審請求抗告審(東京高裁刑事部)であらたなDNA鑑定採用を決めたことが事件の命運を握ったことは記憶に新しい。
  公判前整理手続では刑事訴訟法316条の14、15、20 などの条文により証拠開示が進んだことは事実であるが検察側が任意にその訴訟活動につき不利益をもたらす証拠を唯々諾々と開示するとは限らない。
  弁護側の調査と説得力ある理論構成をもとにした証拠開示請求活動や裁判所の裁定(刑事訴訟法316条の25)が証拠開示の成否を握る。

  公判前整理手続でアリバイを主張すれば捜査機関は補充捜査と称してアリバイの成否をめぐる証人への接触、 ある場合には偽証になるとの威迫をふくむ捜査もありうる。そのような場合にアリバイをめぐる証人を1名とするか、 アリバイが崩れたとする検察側の証人をも採用するか、 さらにまたなおアリバイ証人が補充捜査によってもなお崩れていないとする第三の証人を採用するかは事件の帰趨にかなり決定的な影響力を持つ。

  以上の証拠の採否、事件の審理計画に関する受訴裁判所の権限は裁判員法廷に大きな影響力をもつのであり、それをめぐる検察、 弁護被告人側の攻防と裁判所の決定は事件の行く末を左右する意味を持つのである。 これらの当事者の攻防と裁判所の決定が行われる公判前整理手続は対審の実質を備えていることは否定できない。
  以上のとおりであって、公判前整理手続は公開すべしとすることが公開裁判を定めた憲法の趣旨に適合すると考えるのである。

  (3) 公判前整理手続の公開非公開をめぐる運用について
  前記 『条解刑事訴訟法』 松本時夫ほか編4版は公開しなくとも憲法に抵触しないと言っているだけである。公開が禁止されているわけでもない。
  現在の非公開は運用上の非公開ということになる。
  運用上の非公開なのであれば公開事例があってもよさそうである。 しかし前述のとおり裁判員法廷前置の公判前整理手続では実際には全件非公開となっている。 それはなぜか。この点について解説した文献は管見のかぎりでは存在しない。

  刑事弁護に熱心な友人に聞くところや後記研究者との対話、制度趣旨にふれた文献から組み立てて考察してみたい。
  非公開の運用につき法曹三者が考えていることとしては次の三点が考えられる。
  @ 争点や証拠の開示が裁判員に心証形成の上で影響を与えることを回避する、
  A 公判前整理手続に関与する法曹三者の争点と証拠整理に関する議論の交流を率直にする、
  B 証拠開示の際、開示される証拠に登場する関係者のプライバシーを保護することにより証拠開示の運用を活発にする、
などが考えられる。

  少なくともこのような思いが弁護人の胸に去来し、それが手続の公開並びに情報開示の障害になっていることは想到しうるところであるので、 この点を論じておくことは決して無駄ではないと考える。
  筆者はすでに本ロー・ジャーナル第4号において、「公判前整理手続の公開を論ず」 と題する論考を発表したが、本稿は若干その論稿に重複するものの、 より実践的な立場から考察を試み、手続の公開と情報開示の必要性を論証しようとするものである。
  そこで、論旨に戻って、上記3つの理由について検討を加えておきたい。

  @ 争点や証拠の開示が裁判員に心証形成の上で影響を与えることを回避するという理由について
  裁判員裁判の手続きは、前記のとおり公判前整理手続と裁判員法廷が一体となって行われる。 その全体を裁判員裁判として把握するのが正しい把握であると考える。この前半の手続きで職業裁判官はすでに争点(否認事件か否か。 否認するとして被告弁護側の主張はアリバイの主張か、正当防衛か、責任能力の不存在かなど)に触れ、 その証拠の所在(証人の氏名、証人の証言の概要、鑑定結果など)に触れている。 その中で意図するとしないとに関わらず、職業裁判官は裁判の進行のシナリオをその胸中に抱いているのは当然の結果である。
  公判前整理手続がそのように職業裁判官に裁判の構想を描く結果を招来する以上、それは被告人の有罪、 無罪の結論にとって重要な意味を持っていることは避けられない。もともと対審は公開される(憲法82条)との趣旨とは、 裁判という公権力作用は常に国民の監視の下にさらされなければならない、という思想であることは前述のとおりである。 その公開の結果が公判の手続に影響を与えることは、憲法の持つ構想全体の利益考量からしてやむを得ないのである。 公開の結果、裁判員法廷が影響を与えられるから公開しないというのでは、憲法が裁判員法の下位におかれることになる。 よって、@の理由は憲法の最高法規性から見て維持できない。

  A 公判前整理手続に関与する法曹三者の争点と証拠整理に関する議論の交流を率直にするという理由について
  確かに従前の裁判についても、裁判官室において法曹三者が進行について非公開の打ち合わせを行ったことは少なからずあった。 その際、法曹三者が本音を漏らすことによって、審理の無駄を省き、或いは弁護の上でメリットを獲得することも無いことではなかった。
  しかし、本音の話ができるとは誠に非法律的な表現であるから、もう少しこれを法律的な意味に解釈し直すとどういうことになるであろうか。
  刑事裁判においては真実が最高の価値であることは疑いない。その真実の発見に向けて裁判官、検察官、 弁護人が持つ公的な使命に拘束されて(建前の優先)真実が犠牲になるのであれば、確かに建前より真実を優先したいということも了解可能である。 しかしながら、刑事裁判ではもう一つの利益、すなわちデュー・プロセス(憲法31条)も重要な価値を持っているのである。 前述した建前なるものもいかにも窮屈ではあるが、それは実はデュー・プロセスという刑事裁判においてゆるがせにできない価値なのである。 それは窮屈さを感じさせるとしてもなお維持しなければならないとすれば、その窮屈さに感ずる不便は法曹三者が甘受しなければならないのである。

  B 証拠開示の際、開示される証拠に登場する関係者のプライバシーを保護することにより証拠開示の運用を活発にするという理由について
  刑事裁判では、被告人とされた人物の冤罪を防止すること、実体的真実の発見が最高に尊重されなければならない価値であり、 その使命を国民の監視(審理の公開)によって成し遂げることが優先されるべきであるとするのが憲法も容認する、憲法82条、 憲法37条の公開の裁判を受ける権利の要求するところである。
  ここでは、公開裁判のもとで、関係者のプライバシーの利益が犠牲にされるという秩序がまず前提とされていることが議論の出発となる。 公判前整理手続において証拠開示が導入されたのは、争点の整理のためとする説明がされている(例えば、池田修著 『解説裁判員法』)。 争点整理の利益は、刑事裁判のもつ前記の秩序に従うべきことは当然である。証拠開示もまた、かかる刑事裁判の秩序のもとで運用されなければならない。 これが第一に前提として語られなければならない。

  次に究極のプライバシー、また、関係証人の生命身体の安全(例えば、暴力団の関係する事件における目撃者や秘密を暴露する証人の所在などの場合)は、 そのときに限り非公開とすることや、弁護人、被告人も含めた運用によって当該期日だけ非公開とすることもあり得る。 その場合も原則は公開とし、その上記の利益が喫緊に問題となる当該期日だけ例外的に非公開としたり、 手続内容の非開示の合意を法曹三者がすれば足りるのである。原則と例外を取り違えてはならないのである。
  重複の印象を与えるかもしれないが、公判前整理手続もまた被告人の運命にかかわる公権力行使である実質を備えている以上、 公開という原則を守らなければならず、またその背景にある公開の保障根拠を関係法層は常に念頭に置くべきである。 特に、公開裁判を受ける権利の守護者である弁護人である弁護士はそのことの自覚が必要であることを強調したい。

  (4) 刑事訴訟法研究者との対話
  公判前整理手続を公開する主張は、「「公判前整理」 原則公開に」(読売新聞2009年1月21日の拙稿)、『裁判員と知る権利』 所収の拙稿、 ロー・ジャーナル4号の拙稿において発表済みであるところ、刑字訴訟法研究者や、刑事弁護を担当する弁護士からの反響は必ずしも芳しいものではない。 そんなことは弁護上大した論点ではないという著名刑事弁護士の意見に出会ったこともある(注1)
  その含むところは、公開の主張はメディアに利するためであって被告人の利益に資するところはないか、有害でさえあるというものであろう。
  そのように受け取られるのは筆者にとって誠に残念である。そこで公開の主張を何のために、誰のために行っているのかについて若干ふれておきたい。

  淵野貴生立命館大学法科大学院准教授は、公判前整理手続がもつ限界と弱点を創意的な着眼と研究によって明らかにしておられる研究者である。 とくに全面証拠開示がなされていないことに加え、弁護側にも主張明示義務が課されたことの不利益に関する次の指摘は鋭い。 検察側の主張や証拠の開示を受けたときは、弁護側は公判前整理手続において、否認、正当防衛、アリバイ、責任能力、自白の任意性、信用性の弾劾など、 反対主張とそのための証拠調べ請求をしなければならない(刑事訴訟法316条の17、1項、2項)。公判前整理手続においては、 争点が整理されるまで主張の繰り返しが予定されているので(法316条の21、同22)。この主張の反覆の間に、 検察側は弁護側の弾劾を受けた弱点を補強できる。 裁判官はこの弾劾と修復過程を観察できるが、裁判員はきれいに仕上がった主張と証拠の整理の結果にしかふれることはできない、 という疑問である(前掲 『裁判員制度と知る権利』 所収 淵野貴生 「被疑者被告人の適正手続きの保障について」 257〜258頁」)。

  しかし、淵野准教授もこの手続の公開には消極的である。理由は手続が公開されると情報はコントロールされないまま外に出ることだという。 弁護側にとって不利益な情報がメディアに書かれることによって、有罪方向での世論が固められ、 裁判員がそれによって影響を受けてしまうと説く(前掲書 261〜262頁)。
  それより、手続は公開せず、弁護側によって情報を選択し、情報のコントロールを可能にしておいた方がよい、というのである。

  確かに、公開は個別事件の被告人にとって常に利益とは限らない。犯罪を犯したという嫌疑をかけられていること自体が不利益な事実であり、 通常人であれば公開を忌避するプライバシーに属することは否定できない。しかし、公判前整理手続においてはすでに裁判所が争点と証拠の整理の上で、 証拠決定、争点の整理という被告人の命運を決する権力作用を行使しているのであり、手続の直後に公開の法廷が待ち受けているのである。 裁判所の公権力行使を誤らせないように国民監視の下におくという価値は、個々の手続における被告人の公開嫌悪の感情、非公開の価値より大きい。 もともと裁判の公開とは被告人のプライバシーより優越するものとして公開の価値をみている制度なのである。
  そしてまた、アリバイ、被告人に有利な鑑定の採用を迫るとき、それに対して裁判所が非合理的な対応をすることがあり得るのは、足利事件控訴審、 上告審、再審請求第一審、布川事件などの一、二、三審ほかの冤罪事件の経過が示すところである。
  かかるときに、弁護側が公判前整理手続において裁判所に証拠決定、 鑑定決定を迫るとする手続が原則公開になっていれば傍聴席の傍聴人とメディアを背景として闘えるが、非公開が原則となっていれば、 その都度、検察、裁判所の了解を得なければならない。かかる緊迫した事態になったときに手続公開を主張したところで裁判所、 検察側が公開に同意することなど予測できないのである。
  このように考え、筆者は被告人の利益のために手続公開を主張しているのである。
  この論点について、刑事訴訟法研究者、刑事弁護人のご賢察をいただきたいと切望する。

  この章の小括
  以上述べてきたとおりであって、ほとんど公権的な説明もないまま公判前整理手続が非公開で行われ、 また、その手続内容も裁判所から簡単なペーパーが関係記者クラブに一枚だけ渡されるという現実、 そのことに批判の声一つあがらないという現実は寒心に堪えない。 さらに付け加えて言えば、担当弁護人も公判前整理手続の非公開の運用にイデオロギー的に圧倒され、論理的な疑問の提示も自らしないまま、 その内面が 「非公開は当然、さらに手続内容の開示をすることは法律家の倫理に違反するのではないか」 といった心情に捕らわれているとさえ思われるのである。

  次の事例を紹介しておこう。
  共同通信の社会部では2008年6月裁判員裁判の取材過程で弁護士から提供を断られる事態が起きた。
  「(公判前整理手続の中で)証拠開示請求によって若手弁護士が入手した捜査報告書の写真をみせてもらった記者が、 それを原稿の併用写真として使おうと要請したところ、その弁護士は 「法律事務所の先輩に相談したら目的外使用にあたると言われた。 それでは困るから」 と返事してきて、結局、写真の使用は断念せざるをえなくなった。」(土屋美明 『裁判員制度と報道』 花伝社 2009年199頁)
  この事例は刑事訴訟法281条の4 1項の規定を憂慮したものと思われる。同条2項には違法性阻却事由の規定がある。 この事例で考えると関係者のプライバシー侵害の恐れがない態様であればここまで慎重になるのは過度の委縮と言える。 しかしかような委縮を起こさせるのは目的外使用禁止の規定のあいまいさと公判前整理手続の非公開の運用に原因があるのである。
  この現状は打破されるべきである。

  特に、今後は被告人が無実を主張する事件の公判前整理手続が問題となることもあろう。そのような事件では、 争点の整理に加え被告弁護側の請求する証拠の採否、審理に要する時間、証拠開示に関する裁定、鑑定の採否など、 被告人の命運に関わる手続における厳しく激しい応酬が問題となるケースもあろう。そのようなケースにおいて、ときに傍聴する市民、 メディアによる検察や裁判所の監視、さらには裁判批判の動きが不可欠になる事態もあり得る。

  最近、再審無罪判決を獲得した足利事件の例においても、再審第一審(宇都宮地裁)においての鑑定の採否を巡る動きと、 これに対するメディアの批判が大きな意味を持った。すなわち、弁護人が、被告人となった菅家さんから毛髪を入手し、 押田茂實鑑定人のDNA鑑定を添付して、裁判所における再鑑定を申請したところ、 再審第一審裁判所が菅家氏の毛髪か否かが確認できないから再鑑定の必要は認めない、とする判断が再審請求第一審の判決で示され、 これに対する厳しい批判がメディアから集中したことが、 再審請求抗告審(東京高裁)においてDNA再鑑定の採用の原動力になったと佐藤博史弁護人が語っている (同弁護士の2009年12月5日国分寺市人権の集い講演から)。 これは、広い世論の批判が裁判所の審理に影響を与えたという一つの事例であるが、松川事件、その他の著名な冤罪事件の歴史に照らしても、 冤罪を主張して争う弁護人にとって譲れない一線であるところである。
  そのような絶体絶命の立場におかれれば、弁護人は必ず孤立の中から支援を求めて広い戦場に打って出るという可能性を持っているとは信ずるものの、 現在行われている公判前整理手続の非公開並びに情報の不十分な開示に対する沈黙に等しい状況については危惧を抱くものである。 刑事訴訟法研究者、弁護士会、司法担当記者などメディアの人々の奮起を促したいところである。

  注1) ただし、反響が全くないわけではなかった。次の例である。
   日弁連の例年開かれる人権擁護大会シンポジウム第一分科会基調報告書 「今表現の自由と知る権利」 とのタイトルで一定の頁がさかれた。 守秘義務、公判前整理手続、証拠の目的外使用の論点が取り上げられた。報告書は立法担当者の非公開運用の根拠を綿密に紹介した後、 公判前整理手続について弁護側が必要と考えたときに公開を迫る場合があり得るとして、本稿に近接した立場が表明されている。
  これは日弁連の正式見解ではなく、前期実行委員会による研究報告書である。 けれども法律家の中にこのような意見も有力な形で存在しているという一例である。


  第三 裁判員の守秘義務違反刑事処罰規定は
立法論上撤廃すべきであり、運用は緩和すべきである

  本稿の立場は職業裁判官の合議体こそ国民監視の対象の中心におかれるべきだというものである。 この立場からすると、職業裁判官と素人裁判員の守秘義務の差は立法上撤廃すべきであり、 現行規定が存続している時点における裁判員の守秘義務規定運用はつとめて謙仰的であるべきだと考える。以下この点を論証する。

  1 規定の現状と解釈
  (1) 条文――裁判員の守秘義務規定と職業裁判官の守秘義務
  <裁判員による守秘義務違反罪の構成要件>
  裁判員は、評議の経過、各裁判官、各裁判員の意見、ならびにその数について漏らしてはならない(裁判員法70条1項)。 職業裁判官の合議の傍聴をゆるされたときはその内容についても同様の義務を負う(同条1項)。

  裁判員の任務にある間並びに裁判官の任務を終了した後終身にわたり守秘義務を負う。守秘義務に違反したときは、 刑罰が科される(裁判員法70条、同法108条)。

  <職業裁判官の守秘義務>
  職業裁判官は国家公務員法附則一一条により国家公務員一般が負う刑事罰つきの守秘義務(刑罰規定1年以下の懲役五〇〇〇〇〇円以下の罰金) を解除されている。職業裁判官は評議につき守秘義務を負うものとされている(裁判員法70条2項裁判所法75条2項後段)ものの、 裁判所法には守秘義務違反につき刑事罰を課すとの規定はない。

  (以上の点は、千葉大学法科大学院教授 眞田範行弁護士の先行研究によって明らかにされたところを参考にした――同弁護士 『裁判員制度と知る権利』 所収 「裁判員の守秘義務」 から)。

  以上を要するに裁判員は守秘義務につき終身刑事罰による威嚇がついてまわるが、 職業裁判官には守秘義務違反につき一切刑事罰は想定されていないのである。

  (2) 立法趣旨と検討
  裁判員に職業裁判官以上の守秘義務が課されているのはなぜか。
  立法担当者の解説は次のとおりである。
  「裁判の公正やこれに対する信頼、評議における自由な意見表明を保障することにある。」 「1、評議の経過も守秘の対象とするのは、ある論点について議論したことを明らかにすると、なぜそのような論点を議論したのかと批判されるので、 自由に論点を提示できなくなる
  2、発言者が特定されない形であっても、ある具体的内容の意見が明らかにされること自体が、そのような意見を述べることを躊躇させるから、 評議における自由な意見表明の阻害となる。
  3、意見の多数、たとえば全員一致などということは、個々の意見を明らかにするのと同様である。
  4、評議における自由な意見保障が表明されなければ、評議の結果として適正な結論を得られることも期待できないから、 裁判の公正を確保することが困難となり、ひいては裁判の公正に対する信頼も確保できない。
  5、無罪判決の確定後に、評議において相当数の有罪意見があったようなことが公表されると、裁判の公正への信頼が著しくそこなわれる。
  辻 裕教 法務省刑事局刑事法制管理官 『裁判員の参加する刑事裁判に関する法律の解説』 (3) 法曹時報七〇巻三号799頁以下から要旨を引用した。

  (3) 〈適用の現状〉
  守秘義務に違反して捜査がなされたり、起訴された事件はない。
  適用の状況は裁判員の記者会見にあらわれているので、その状況についてみてみよう。
  もともと守秘義務が最も厳格に適用されれば裁判員の記者会見など考えられないというところであった。しかし、次のような経緯で記者会見開催が実現した。
  新聞協会は裁判員の取材協力を得やすい環境として、判決後の裁判員経験者による記者会見実施を検討してきていた。
  2007年5月以降、新聞協会は最高裁との間で14回意見交換を実施してきた。 裁判所は制度の定着という点で裁判員経験者の声が広く伝わることは重要との認識を示し、 記者会見の実現にあたって裁判所の協力が得られることになった(2月26日付新聞協会プレスレリースから)。 かくして新聞協会は、裁判員制度の施行を3ヶ月後に控えた2009年2月26日、「裁判員となるみなさんへ」と題するアピール文を発表した。
  報道された記事や、筆者が複数の司法担当記者にヒアリングしたところによると、裁判員の記者会見は次のように実施されている模様である。
  判決後、地裁の司法記者クラブが記者会見を主催する。クラブは記者会見開催を裁判所に申し入れる。裁判所は、1、氏名をあきらかにするか、 2、写真撮影に応ずるかの意向を記者会見参加者に確認し、報道機関はこれに従う。 合議体の裁判長から裁判員の任務を終えたばかりの経験者に会見の場所と開催時間を通知して参加を呼びかける (裁判員経験者の記者会見運営方法きまる (2009年6月12日読売新聞電子版)。

  裁判所は職員の立ち会い、撮影、録音の制限を条件に右呼びかけを行う。
  第一次会見が終わると、裁判所職員の立ち会いがなく、撮影、録音の制限がない第二次記者会見が行われる(2009年11月4日 茨城新聞)。

  ところがこの記者会見では地裁職員による発言規制の問題がある。会見の参加者数も減少している。次の報道がある。
  裁判員裁判はすでに232件終了した。220件で補充裁判員をつとめた人のうち、約三分の二、1213人が記者会見に応じた。 参加率は昨年8月100パーセント、九月86パーセントと高率だったが、2010年1月56パーセント、2月53パーセントに減少した。
  220件の記者会見のうち、29件で、立ち会った地裁職員による回答の制止、会見後の報道の自粛要請があった(2010年3月13日 共同通信配信記事から)。

  (4) 地裁職員による介入の事例
  記者会見では地裁職員が介入するのは、どんなやり方で、何を規制しようとしているのか。いくつかの事例を見てみよう。

  一
  @ 裁判員裁判第二号事件の事例
  2009年8月12日に、さいたま地方裁判所で判決となった殺人未遂被告事件のことであった。懲役6年の求刑に対し、判決は4年6月、執行猶予がついた。
  この日、判決言い渡しののち裁判長は 「(被告人は)まだ30代半ばで刑期を務めても十分にやり直しが利く。 一日も早く社会復帰して立ち直ってほしい」 と説諭した(2009年8月3日 愛媛新聞)。判決によると 「強い殺意にもとづく執拗で極めて危険な犯行」 で、 「犯行の危険性や殺意の強さなどを考えれば猶予すべき事案ではない」 としている(前同紙)。
  裁判員の記者会見で、ある記者が裁判長の説諭は 「(裁判員の)皆さんの思いを代弁した言葉か」 と質問した。 会見には6名の裁判員、2名の補充裁判員が出席した。裁判員1〜3番の経験者は代弁した言葉と答え、4番の男性は答えなかった。 5番の男性が会場内にいた地裁職員の顔色をうかがいながら 「言っていいんですかね」 と言うと、地裁職員は(否定する意味で 筆者注)首を振るしぐさをし、 その後の3人も答えなかった(信濃毎日新聞 2009年8月13日朝刊)。 質問した記者は 「質問の内容は裁判長が公表していることなので守秘義務に抵触しないのでは」 と異議を唱えた。 しかし、地裁の男性職員は 「各裁判員の認識と判決が一致するかどうかは評議の内容が特定されかねない」 などと姿勢をかえなかった。 記者は、「最高裁の認識とは違う」 と言いながら渋々引き下がった (産経新聞ネット版 2009年8月12日付)。 説諭をめぐるやりとりへの介入は、2009年12月4日判決の岡山地裁強盗致傷被告事件終了後の記者会見でもあったと報道されている。

  A 山口地裁殺人未遂事件における介入事例
  介護していた妻と無理心中するつもりで行った殺人未遂事件の判決が2009年9月9日にあった。求刑は懲役4年だったところ、判決は懲役3年、 保護観察付執行猶予が付された。
  この保護観察をめぐる記者の質問と裁判員の回答が守秘義務にふれる可能性があるとして、地裁職員が報道自粛を要請、 3時間後に撤回した(共同通信 2009.9.9版西日本新聞新聞 2009.9.10)。

  B 青森地裁強盗強姦ほか被告事件(2009年9月4日判決)で、 求刑通りでよかったとする裁判員の記者会見発言を守秘義務違反のおそれと地裁職員が指摘した。(2009年10月16日静岡新聞朝刊)

  C 津地裁強盗致傷事件(2010年2月4日判決)で、裁判員の男性が量刑内容について評議で話したことについて会見で発言した。 地裁職員が守秘義務違反のおそれがあると指摘、報道の自粛を要請した。報道機関の一部は発言内容を報道しなかった(2010年4月4日 朝日新聞朝刊)。

  D 静岡地裁浜松支部殺人窃盗被告事件(2009年10月29日 懲役13年の判決)で、会見に参加した4名の裁判員全員が裁判長に強い不満をもらした。 休憩や評議の時間に 「もっと意見を聞いて欲しいと要望したが聞いてもらえなかった」 と発言した。地裁はのちに守秘義務に抵触しない、 との判断を示した(10月29日 共同通信配信記事)。
  「評議や休み時間に、裁判官に意見を聞いてくださいと伝えたが、聞き入れてもらえなかった」 「重要なところは裁判員の意見が反映されなかったと感じる」 「裁判員の気持ちが反映されないと感じた。覆らないんだなって」 と評議の進め方に不満を述べた(2009年10月30日 毎日新聞東京本社版)。

  E 富山地裁殺人等被告事件(2009年10月29日 懲役17年の判決言渡)で判決言い渡し後の記者会見で、 記者が 「公判前整理手続きについて説明を受けたか」 と質問した際、地裁職員が介入し 「評議の経緯をたどることになる」 と指摘した。
  共同通信のニュースは次のように述べている。裁判官に 「今回の事件は量刑が争点。有罪、無罪は決まっている」と言われた、 と述べた(共同通信47ニュース)。
  中日新聞のニュースは次のように伝えている。「民放記者が 「有罪が前提」 という裁判長の説明に納得して量刑を話しあったのか」 と聞くと、 裁判員6人が 「有罪、無罪は決まっていると裁判長から説明があったので有罪だと思って臨んだ」 と打ち明けた (中日新聞 2009.10.31版)。

  富山地裁では氷見事件という冤罪事件があった。絶望した被告人が法廷でも一貫して否認せず、のちに真犯人が判明し、 再審によって無罪となった事件である。この富山地裁でこのようなやりとりがあったとされていることは銘記すべきであろう。
  前記の記事を執筆した中日新聞の記者は 「裁判員が抱いていたかもしれない 「本当に有罪だろうか」 という視点を、 職業裁判官が初めから摘み取っていたとしたら、少し問題があったのではないか(奥村圭吾記者)、と記している。
  裁判員は守秘義務についてどう考えているのか。NHKが行ったアンケートの結果が公表されている。 2009年11月、46人の裁判員に問題と感じたことをたずねた。「守秘義務の定義があいまいで、どこまで話していいかわからないと答えた人が48%、 話してもいい範囲を拡げるべきという人が24%だったことがわかった (NHK)。

  (5) 検討
  これらの事例をみると次の疑問がおきる。

  第一の疑問は規定が明確性の基準に反するのではないか、すなわち規制の対象があいまいであり、かつ過度に広汎ではないか、というものである。 条文では評議、評議の経過、個々の裁判官、裁判員の意見、その多少の数が秘密保持の対象となる(裁判員法70条1項)。
  裁判の公正、これに対する信頼、評議における自由な意見の表明が守秘義務規定の保護法益だとするのが立法担当者の説明であることは前記のとおりである。 守秘義務違反は上記の法益を侵害する抽象的危険があるとするのが立法趣旨であろう。
  ところが、現在行われている裁判所職員による発言規制は規制の対象となっている裁判員の発言がいったいいかなる害悪を引き起こすのかが明らかでない。 言い換えれば、職員の発言規制は裁判員の発言内容に即して行われる表現内容規制であるのに、 規制目的があきらかでなくまた規制の限度も最小限度やむを得ない状況で行われているとは言えないのである。 周縁(外延)が明確でなくいくらでも広がっていく危険を示している。
  周縁が明確でなければ規制の中核(守秘義務違反の規定にあっては評決数、 個々の意見の漏示)が明確であっても明確性の原則には反する(山口厚 『刑法総則』 第二版 有斐閣 18頁参照)。

  守秘義務規定も憲法の下位法規であるから、立法担当者があげる守秘義務規定の保護法益に対立する表現の自由との調整がはかられ、 あいまいかつ広汎性が払拭されなければ、守秘義務規定は法令違憲の疑いがある。もし、現行規定を維持して運用しようとするのであれば、 合憲限定解釈が行われその解釈に沿った運用がされなければならない(最高裁徳島公安条例判決 最大判昭和50年9月10日 『判時』 787号24頁 参照)。 すなわち、この守秘義務規定を特に保護法益侵害の害悪をもたらすことが明白な評決の数、 評議に際し誰が何を言ったかという発言や関係人のプライバシーを侵害する発言の禁止に限定するのである。
  しかし実態としては、以上のとおり、運用は合憲解釈に従った限定的なものではない。守秘義務規定にもとづく裁判所職員の発言への介入の結果、 裁判員の発言にも、これを受けた報道機関の報道にも萎縮が生じている。

  第一の検討から守秘義務規定をもちいた個別の発言規制は前記の合憲限定解釈の域をこえて適用違憲の疑いがある (合憲限定解釈が可能であるにもかかわらず、法令の執行者がかかる解釈を行わず違憲的に適用した、 その適用行為を違憲とする判断を適用違憲の一場面とすることについては芦部 『憲法』 4版 371頁参照)。

  また守秘義務運用の全体の傾向は運用違憲の疑いが濃厚であると筆者は考える(運用違憲の定義については 戸松秀典 『憲法訴訟』 第2版  有斐閣2008年355頁参照)。
  規定の運用は総括的にみて実体の上でも手続き的にも、裁判員の発言への規制は過度に拡大され、表現が発せられる以前の事前抑制が公然となされ、 その上報道も必要以上に抑制されているからである(東京都公安条例の条件付許可処分の運用につき検討を加え運用違憲を指摘した東京地判 昭和42.5.10 下刑集9巻5号638頁参照)。

  憲法研究者の明確性に関する議論は以上の検討の参考にできる。
  「罪刑法定主義(憲法31条により保障されている)によれば、刑罰法規は、
  @ 国民に法規の内容を明確にし、違法行為を公平に処罰するのに必要な事前の公平な告知を与えること(告知機能──筆者注)。
  A 法規の執行者たる行政の恣意的な裁量権を制限するものであることが必要だからとされている(濫用防止機能──筆者注)。
  さらに表現の自由にかかわるときは(本来合憲的に行うことのできる表現行為をも差し控えさせてしまうという)萎縮効果も与える(萎縮効果──筆者注)」 (芦部 『憲法』 第4版191頁)。裁判員の記者会見における介入行為は、 明確性を欠いた守秘義務条項の危険に関する芦部教授の指摘を地で行くようなものではないか。

  第二の疑問は、裁判員法で規定されている以上の表現規制が行われているのではないか、という疑問である。
  裁判員法は刑事処罰規定を定めている。事後処罰であり、事前規制の条文はない。
  事後規制の規範があるとき、表現をするものは、自らの発言内容について処罰規定の条文だけでなく取締や捜査の現状を念頭におき、 事後処罰があるか否かを判断した上で発言する余地がある。 そして処罰の危険があってもなお発言することに価値があると考えたときは発言者がその(危険な)道を選択する自由があるのである。 その判断を発言者に保障することが表現の自由から演繹される。事前抑制は原則として禁止されているからである。 事前抑制の原則的禁止は憲法21条から演繹されると説くのが、憲法21条解釈に関する憲法学の通説であり、 判例もまた同様の立場を取っている(北方ジャーナル最高裁事件判例 最大判昭和61年6月11日 『判時』 1194号3頁)。

  裁判所と司法記者クラブの合意により裁判所職員が立ち会うがその趣旨は裁判員の負担を軽くするためだという(西日本新聞2009年8月7日朝刊) 不用意な発言により刑事処罰をうけたり心理的ストレスを軽くするためということか。 パターナーリステックに守秘義務に違反することのないよう発言に介入し、それが裁判員のためだ、 という目的があるとしても事前抑制はやはり原則として許されないのである。
  表現の自由の主体はあくまで記者会見に出席した裁判員である。 守秘義務に違反することのないように表現の自由という重大な価値を侵害するというのはおかしい。 記者の質問や、発言しようとする裁判員の言葉をさえぎるなどという事前抑制をするなど権限外の行為でありかつ表現の自由への侵害である。

  第三の疑問は表現規制に対する反応の弱さについてである。報道機関の面前で表現の自由が侵害されているのにこれに対する反撃が不十分である。
  刑事事件の評議に職業裁判官以外の市民が参加した経験は日本国憲法のもとではまったく新しい体験である。 国民がこの制度をこのまま継続するか、改善するか、はたまた廃止するかという決定をするために不可欠の情報の淵源となる体験である。 自己統治の価値が高い。
  この情報への事前抑制、あいまいで広汎な規制に対して報道機関総体としての取り組みはどうか。
  共同通信社では、「会見介入に抗議する」として、同社の裁判員制度検討委員会名義の抗議文(68行)を配信し、 加盟紙も掲載している(2009年8月13日東奥日報朝刊)。
  しかし日本新聞協会からは抗議文や最高裁判所への申し入れなど出ていない。
  これは改善される必要がある。

  第四の疑問は、弁護士会など法曹関係者からの批判の声の不足に関するものである。
  裁判員の記者会見における発言規制問題となると弁護活動終了後の出来事であるからか、弁護士の関心は必ずしも高くない。
  弁護士会をはじめ業界横断的な法律家団体(自由人権協会、日本民主法律家協会、自由法曹団、青年法律家協会など)がより関心を深め、 新聞協会や報道各社との協力のもとで情報をもっと集め、批判的な検討を行うべきではないか。 そして問題と考えることについては果断に行動し申し入れや発言をすべきではないか。 前記日弁連人権大会シンポジウム基調報告が、守秘義務規定の検討を強く呼びかけている(同報告書292頁)ことはこの意味で注目される。 いまのままでは憲法論的にみて問題を含む裁判所職員による記者の質問、裁判員の発言への規制、 裁判所による報道自粛の要請などが批判のないまま横行しそうである。
  これからは被告人が無罪を主張し冤罪を訴える事件が問題となる。裁判員の発言規制問題はいっそう切実な意味をおびてくることの認識が必要である。

  (6) 守秘義務規定は国民参加の裁判に当然のものではない。
  日本の制度だけをみていると評議の秘密など一見当然のことのように考えられがちである。 しかしアメリカ陪審の事例では評議の内容、陪審員の個別の意見まで明らかにされている事例があることに驚かされる (たとえばカリフォルニア州の事例につき 『私たちが死刑評決しました』 フランク・スワートローほか著 ランダムハウス講談社 2009年) (ワシントン州シアトルの刑事裁判において陪審員に守秘義務がないことにつき菅野昭夫 鈴木亜英 「シアトル陪審傍聴記」 『自由法曹団2010年5月集会報告集』 260頁所収)。
  陪審では評議につき守秘義務がなく、参審は評議につき守秘義務があるという整理をする文献(前記 『裁判員制度と知る権利』 所収  真田範行論文180頁)もある。
  筆者は次にのべるように、日本の裁判員では何を守るために裁判員に長期間の重い守秘義務を課しているのではないかという分析が重要だと考える。

  第四 まとめ──受訴裁判所に対する国民監視の重要性

  公判前整理手続非公開の運用、裁判員の守秘義務を一体として考察すると、この非公開性はなんのために存在しているのか、という疑問が生ずる。
  第二、第三で論及したように職業裁判官3名の合議体は、当該事案の裁判員がまったく存在しないうちから事案に関与して審理計画を定め、 裁判員選任決定を行い、法令と訴訟手続きにかんする法的判断をするという強大な権限を持つ。
  公判前整理手続きの非公開、守秘義務の厳格適用または拡大適用は、かかる権限をもつ公権力行使作用を国民の監視から遠ざけているのではないか。
  コリンP・A・ジョーンズ同志社大学法科大学院教授は、守秘義務規定は職業裁判官のためにある、 と指摘している(『アメリカ人弁護士が見た裁判員制度』 平凡社新書 2008年 192頁)。

  職業裁判官の合議体は裁判員とともに証拠評価を行う。法の建前では裁判官一人につき同じ一票である。 しかし公判前整理手続における権限や手続きの進行をみると、現実には職業裁判官の合議体が事実上評議体の中核としての機能を営むことは否定できない。
  前記の通り審理の枠組を決める強大な権限をもつし、事件に関与する時間は圧倒的に長いからである。
  この権限と裁判員が関与する以前に職業裁判官が事案についてあるイメージを抱いてしまうというリアリティを見るなら、 この合議体はできるだけ国民監視のもとにおかれる必要がある。公判前整理手続公開や情報開示や守秘義務規定の運用も、 できるだけ裁判公開の精神と趣旨にかなう方向で解釈され運用されなければならない。
  この点がおろそかになれば、裁判員制度は従前の刑事裁判以上に冤罪の危険をはらんだ制度になりかねない。
  このような考察からすると、本稿が取り上げる論点は表現の自由を強く主張する憲法、メディア法の研究者、 メディア関係者の研究と実践にまかせるだけでは不十分である。
  これを越えて、刑事弁護に熱心に取り組む弁護士、陪審への展望を語りつつ裁判員制度を推進してきた人々、 刑事訴訟法研究者によってより熱心に取り組まれるべき論点だと考える。

  謝辞
  本稿執筆にあたり裁判員問題について継続的に取材を続けているジャーナリストに現場の意見をお伺いした。 とくに共同通信社会部編集委員竹田昌弘氏には同通信社の関連記事の所在や同氏の取材体験を伺い参考にさせていただいた。
  文献、資料の渉猟については、本法科大学院図書館司書赤池京子氏、龍谷大学法科大学院生であり、 筆者の事務所でエクスターンシップ生として学んだ福留佐保里氏にたいへんお世話になった。 また、本法科大学院出身で筆者と同じ法律事務所に勤務し、市民団体 「裁判員ネット」 代表を務める大城聡弁護士の助言も、 『裁判員制度と知る権利』 に被害者参加につき執筆していただいた出口祐規弁護士の助言やジャーナリストの小峰晃氏によるネット上の情報検索の援助も大きかった。
  所属法律事務所の佐竹美奈子氏、谷川賢史氏、本居梓氏の各スタッフには原稿の入力に協力していただいた。
  最後になるが本稿完成の段階で制度のありかたについて日ごろ意見を活発に交換している前明治学院大学法科大学院客員教授(刑事訴訟法担当) 神田安積弁護士(東京第2弁護士会)、ロー・ジャーナル編集責任者である西村幸次郎本法科大学院教授の助言を参考にさせていただいたことをあげ、 とくに感謝申し上げたい。

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