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最高裁判決を読んで──NHK番組改変
梓澤和幸 (弁護士、NPJ代表)
6月12日、最高裁は番組を不当に改変されたとしてNHKに損害賠償を求めていたバウネット・ジャパンの請求を棄却する判決を下した。
判決を報道の自由を守る結果になったと歓迎するメディアの記事や論説が多い。
しかし、事件の核心は政治家の介入が番組改変の結果を生んだか否か、である。
原審の東京高裁は、迂回 (うかい) 的な表現ながらその因果関係を認めている。次の事実である。
1、(放送前日の) 1月29日午後、安倍晋三内閣官房副長官 (当時) が従軍 「慰安婦」 問題の持論を展開し、
番組について公正中立の立場で放送すべきと述べたこと。特に同副長官のホームページに言及し、
番組の偏りが拉致問題での沈静化をはかる北朝鮮の工作宣伝活動の一翼も担っていると睨 (にら) んでいたとの 「持論」 の内容を指摘している。
2、(普段番組制作にたずさわることのない) 松尾・NHK放送総局長と野島・
国会担当理事が相手方 (安倍晋三氏) の発言の意図を忖度 (そんたく) して放送直前の改変が行われた。
最高裁は法律審であって、特に著しく正義に反する事情がなければ新たな事実認定をしない。この判決でも事実認定に変化はない。
だが、原審判決の要約の形をとりつつ、右の1をあいまいにして、因果関係を切り落としてしまったのである。
加えて、最高裁はNHK免責のための論理を構成した。報道機関の取材の際に取材の相手方に、必ずこう報道するからと約束に近い説明をすること、
相手方に新たな負担をさせることなどの格段の事情がなければ、報道機関は直前の改変をしても法的責任もなく、特別の説明義務も負わないという。
こうした上で、松尾、野島氏の指示による放送直前の大改変も、政治家の干渉と関係のないNHK内部の編集努力にすぎず、
取材対象者の信頼と期待を裏切ることもなかったとしたのである。
最高裁判決には、政治家の介入と報道の改変という重大な事実の意味を極小にしたい、との意図が貫かれている。
それは司法の衣をまとった、もう一つの政治である。憲法21条の保障する報道の自由は、自由にして平等であるべき市民一人ひとりのためにある。
人々が自らとこの国の将来を決するために必要な真実を知るためのものである。それは、NHKのような巨大な組織を守ろうとする自由ではない。
最高裁が事実を歪曲 (わいきょく) し、報道機関の間違いを正すせっかくの機会を奪ったのであるから、メディアはこのときにこそ、
報道の自由は危機にさらされたと警鐘を鳴らすべきであった。「信頼と期待」 の論理は否定されたから報道の自由は守られた、とするメディアの論調は、
報道の自由が何のために存在しているかをふりかえっていない論である。
巨大メディアを少しでも真実のために働くようにする動因は、現場で歯をくいしばって良心をつらぬく人々とバウネットのような、
報道のありかたを粘り強くただしていく市民の運動であろう。番組改変以降の人々の歩みは、それを明らかにした貴重な歴史であった。
韓国では、政権を揺るがす巨大なデモが続いており、その人々をつなぐのは、インターネットだという。
「報道の自由元年の旗」 はいったん、じゅうりんされた。
しかし、澎湃 (ほうはい) として起こりつつある市民メディアの動きは、この旗を拾いあげて再び掲げる動きがすでに始まっていることを告げている。
2008年6月24日 しんぶん赤旗 掲載
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