トピックス   梓澤和幸

改憲問題の本筋と橋下発言
2013.5.21


  維新代表橋下徹氏の発言はあまりに刺激的で、言葉の反響が激しく本筋が見失われがちなので、いったん立ち止まる必要がある。
  眠ったようでいて、彼はもう一度生き返る。その危険を封ずるため、発言の位置づけを正確に行っておきたい。
  それにしても何が起こったのか。

〈従軍慰安婦について〉
  「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、 慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」(5月13日昼記者団に─―以上の要約(朝日新聞5月17日朝刊、東京新聞5月14日、 産経新聞5月16日も同旨)(以下必要発言という)。5月13日夕、「国を挙げて暴行、脅迫、拉致をした証拠が出てくれば反省しなければいけない。」 と述べた(以下強制否定発言という)。

〈風俗利用奨励発言〉
  「慰安婦制度じゃなくても風俗業は必要だと思う。沖縄の普天間に行ったときに、司令官にもっと風俗業を活用してほしいと言った。」 (5月17日朝日新聞朝刊)

〈発言の位置〉
  改憲反対運動との関係で、発言をどう位置づけるのか、発言の意図が垣間見えるので指摘しておきたい。
  慰安婦必要発言は、安倍政権の歴史認識と関連する。橋下政治家は、安倍政権の言いたい本音をわかりやすく暴露しただけである。 第一次安倍内閣は2009年に、従軍慰安婦につき、「軍や官憲による強制連行を直接示す記述も見あたらなかった」 としている(国会での答弁書)。
  橋下政治家は、必要だったが強制を示す証拠が見つかっていない、と言い、「それが出てくれば謝らなければならない」 と言う。 強制の証拠なしでは、橋下──安倍は完全に一致しているのだ。
  安倍首相は国会で、公党の代表の発言についてはコメントしないとノーコメントで通したのもうなづける、わけである。

  では、風俗利用奨励発言はどうか
  米政府当局者は、二つの発言について、まとめて「言語道断、侮辱的」とコメントした。
  風俗利用奨励発言に触発されたコメントのようにも読める。橋下政治家の生き残りの第二のポイントはここにあるだろう。
  橋下政治家のコメント 「これほどのことを言わなければならないくらい沖縄の状況は鬼気迫るものがある」(5月17日朝日新聞朝刊38ページ) 「周辺によると、橋下氏には、米兵による犯罪への心配が沖縄で絶えないことを問題提起し続けたい意向があるという。」(前同)
  従軍慰安婦については、「安倍さん、あなたも同じでしょう」 と呼びかけ、風俗利用奨励発言については、 「アメリカさん、沖縄どうするのですか」 と言い続ける。
  そこで、自分の立場の独自性と、一般の人々の「けっこう言いたいことを言うじゃないか」という反応を獲得する。
  そして、メディアに向かっては、「発言の一部をつまんだ」 というアタックをかける。

〈歴史認識の修正〉
  橋下発言の文脈は、次のことにある。すなわち第二次世界大戦の終了、日本の戦後史の開始、日本国憲法、東京裁判、 サンフランシスコ講和条約という歴史が、なぜ、どのように経過し、そして決着をみた日本現代史をどう見るか、 という歴史認識の大幅な組み換えに取りかかっている安倍政権の流れの中で起こった出来事である。
  自民党改憲草案はその集大成なのであるが、この流れの中でこそ、橋下発言は勃発したのであった。

  戦後の歴史はポツダム宣言の受諾に始まる。一般に日本人の1945年の記憶は、天皇の玉音放送と 「敗戦」 という国内的事件としてある。
  しかし、国際秩序形成としての1945年は、ポツダム宣言と日本政府による受諾であった。
  ポツダム宣言では、「われわれは、世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能(6項)。 日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。 言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする(10項)」。
  宣言は7月26日に通告され、8月14日、日本政府はこれを受諾した。
  軍国主義の絶滅と超克、平和の実現と人権、民主主義の関係は、世界人権宣言、国連憲章と完全に符合している。 すなわち、ポツダム宣言の受諾は日本が戦後の国際社会に復帰するための入り口だった。

  そして、サンフランシスコ講和条約はポツダム宣言の受諾と、明治以降の歴史の中で領有した日本以外の領土を完全に放棄したのである。
  日本国憲法もまたこの国際秩序形成の一つのマイルストーンであったのである。

  安倍首相は、侵略の定義は定まっていないとか、河野談話の見直しを繰り返し、また、日本全体では168人の国会議員が靖国神社参拝を行い、 かつ、首相も真榊を奉納している。
  そうすると、アメリカを含む国際社会は、日本が戦後史の出発となった一連の過程の修正に取りかかったのではないか、 との疑問を持ち始めていたとしても不思議ではない。 ウォールストリートジャーナル、ニューヨークタイムズなどの有力紙が疑問を投げかける論調を掲載し、アメリカ議会報告書も同様の疑問を提起した。
  その最中に5月13日の橋下発言がおこったのである。

  アメリカの政府当局者は、橋下発言を 「言語道断、侮辱的」 と断じたことに加えて、「日本が近隣諸国と共に、これら過去に起因する事柄に対処し、 それらの国々と前に向かって進んでいけるように関係を深めるよう取り組み続けることを期待する」(毎日新聞5月17日)と、 サキ報道官が述べていることにも注目したい。

〈従軍慰安婦と戦後責任──その修正〉
  ポツダム宣言受諾から東京裁判、サンフランシスコ条約締結の過程で軍国主義者の追放と民主主義の実現などは一応の達成をみた。 しかし、従軍慰安婦問題など戦時中の女性の人権侵害についての責任問題への言及はなかった。

  世界の人権運動は1990年代から2000年にかけてこれを追求し、1993年の国連世界人権会議、1995年の北京世界女性会議などを終え、 国際社会の合意として従軍慰安婦問題が未だ未処理であること、その補償と責任が追及されねばならぬことを確認した。
  1993年の河野談話はこうした運動の一つの到達として、日本政府がこうした国際社会の要請を受けて問題に取り組むことを明らかにしたものであった。
  これは、戦争直後の戦争責任のうちの未処理問題をようやく一応の解決をみた出来事だったのである。

  歴史の事実を修正する勢力は、@ 戦前、戦後の歴史認識を丸ごと作り替え(侵略再定義)、また、遅れて明らかにされた  A 女性の人権侵害(従軍慰安婦問題の責任)否定に取りかかっている。
  橋下政治家の一連の言動は A の部分への参与を明示的に、露骨にわかりやすく明らかにしたものであった。
  したがって、橋下政治家とすれば 「自分は変わったことを言っているわけではない。 安倍さん。あなたの言いたい本音を言っただけだ」 「何で自分の発言だけがバッシングされるのだ」 と言いたいのであろう。

  よって、今後の彼の反撃は、
  @ 自民党への批判 A アメリカの沖縄問題への批判 B メディアへの反撃
という形をとって休みなく続けられるはずである。

  自民党改憲草案はポツダム宣言→日本国憲法→サンフランシスコ条約──が作り出した国内体制の全面否認と作り替えの構想であって、 与党の態度も橋下政治家の発言もこの点について差異はない。
  世論調査では維新のみ支持をへらし、自民党だけが支持率を伸ばす結果となっている。これはメデイアの論調不足研究不足の結果といわざるを得ない。
  自民党改憲草案を問題とする我々としては、自民党安倍政権の戦後体制の否定転覆と橋下政治家の言動全体を視野に入れておくことが大切である。

  従軍慰安婦問題の発端と進展を筆者の認識の整理のためにまとめてみよう。
  上野千鶴子氏の 『ナショナリズムとジェンダー』 新版所収 「アジア女性基金の歴史的総括のために」 P.306で、 発端と経緯のわかりやすいまとめがあるので、以下の叙述はそれによる。

  1991年12月6日、金学順さんをはじめとする三人の元従軍慰安婦を含む戦後補償請求の提訴に始まった。 日本政府は戦後初めて事実関係の調査に乗り出し、1993年8月4日、宮沢喜一政権の下で河野官房長官談話が発表された。 「慰安所は、軍の要請により設置されたものであり、慰安所の設置、管理、及び慰安婦の搬送については、旧日本軍が直接、間接にこれに関与した。」
  「政府は、従軍慰安婦として、数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負わされた方々に対し、心からお詫びと反省の気持を申し上げる」 と謝罪した。
  村山内閣は1995年8月15日、内閣総理大臣談話を発表した。
  「わが国は過去国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、 多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えたことを認め、反省とお詫びの気持を表明するに至った。」(前同書307ページ)

  安倍首相は、河野談話と村山談話を基本的に引き継ぐとしながらも、「侵略の定義は定まっていない」 (朝日新聞4月24日)とか、「従軍慰安婦強制連行の証拠はあげられていない」(第一次安倍内閣答弁書)、 そして、「村山談話を今日の時代にあったように見直す」 と述べている。

  橋下政治家の従軍慰安婦容認発言は、単なる一政治家の舌禍事件ではない。 改憲の中心の柱となっている政権党総裁の戦後史見直し言動を背景として行われたのである。 それだけでなく、むしろそれをリードし、煽動する刺激的な言葉を用いたといえる。

  ウィーン国連世界人権会議(1993年)、国連北京女性会議(1995年)、国連クマラスワミ報告などが世界のフェミニズム運動、 国際人権運動のダイナミズムを背景として達成されたことがあればこそ、 アメリカ政府の橋下発言へのコメントが 「言語道断、侮蔑的」 という厳しい表現となってあらわれた。
  また、米議会報告書が日本政府のタカ派色への警戒感を表明し、東アジアの安定にとって好ましくないものとの表現に至ったと思われるのである。

  ポツダム宣言、対日占領初の軍国主義絶滅、民主化要求、非武装化の対日政策から見ると、日本国憲法改正への強い圧力、 集団的自衛権容認圧力は今昔の感がある。
  しかし、基本的人権の推進こそ、二次の大戦の悲劇の教訓とした国際社会の枠組(国連憲章、世界人権宣言)なのであり、 それを根本から覆そうとする安倍首相の言動、さらに、それに一歩先んじた橋下政治家の一連の発言は、韓国、中国、ヨーロッパ、アメリカ、 イスラム諸国など世界からの厳しい抵抗に遭遇せざるを得ないのである。
  自民党改憲草案そのような日本の右傾化の体系的構想として警戒感をもって迎えられているとみて間違いない。