トピックス   梓澤和幸

    特別評論    梓澤和幸

  衆院選予測とメディア―そして肝心な私たち
  客観的議題提示せよ 近過去への共感力研げ


  12月4日付朝刊各紙を見て驚かない人はいなかった、と思われる。自民党は少なくとも20議席を減らす、それがさらにどこまで減るのか、 という観測が通り相場だった。
  4日付各紙のうち、共同通信の配信と自紙の取材にもとづいて書いている信濃毎日新聞を見てみよう。 自民党は320前後と見て、誤差をプラス14、マイナス15と見る(自民党の現有議席は295である)。
  この数字の意味は大きい。衆院の定数は475だから相対多数を取るほか、衆院憲法改正発議の三分の二である317議席を超えるという予測である。
  これは一例であって、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日経新聞と自民党300を超す勢いという見出しが一斉に並んだ。

■選挙の歴史的意味
  なぜこうなるのか。「争点が分からん解散」 という俗説によって、膨大な無投票、無関心、無党派層が生み出されたことである。 信濃毎日新聞、朝日新聞は5割以上が決めていないとしており、投票率が戦後最低になる恐れを指摘する。 こうなると固定票の強い自民、公明、共産が強くなるのだ。実際公明堅調、共産ほぼ倍増の数字が出ている。
  解散権という絶大な権力を握った安倍晋三首相のアジェンダ(議題)設定は、「アベノミクスの是非」 であった。 メディアの任務は、政権の設定したアジェンダをそのまま流すことではない。この選挙が客観的に担う歴史的な意味を明らかにすることである。
  三つある。

  第一は集団的自衛権行使容認の是非への判断である。
  安倍首相自身が言ったではないか。「憲法解釈の最高責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上でわたくしたちは選挙で国民の審判を受ける。 審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」 (2014年2月12日衆院予算委員会の首相答弁)。
  これは憲法擁護義務無視、三権分立を無視する暴論だ。自民党歴代内閣の答弁の歴史の勉強の後もない。 こんな水準の憲法解釈論を公然たる場所で披歴する政治家を自衛隊と警察という組織的武装力のトップに据えておいてよいか、 という判断を国民が行うにはよいチャンスであるはずだ。

  第二は、秘密保護法である。
  あえてメディアとの関係に絞ると、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、信濃毎日新聞、北海道新聞ほか多数の地方紙が社説として反対を展開したではないか。
  取材と報道は著しく困難になる。そのメデイアの立場から法の廃止をいまこそ迫るべきだと思う。 それでもなお与党が法の施行に固執するなら、国民にこれは重要な争点であり。マスメディアとしても捨ておけないというべきだ。

■政治への敗北
  第三は、改憲による国防軍の登場と戦争の危険である。
  衆院で三分の二を取らせれば改憲発議の衝動が強まる。300議席超予測で改憲という争点が躍り出たのである。 改憲以前にも自衛隊の防衛出動要件を拡大し、海外派兵を可能にする自衛隊法改正、同じ意味を持つ武力攻撃事態法改正、 漁船襲来への自衛隊出動を可能にするグレーゾーン対策法ほかの法案も出てくる。
  尖閣をめぐる日中両国対立、2013年12月24日の安倍首相靖国参拝の強行、国内で不気味な盛り上がりを見せている嫌韓、嫌中、 嫌米の日本側ナショナリズムと、中国側にもある軍、官、民の反日機運と反発は、戦争の危険を普通の人にまじまじと感じさせた。
  新聞に 「戦争の危険」 という活字が躍る恐ろしい時代がきてしまった。普段政治のことをそうは語らない人からも 「戦争だけはいけない」 という声が聞こえる。
  ならば、総選挙の争点は好戦的姿勢をもった与党に弾みをつけるか(そういうことを好む向きも確かにいる)、それともいくら何でもそれはやめよう、 いや絶対に戦争に1ミリでも近づくことはいけない、この甲論と乙駁のどちらをとるか、ということが重要な争点になるはずだ。

  以上は与党か野党のどちらに組(くみ)して、ということではない。メディアは客観的なアジェンダを発見し、提示する義務をもっている、ということなのである。
  今回の議席予測をデータで把握したとき、メディアとしては、「しまった。これは政治にメディアが敗北していることだ、取り返さなければならない」 と考えをめぐらし、アベノミクス是非という作られた争点の影に追いやられている真の争点を引き出し、開示しなければならないのである。
  しかるにどうか。
  朝日新聞2014年12月5日版一面トップを見よ。「自民300議席の衝撃」 とあり、安部、海江田、橋下3人の政治家の演説写真を載せている。
  つまり、メディアが万歳している姿である。野党や人民が、ではなく、メディアが敗北しかかっているのである。

■広がる母の痛み
  どうすべきか。
  大きく作られた渦の中で、メディアの経営者、中堅幹部、一選の記者たちは一行でも一ページの記事、一枚の社説でも、 もがいてこの状況にぶつかるべきだと思う。記者は投票の予測ではなく農村、漁村、被災地、町の中に入って普通の民に声、それも黙して語らない人の声を聞け。
  そして、肝心の私たちはツイッターやフェイスブック、ブログで自分の魂から湧き出るような言葉でこの危機がなぜ危機なのか、書きまくるべきだ。 そして、能(あと)う限り、「ああ、決まったな、もう俺は(投票所に)行かない」 と言いそうな友人、知人に電話をかけて、 「これでいいのか」 と問いかけるべきだ、と思う。

  連続テレビ小説 「アンと花子」 の場面がよみがえる。息子を戦地に失った歌人白蓮は、戦死公報を受け取り一夜で白髪になった。
  そして 「子どもを失うことは、心臓をちぎられるようにつらいことなのよ」 と叫んだ。

  このドラマのナレーターを務めた美輪明宏さんは、ドラマの作者とのNHKにおける対談で、知人の 「さんちゃん」 という人の体験をあげた。
  息子(さんちゃん)が戦地に送られる船を見送りにきた母親が 「お前、生きて帰って来るんだよ」 と言った。 これをそばで見ていた憲兵が、「この国賊め、お国のために死んでこいとなぜ言わぬ」 と言って、その母親を固い鉄のようなところに打ち付けた。 母親は顔から血を流した。送られる息子は母の血を流す姿を目にしながら、直立不動で敬礼して去って行った。戦死して帰ってこなかった。

  作者の中園ミホさんは、「このつらい悲しい時代の記憶がいまに重なるんですね」 と沈んだ表情で美輪明宏さんの話を受け止めた。
  母たちの悲しみは、この日本とアジアの大地に深く、痛く、大きく広がった。2015年の来年はそのときからまだ70年しかたたない。
  私たちはこの近い過去への共感力を研ぎ澄ましそれをわが心に復活させることではないか。 私たちの言うべきこと、行動すべきこと、選択すべきことは明らかではないか。

【略歴】   あずさわ・かずゆき 1943年、群馬県生まれ。弁護士、市民メディアNPJ代表。報道被害救済、外国人の人権擁護に取り組む。 沖縄密約情報公開訴訟などの弁護に参加。近著に 「リーガルマインド 自分の頭で考える方法と精神」

琉球新報 2014年12月13日掲載