トピックス   梓澤和幸

  11月3日沼津9条の会で憲法について講演した。
  小学生、中学生にもわかるように理屈をさけ、事実と情熱を伝えるお話を目指した。
  沼津朝日という地域紙 (発行部数2万部) が丁寧に活字に起こし、同紙の11月4日版にほぼ全文を掲載していただいた。
  同紙編集部のご了解をいただきここに掲載する。
  安倍首相は組閣後の記者会見で改憲に言及している。いま憲法問題を言葉にするとき、核とすべき魂を表現した事例として参考にしていただきたい。
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  憲法って何、戦争をさせないために
    ぬまづ憲法9条の会が9周年のつどい


  ぬまづ憲法9条の会は9周年のつどいを、このほど労政会館で開催。第一部でフルートの演奏を楽しんだ後、第二部で弁護士の梓澤和幸さんの講演を聴いた。 梓澤さんは 「戦争をさせない私たち」 の演題で話し、「憲法って、なんだろう」 という話から始め、 集団的自衛権について、アメリカが行ってきた戦争などに言及しながら問題点を解説。戦争をさせないために、私達には何が必要なのかを説いた。

  集団的自衛権では…
    弁護士の梓澤和幸さんが講演


  梓澤さんは1943年、群馬県桐生市生まれ。一橋大学法学部を卒業し、71年に弁護士登録。山梨学院大学法科大学院で刑事訴訟法、 メディア情報法などを担当。
  外国人関連、報道被害など各方面の人権問題の弁護活動に参加。著書に 『リーガルマインド』(リベルタ出版)、『報道被害』(岩波新書)、 共著に 『「前夜」─日本国憲法と自民党改憲案を読み解く』(現代書館)がある。

  あたらしい憲法のはなし 梓澤さんは開口一番、「『憲法って、なんだ』 と今ほど考えさせられる時はない」 とし、 戦後、当時の文部省が発行した 『あたらしい憲法のはなし』 について解説した。
  この本の20ページから21ページには、次のように書かれている。

  くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。
  やけただれた土から、もう草が青々とはえています。
  みんな生き生きとしげっています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。
  ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。
  天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きていくことを、だれもさまたげてはなりません。 しかし人間は、草木とちがって、ただ生きてゆくというだけでなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。 この人間らしい生活には必要なものが二つあります。それは 「自由」 ということと、「平等」 ということです。
  人間がこの世に生きてゆくからには、(略) この自由は、けっして奪われてはなりません。 また、国の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えてはなりません。 そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。

  中学生に向かって、やさしい、心に染みるような言葉で呼び掛けた文章。憲法は、この自由は決して侵すことはできない、と国に命じている。
  「戦争についても同じこと」 だと梓澤さんは続けた。
  『あたらしい憲法のはなし』 は、9条の 「戦争の放棄」 について、17ページから19ページで、次のように説明している。

  よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないことをきめたのです。
  おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。
  なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。
  また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。
  そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
  みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにしましょう。

  ここでは 「戦争の放棄」 を国に命じている。
  国はかつて政府答弁書(1981年5月29日提出)で次のように規定している。
  「集団的自衛権はどの国にもあります。しかし憲法で戦争をしないと決めたので、自分の国が攻撃されていないのに、この権利を使うことはできません。 鉄砲や軍艦を出して、ほかの国を攻撃することはできません」
  梓澤さんは指摘する。「憲法は偉い政治家や総理大臣に向かって憲法を守らなければ歴史の処罰を受けることになると言っている」
  舛添要一東京都知事も知事就任後、著作の中で次の趣旨のことを言っているという。
  「首相や政治家が憲法を守らなければ、人民には抵抗権がある」
  このことは、芦部信喜元東大教授(故人。憲法学)が自著の中で述べているというが、梓澤さんは 「まさに抵抗権をうたったのが憲法であり、 これが立憲主義」 だと指摘した。

  集団的自衛権は戦争の放棄を変える 集団的自衛権の分かりやすい例として、梓澤さんはベトナム戦争を例に挙げた。
  梓澤さんが用意したレジュメには、ベトナム戦争における写真2枚が掲載されていた。
  いずれも著名な写真で、一枚は、ナパーム弾で村を焼かれた子ども達が泣きながら道路を逃げてくるもの。中央の女子は衣服を焼かれたのか、全裸でいる。 その後方では、銃を持つ兵隊が歩いている。
  もう一枚は、女性と子どもだけの一家が川を泳ぎ、必死に逃げている姿を捉えた。日本人の沢田教一氏が撮ったもので、ピューリッツァー賞を受けている。 その沢田氏も戦場に斃(たお)れた。
  このベトナム戦争も集団的自衛権の名のもと、同盟国であった当時の南ベトナムのため、アメリカが遠く出兵したもので、韓国からも同様に兵隊が送られ、 5千人近くが戦死しているという。
  「集団的自衛権のもとで、イラクやアフガニスタンに来てほしいとアメリカに言われたら、断るわけにはいかない」 と梓澤さん。
  元外務官僚の孫崎享さんの言葉も引きながら、「自衛隊に起きることを自衛隊だけのことと思ってはいけない。 私達の息子や娘がやらされるかもしれないこと」 だと危惧し、集団的自衛権によって、日本とは関係のないところへ引っ張り出される危険性を指摘。 集団的自衛権行使の閣議決定に言及し、「憲法に決められていることにたてついた初めての総理大臣」 だと断罪した。
  南ベトナム政府の要請を受けたとの名目で集団的自衛権を行使したアメリカだが、当時の歴代大統領の政治的自己防衛であることが、 7千ページにもわたる政府の文書(ペンタゴン・ペーパーズ)で明らかになった。
  そこには、ダニエル・エルズバーグという政府の役人とニューヨーク・タイムズの勇気ある行動があった。
  1964年8月、アメリカ議会は、当時の北ベトナムから砲撃を受けたので、大統領に戦争遂行のためのあらゆる権限を与えるとの決議をしたが、 この決議は、その4ヶ月前に既に誕生し、決議文まで出来上がっていた。このことについてニューヨーク・タイムズは1971年6月13日から連載を始めた。 政府は差し止めを求めたが、連邦裁判所は、これを棄却した。
  連載を始めるに際して、当時のニューヨーク・タイムズの副社長は、こう言ったという。 「戦争のうそを暴けば政府との闘いになる。それでもしなければならない」
  エルズバーグは、スパイ防止法違反によって10年の刑を受ける。しかし彼は、「責任あるアメリカ市民として、情報を隠すことはできなかった、 自分のしたことで戦争を終わらせることに少しでも役立つなら10年間刑務所に入っても安いものだ」 との感動的な演説を残している。 (田中豊 『政府対新聞』 中公新書)
  彼に対して行使されたのがスパイ防止法であり、日本の 「特定秘密保護法」。梓澤さんは 「戦争と政府のうそ、良心への弾圧は一体となっている。 残念ながら、そういう時代になってしまった」 と指摘。「今なら戻れる。だから 『前夜』 だ」 と規定した。
  そして、自民党の改憲草案や2013年当時の石破茂・自民党幹事長のテレビでの発言を捉え、国防軍を治安出動に出動させることもできる規定や、 出動命令に絶対服従させるため、自衛隊ではなく国防軍でなければならないという考え方に、「憲法改正草案は徴兵制を真剣に考えたものであり、 自衛隊だけの話ではなく、自分の息子がそうなるかもしれないという受け止め方をしなければだめだ」 とした。

  メディアが戦争に導く危険性 戦前の1931年。9月18日の満州事変の後、朝日新聞は、翌18日から10月12日まで反戦を主張。 しかし、軍人が中心となって不買運動が起き、ついに反戦継続を断念。 「現在の軍部及び軍事行動に対しては絶対避難・批判を下さず極力これを支持すべきこと」 といった内容が憲兵調書に載っているという。 (半藤一利、保坂正康著 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』 東洋経済新報社刊)
  政治と金の問題で、自民党だけでなく、民主党からも問題が出てきた。これを捉えて 「撃ち方やめ」 発言があった。誰が言ったのか。 朝日新聞は首相の発言として報道したが、「それは自分の発言だ」 と名乗り出る議員がいて、その後、ことさらに朝日の報道を取り上げる発言が続いた。
  「しかし」 と梓澤さん。各紙に目を通したが、いずれも 「首相の発言」 だと報道していることを確認。 意識的な攻撃が続いていることを指摘しながら、今の流れの危うさを示唆した。

  私達にできること 今の状況の中で私達は日々をどう過ごせばいいのか。梓澤さんは言う。
  自分達が今、戦争の中にあるのでなくても、戦争になっている地のことを思うこと。ガザの子ども達の姿を、ぐっと自分達の法に引き付けること。 距離を越えた共感を持つこと。今起きている現実の中で、どんな悲劇が起きているのか実感すること。
  ガザと70年前の歴史が重なれば、70年前の出来事も共感できる。その共感を踏みにじろうとしていることに抗(あらが)うことが私達ができること。
  「絶望的な中にあっても希望を持てる言葉がある」 として梓澤さんは、 公民権運動を続け、凶弾に倒れたマーチン・ルーサーキング牧師の言葉を挙げて講演を終えた。
  私には夢がある。いつの日か(中略)(差別的な州知事がいる)アラバマ州が黒人の少年や黒人の少女が白人の少年や白人の少女と兄弟姉妹になって手をつなぎ、 一緒に歩くような状況に変貌するのです。
  私には夢がある。いつの日か、あらゆる谷間は高く上げられ、あらゆる山や丘は低くならされ、起伏のある土地は平原になり、 曲がった場所はまっすぐになるのです。神の栄光は示され、あらゆる人間が皆一緒にそれを見るのです。
  これが、われわれの希望です。この信念で私は南部へ戻って行くのです。この信念でわれわれは絶望の山から希望の石を切り出すのです。 (『アメリカの黒人演説集』 岩波文庫、荒このみ編訳)
「沼津朝日」 2014.11.4 掲載