トピックス   梓澤和幸

「戦争をやれる憲法・個人より公を優先する自民党改憲案」
国分寺・市民憲法教室第4回 2015年9月13日


 はじめに――有実、有理、有魂

  井上ひさしさんという作家がいます。浅田次郎さんの何代か前に日本ペンクラブの会長をされていました。 井上さんは2010年に亡くなりましたが、亡くなられたその日に、私は国立駅前の東西書店へ行って、「井上さんの本はありませんか」 と書店の方に訊いた。 すると 「井上ひさしさんって誰ですか」 と言われたのです(笑)。それでも、粘ると 『井上ひさしと101人の作文教室』 (新潮文庫)が一冊ありましたと答えてくれました。
  これは井上さんが精魂を込めて語った、言葉や文章に対する情熱のこもった本です。なかなか泣かせる本でもあり、お薦めなのですが、 その中に 「難しいことを深く、やさしく、面白く」 という言葉があります。それから、「あなただけが体験したことを誰にでもわかる言葉で」 文章にしなさいとあります。 私もこの言葉をモットーに、法律、憲法、人権を語っていきたいと思います。
  1960年代に中国を旅した時、ある言葉に出会いました。「有利、有理、有節」 です。利益になり、理論があり、かつ節度があることを書かれているもので、 当時の中国のリーダーであった劉少奇氏が語っていた言葉です。
  憲法を語るのに、理屈で始まって理屈で終わるのでは、井上さんの遺した言葉に反する。 それで私は、「有利、有理、有節」 をもじって、「有実、有理、有魂」 という言葉を自分で造語しました。
  憲法について話すと、理屈で始まって理屈で終わりがちですけれども、今、目の前にある事実を受けとって、その中から憲法の理論を発見する。 それが有実、有理ですね。しかし理屈だけではダメだ。そこに魂を込めてお話しし、魂を込めて受けとめる。それが有魂です。
  本日はこの有実、有理、有魂を目指しながら、お話をさせていただきたいと思います。

  憲法とは何か、立憲主義とは何か

  レジュメの1にある 「憲法とは何か」 ということに関わるお話です。憲法学者も弁護士も、少なからぬ人々が 「立憲主義」 という言葉を使っています。 安倍政権によって立憲主義が破壊されている、というふうに。
  しかし、「おばあちゃんの原宿」 といわれている巣鴨のとげぬき地蔵の商店街に行って、70代、80代のおじいさん、おばあさんに立憲主義について訊いても、 「立憲主義って何ですか?」 と言われてしまいます。
  いま国会では、憲法とは何か、ということが問題になっています。憲法学者の長谷部恭男さんは、 衆議院の憲法審査会に自民党に推薦されて参考人として出てきましたが、自民党が賛成している安保法案が憲法違反だと言って、 自民党はのけぞってしまったんですね。
  その時以来、憲法違反という言葉をよく聞くようになりました。ですが、憲法違反とは何か。 よく、憲法に違反して政治をやってはいけないというのが立憲主義だといわれます。あるいは、憲法は権力を縛るものだという。 けれども、それは事実の中でどういうふうに現れるかが分かりにくいですね。先ほど言った有実で語ってみたいと思います。
  2013年4月、安倍さんが国会答弁で、「改憲発議要件だけを取り出して、衆参両院の国会議員の3分の2ではなく、 2分の1で発議できるような憲法を作らないといけない」 と言いました。「憲法を国民の手に取り戻せ」 と。これは彼の名(迷)言です。
  3分の2だからいつまでも憲法改正ができない、2分の1だ、自民党は2分の1を持っているから、文句があるかと。
  これがどういうふうに問題なのでしょうか。自民党改憲草案100条の中に、「憲法は国会議員の2分の1の発議で改憲できる」 と書いてある。 それがなぜまずいのか? というところが、私流の 「憲法とは何か」 です。
  憲法を理解するのに、立法、行政、司法の三つの権力を三権分立といいますね。これは憲法の理屈の?み方としてはいいけれども、事実としては分かりにくい。 安倍さんによって非常に分かりやすくなったのですが、いったい彼は何をやろうとしているのでしょう。
  つまり、総理大臣は2分の1の議席で選出されますが大きな権力を握るわけです。いちばん重いのは、自衛隊の最高の指揮官となります (自衛隊法7条)。 「行け!」 という防衛出動命令は、今でも自衛隊法で内閣総理大臣の安倍さんが出せる権限がある (自衛隊法76条)。これが一つ。 そして、警察のいちばん上に位置する国家公安委員会の委員長である国務大臣と国家公安委員を任命する人事権も総理大臣にある。 それから、全国の刑務所の所長を任命する、その上にいる法務大臣も総理大臣が任命する。
  ですから自衛隊、警察、刑務所、それから、税務署はどうですか? 国税庁長官を任命する財務大臣はやはり総理大臣が任命する。 司法の長である最高裁長官も、内閣の指名に基づいて天皇が任命する。このように、内閣総理大臣は重大な権限を握っているのです。
  憲法学者の小林節さんは、自然人の力を超えた力を持つ者、それを権力者と呼ぶと、おもしろい喩えをされています。 皆さんのご家庭にも権力者がいるかもしれない (笑)。それは自然人の権限を超えているわけです。
  自然人は対等に発言し、交流し対話するでしょう。ところが、自衛隊を握り、警察を握り、政敵がいたら税金にも突っ込むことができる。 裁判所だって世間が考えている以上に現場の裁判官は最高裁事務総局の監督下にあります。 裁判所裁判官が事務総局とその出身の司法官僚に統制されている実態は新藤宗幸著 『司法官僚』(岩波新書)を参照してください。 裁判官と裁判所に絶大な影響力をもつ最高裁判所長官も、内閣が指名権を持つわけです。
  問題は、このような権力をもつ内閣総理大臣と内閣に対して憲法はいかなる意味を持つのかです。 山の上にあるトロッコを、線路にのせると、暴走する危険を持っている。 自然人の力を超えた力を持つ者、それも絶対的な2分の1の権力を持つ権力というトロッコを抑えるブレーキが、憲法なのです。 ブレーキを機能させるためには二分の一では改憲できない。二分の一権力をおさえるだけの3分の2の議席と国民投票それがブレーキになる。 そして、その厳重なブレーキは勝手にはずしてはならないから、2分の1改憲案にすると憲法を憲法でなくす。 すなわち奥平教授の言葉によれば憲法への死刑宣告なのです。
  これは恐ろしいことです。安倍さんの場合は、憲法を変えなくても集団的自衛権の行使を二分の一で容認しようとする。 これはもっと害悪がすごい。アメリカの大統領就任式では大統領に選出された人が、 国民と神に向かってあくまで合衆国憲法を守って権限を行使すると減縮に宣言するのは、そういう意味のこもったことなのです。
  熟慮の知恵で、衆参両院の国会議員の3分の2までが納得して改憲発議ができる。そして国民投票という特別な要件があって、憲法が改正できる。 それができないうちは、憲法に反することをやってはいけない。これが憲法のブレーキであり、危ない時にそのブレーキがかかるようにしているのが立憲主義だと、 私は考えています。
  ですから、2013年4月の安倍さんの国会答弁、そして石破自民党幹事長(当時)が熊本での演説で述べた2分の1改憲案は、 憲法を憲法でなくすことであり、ブレーキをかけなくするということです。
  「憲法とは何か」 とタイトルに挙げたのは、そういうことです。

  戦争の惨禍によって鍛えられた人権

  さて、自民党改憲案の中で、ここはさすがに変えていない、というところがあります。それは刑事手続きです。 人を裁判にかけ、殺人を犯せば死刑か無期懲役というふうに、刑法で決まった法定刑に基づき、しかも裁判のしかるべき公正な手続きに従って、 処罰が行われる。それまでの捜査も、憲法で決められたとおりにやらなければいけない。ここはほとんど変えていないですね。憲法とは何かを物語っている。
  それでは、どこを徹底的に変えたか。これからお話しするレジュメのトピック2ですが、条文を見ながらお話ししたいと思います。
  自民党に憲法改正推進本部起草委員会というのがあって、おなじみの政治家の名前が出てきます。 特に船田中氏、石破茂氏、事務局長は法的安定性は関係ないと述べて名をはせた磯崎陽輔氏と、こういう人たちがまとめたのが自民党改憲草案です。 東京都知事の舛添さんも、これにはついていけないと言って決別した。
  そして、立憲主義に反する自民党改憲草案を批判しているぐらいです。
  自民党改憲草案9条と現行憲法9条を比べると、まず2項が全然違います。現行憲法9条では、 1 「国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」とあり、 2 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」 とある。
  政府は度々の答弁で、自衛権はどの国にも固有の権利としてあると述べています。しかし憲法9条では、戦争をしないと決めた。 したがって集団的自衛権はこの憲法の趣旨にてらせば行使できないと。
  1 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。2 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない」。
  この全体の趣旨は何かというと、第一次世界大戦と第二次世界大戦で、世界がものすごく酷いめにあった。 特に第一次世界大戦は、戦争の概念を変えたわけです。それまでの戦争というのは、前線の方で軍隊が戦うという、軍隊と軍隊の戦争だった。 トルストイが 『戦争と平和』 で書いたような、前線の兵隊が撃ち合う戦争ですね。
  ところが第一次世界大戦は、戦争の目的を変えた。相手の国の人口を全滅させる。つまり国民全て、非戦闘員も殺すというように、大きく変わった。 それがあまりにも悲惨だったので、第一次世界大戦の後に、戦争はやらないと国際合意で決めて、不戦条約ができたんですね。
  次に第二次世界大戦があった。これは第一次世界大戦よりもっと酷かった。二つの大戦の両方を合わせると、約1億6000万人が亡くなった。 戦闘員だけではなく、非戦闘員の一般人が死んでいます。四人の家族がいるとすると、そのうちの一人が死んで、世界中の家族が悲しんだ計算になります。
  そういう流れを受けて、国際的な力でこれを繰り返してはならないという機運がますます高まった。 こうして今の国連憲章と世界人権宣言が定められたのですが、そこで非常に大事なのは、人権を守らなかったがゆえに戦争になった。 だから、戦争を阻止するためには人権を徹底的に守らなければいけないということです。
  人権をずっと掘り下げていくと、個人に行き着きます。元々近代の憲法を持っていた、個人を大切にし、 国家はその個人の人権を守るために存在するという思想が、さらに二つの大戦をくぐって鍛えられたのです。
  戦争の惨禍によって鍛えられた人権は、立憲主義を徹底するし、国家を縛ることによって人権を守る。 ドイツのナチズム、イタリアのファシズム、日本の軍国主義、天皇主義を縛ることなくして、次の戦争を阻止することはできないというのがその精神で、 ポツダム宣言にもそれが謳われた。それは軍国主義の絶滅、人権の保障、軍事力の徹底放棄です。 日本はポツダム宣言を受け入れることによって、無条件降伏の道を選びました。
  ところが、こともあろうに安倍さんは、国会で野党議員の質問に、ポツダム宣言を詳らかにしていないと答弁したのです。
  詳らかにしていないというのは、アメリカへ行って帰国した時の昭和天皇の発言を思い出させます。 「あなたの戦争責任をどう考えているか?」 とザタイムズの記者が問うた。 それに対して天皇は、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないでよくわかりませんから、 そういう問題についてはお答えができかねます。」 と答えた(1975年10月1日 日本記者クラブ天皇、皇后記者会見 「アメリカ訪問を終えて」 の記録から)。

  ベトナム戦争と集団的自衛権の事実

  9条に戻りますと、自民党改憲草案9条2項の規定は、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」 とある。 自民党の 「日本国憲法改憲草案Q&A」 によると、この自衛権の中には、集団的自衛権を含むということがはっきり書いてある。 9条2項の改正は、個別的自衛権、集団的自衛権を含むということです。ですから、自衛権の発動としては、国が攻められた時ではなく、 アメリカの軍艦や飛行機や軍人が攻撃されたら武力行使をするし、戦争をするわけです。
  分かりやすく言うと、同盟国の関係にあるアメリカが攻撃されたら、自衛権を発動することが集団的自衛権です。そのいちばん酷い例は、ベトナム戦争です。
  私は1962年に大学に入学し、67年に卒業したのですが、ベトナム戦争の真っ只中で、この戦争は同時代的出来事でした。
  当時、アメリカの属国であった南ベトナムが攻撃された。それは自国が攻撃されたのと同じだということで、アメリカは集団的自衛権を行使した。 戦争が本格化したのは64年8月から65年2月ですが、それまでもフランスとベトナム人民軍の戦いがありました。 そして64年8月、ベトナムのトンキン湾で、北ベトナムの軍艦がアメリカの軍艦を2回砲撃してきたとの理由で、北ベトナムへの爆撃を本格化することになります。
  アメリカの上院と下院は、当時のジョンソン大統領に、この戦争を勝ち抜く全ての武力遂行権限を与える決議をしました。
  当時、国防長官だったマクナマラは、ケネディ政権の頃から高官の地位にいて、ずっとベトナム戦争に関わってきた人ですが、 アメリカのベトナム戦争への関わり方はどうも変だと考えるようになった。そしてそのことを、補佐官だったバーンズ国務次官補(当時)に話したのです。
  バーンズは、40人の政府官僚たちに、この戦争に関する公式ドキュメントに基づいて勉強しろと命じた。 その中にダニエル・エルズバーグも入っていたのですが、彼は重要な発見をするのです。 ベトナムの戦争にアメリカが本格的に入ってきた、1964年8月のトンキン湾事件のシナリオが、4か月前にできていた。 そのことを合計40巻、7000ページに及ぶ政府の公式文書 「ペンタゴン・ペーパーズ」 の中から読み取ったのです。 その文書を読み通したのは、エルズバーグの述懐によれば彼ともう一人のスタッフだけでした。
  エルズバーグは、これは放っておけないと責任を感じました。けれども、外に出せばスパイ防止法で10年刑務所にぶち込まれる。 日本でいえば特定秘密保護法に反するので、10年ぶち込まれることになる。それも覚悟の上で有力な上院の政治家フルブライトに資料のコピーを渡した。 けれども、全然活用されないまま1年間も放っておかれました。
  このままでは仕方ないというので、ニューヨーク・タイムズにそれを渡した。ニューヨーク・タイムズでは、優秀なスタッフが1カ月以上かかって読み込み、 エルズバーグが言っているように、ベトナム戦争はおかしな戦争だということを認識した。そうして連載スクープを打ち始めたのです。
  1970年代初め、まだベトナム戦争の真っ最中のことです。日本でいえば満州事変の真っ最中に、嘘に満ちた戦争だということを有力な新聞が書き始めた。 それでアメリカ政府は、こんな国益に反する報道はあり得ないと、差し止めようとした。 下級審ではニューヨーク・タイムズ側が負けたのですが、連邦最高裁はきわどい多数で、アメリカ政府がかけた差し止めをふっ飛ばしたのです。
  さて、エルズバーグはスパイ防止法に引っかかり、懲役10年を食らうというので、最初は身を隠していたのですが、やがて公然と出てきた。 記者団に 「後悔していないか」 と訊かれたエルズバーグは、いや、後悔していない。 後悔するとすれば、公表が1年遅れたために、その間にアメリカ兵がたくさん死に、ベトナムの人が犠牲になったことだと答えた。 懲役10年になりますねと記者団に訊かれた彼は、「いや、これで戦争を止めてアメリカの兵隊とベトナムの人たちが助かるなら、 懲役10年は安いものだ」 と答えたのです。100人ぐらいの記者団からは、「いいぞ、ダニエル!」 の声と拍手が飛びました(田中豊著 政府対新聞 中公新書参照)。
  ニューヨーク・タイムズの報道の姿勢もすごかった。ニール・シーハンという主任の記者に、レストン副社長がこれは大丈夫かと尋ねた。 主任が大丈夫だと言うので、社内の記者を集めて演説した。この言葉がまたすごいのです。
  これは 「政府との闘いである。会社の経営も危なくなり、ニューヨーク・タイムズは潰れるかもしれない。 しかしながら、今は一階にある輪転機を二階に上げて一階を貸してでも、三階に上げて二階を貸してでも、……最後は一四階に輪転機を上げてでも、 我々は闘うぞ、」 と号令をかけた。
  当時のアメリカの反戦運動はものすごい勢いだったのですが、さらに火をつけた。 こうして、アメリカ軍は1972年にベトナムから撤退し、1975年にベトナム戦争は終結しました。
  ここに有名な沢田教一さんの写真をお見せします。村を爆撃で焼かれて子どもと老母をつれて河を渡る女性の写真です。 この写真で澤田さんはピューリッツァー賞を獲りました。沢田さんは後に、写っている女性に会って賞金の一部を渡していますが、戦闘で撃たれて亡くなります。
  それから韓国も、集団的自衛権ということでベトナム戦争に軍隊を送り、4899人の兵士が亡くなりました。
  今年の5月15日に、早稲田大学記念大隈小講堂で 「〜どう考える 集団的自衛権〜 僕たちにしのび寄る戦場。20代の若者が見た戦争のリアル」 と題して集会を行い、当時ベトナムに送られた元韓国軍兵士の柳秦春(ユジンチュン)さん(現在 韓国慶北大学農業経済学部教授)を呼びました。 パネリストの一人は日本ペンクラブ会長の作家・浅田次郎さんですが、浅田さんは自衛隊に2年いました。 彼が自衛隊にいた2年間と、柳さんが韓国軍にいた2年間はちょうど重なるのです。 柳さんの語った忘れられない言葉があります。「戦場に行った人間は二度と元の人間に戻ることはできない。相手を殺さなければ自分がやられる。 戦場に行く前に苛酷な訓練を受けたがそれはこんなにひどい目に合うなら戦争に行った方がましだと思わせるものだった。 ひどい訓練をする上官を部下の兵隊が大きな石で頭をなぐり訓練場の近くの川が血でそまるのを見たことがある。」 と。
  浅田さんは、日本には憲法があったから、我々はベトナムに行かなかったと言いました。 しかし、今言われている集団的自衛権では、ベトナム戦争のようなことがあれば自衛隊は戦場に行くことになるわけです。
  ベトナム戦争で米軍兵士は約5万8000人、韓国軍兵士は約5000人が亡くなった。 しかしそれよりもっと大きな被害は、約200万人のベトナムの人たちが命を奪われたことです。
  ベトナム戦争には何の大義もありません。大義がないのに、アメリカ歴代の大統領と軍部の都合によって、もしベトナムで負けることがあれば、 ドミノ現象のようにアジア各国が社会主義化してしまう。そうなれば我々政治家の責任が問われるという、ただそれだけの理由で集団的自衛権が使われたのです。
  それが有実、つまり事実が示す集団的自衛権です。自国が攻撃されていないのに、同盟関係にある国が攻撃されたら出撃する。 自民党改憲草案9条2項はそれを正面から認めている。自民党の 「日本国憲法改憲草案Q&A」 にはっきりとそう書いてあります。 もし改憲されれば、安倍さんは安保法案であんなに憲法違反だとして批判されることはなくなる。 そして日本の平和のため、国民の皆さんを守るためだと言って、集団的自衛権を行使することになるのです。

  自衛隊を国防軍にし、軍法会議へ

  もう一つ大事なのは、自民党改憲草案9条2項で、それまで自衛隊と言っていたのを国防軍にするということです。 石破さんは2013年4月21日放映の番組 「週刊BS―TBS」 で、杉尾秀哉キャスターに 「国防軍というけれども、なぜ自衛隊ではなくて軍なのか」 と訊かれて、 よくぞ訊いてくれたと、次のように話しました。
  「自衛隊というのは命令に違反しても、自衛隊法でせいぜい懲役7年。ところが、前線に行って撃ち合い、怖くなって逃げ出して懲役7年では、 逃げ出した方がいいという選択をする兵士が出てくるかもしれない。だから、やはり軍にしなければならない。 そして、もし命令に反すれば死刑、無期懲役または懲役300年にする」 と。自衛隊改憲草案9条の2、5項には次のように書かれています。
  「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、 国防軍に審判所を置く。 この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない」。
  戦前の軍法会議のことについて訊かれた、ある国会での陳述があります。昭和48年7月、衆議院法務委員会で、 社会党から参考人として呼ばれた作家の結城昌治が述べたものです。その結城さんが話されたのですが、 日清・日露戦争以来、軍法会議で判決を受けて処刑された人は約2万人、それから日中戦争以降で1万2000人だそうです。
  俳優でコメディアンの植木等さんの父親は、日蓮宗の僧侶でした。その父親が出征する兵士に向かって、「鉄砲を撃つ時には当たらないように撃て。 自分も当たらないで帰ってこいよ」 と言ったそうです。
  そういう人が、自分の信念に反するから鉄砲を撃たない、殺すのは嫌だと言ったら、軍法会議で死刑か無期懲役、または懲役300年。 国民の人権を守るためにはそれぐらいしようがないと、石破さんは言ったわけです。
  自民党改憲草案の中には、そのことが盛り込まれている。9条2項が、集団的自衛権でいつでも戦争をすることができる規定。 そして9条の2が、国防軍の規定です。
  安倍さんは、野党から与党に戻る時の衆院選の政見放送で、「国防軍だ」 と叫んでいました。 わたくしたちはいつの間にか、このことを忘れてしまっているんですね。

  後方支援、救出活動という名の戦争

  集団的自衛権でどういうことがなされるか。国会の安保法制論議で出てくるのは、まず後方支援です。 重要影響事態法という法律が後方支援を扱っていますが、兵站(ロジスティクス)が正しい名称です。 後ろから前へ、油やトラック、装甲車や銃弾などを運ぶことです。政府は国会で、戦闘中はやりませんなどと言っていますが、 すぐに戦争が始まるかもしれないし、戦闘中であっても米軍の航空機に給油するのはいいと言っている。
  重要影響事態法という法律は、今まで周辺事態法と呼んでいた法律の名前を変えたものですが、その条文に、戦闘中であっても、 遭難者の救助等に取りかかった時は、救助活動は中止しないとはっきり書いてある。
  戦闘地域ではなく、戦闘中ではない時に、遭難者や、船から落下した米軍の軍人がいるとします。 すると水上飛行機が出動して、落ちている軍人の救助活動をするわけですね。テレビでも見ましたけれども、水上飛行機が出て行き、 落ちている軍人のなるべく近くに停め、自衛隊員はそこから泳いで救いに行く。ものすごく難しい救出活動、すでに訓練が行われています。
  ところが、出動した後に戦闘が起き、撃ち合いが始まってしまった。それでも救助活動は止めずに突っ込んでいく。 答弁ではなく条文の中に、救助活動は立派な正当行為だと、あたかも人道主義ふうに書いてあります。ですが、これは敵と戦う戦争そのものです。
  ですから自民党改憲草案は、現行憲法を公然と戦争をする憲法に組み替えるものです。 そして、今の手続きでは国会議員の3分の2ですが、それを2分の1に変えて、改憲を行おうとしているわけです。
  集団的自衛権を行使するとはどういうことかが、これでよく分かるでしょう。今は幸か不幸か、我々は事実によって、 自民党改憲草案の危険性を勉強することができるのです。

  「公益及び公の秩序」による表現の自由の抑圧

  戦争をすることになれば、それに対する反対運動が、事前にも戦争の最中にも必ず盛り上がります。 自民党改憲草案には、それを抑えつけることができるようにする条文が、個人より公益を優先するかたちででき上がっています。
  人権の中でもいちばんの中心のものは表現の自由です。今の憲法では21条に表現の自由が保障されています。 「集会、結社及び言論、出版その他 一切の表現の自由は、これを保障する」 となっています。
  自民党改憲草案21条では、この部分はあまり変わっていない。 けれども2項に、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、 認められない」 とある。これはすごいことです。
  今までは、表現の自由の保障は、国の主人公である国民が発言をするのにとても大事なことだから、絶対的な保障であり続けてきました。 ただし、他の人権とぶつかり合う時、たとえばものを書いて名誉棄損する、プライバシーを侵害する時は、人権と人権が調整されなければいけないわけですね。
  そのために用いられた言葉が 「公共の福祉」 です。つまり、人権と人権の衝突を調整する原理を公共の福祉と呼んだのです。 公共の福祉とは、人権相互の衝突を調整する実質的公平の原理であると、憲法学者の宮沢俊義さんが一行で定義しました。
  つまり、人権は最高のものだから、人権を抑えることができる利益は憲法上ない。しかしながら、他の人権という最高の価値が出てきたら、 それは調整されなければいけない。そして、公共の福祉に問題がありそうな表現の自由は、たとえば名誉棄損の場合には名誉棄損罪もあるし、 プライバシー侵害も損害賠償請求を受けることになります。
  ところが、自民党改憲草案では、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」 となる。
  これも、事実に即して考えてみたいと思います。たとえば、国分寺駅南口はとてもいい構造になっていて、人が行き来するともに、そこで集会をすることが、 当然の前提として設計されています。
  つまり国分寺駅南口は、人が通行したり行き来すると同時に、表現の自由の場所になっている。そのことをパブリックフォーラムといいます。 これは表現の自由あればこそ、なのです。表現の自由の圧倒的な保障あればこそ、パブリックフォーラムがあるわけです。
  それに対して、自民改憲案の理論を立てていったらどうなるでしょうか。駅前の階段あたりまではJRの持ち物ですから、鉄道営業法の規制をうける。 ビラなどの配布につき駅長の許可がないと罰金の軽い科料という刑事罰をうける。するとビラまきをすれば現行犯として令状もなく逮捕されます。 警察に捕まえられる。さらに、駅の構内から道路に出てビラをまくとたとすると、こんどは道路交通法で取り締まりを受ける。
  ですが、それでは困るから、公園や道路はデモをする場所でもあるし、駅前広場は大事な、表現の自由の場所でもあるということで、 パブリックフォーラムという言葉が使われます。
  たしかに、人の行き来を妨害してはいけないので、妨害にならないようにうまく調整して集会をする。その時には弾圧できない。 これが、今までの憲法21条だったのです。
  ところが自民党改正草案では、軍という利益、軍隊を守るという利益に対する批判や、天皇を元首とすることに対する批判は、 憲法に新しく持ってきた公益に反するものだから、制限できることになってしまう。そうなると、表現の自由は行き場がなくなるのです。
  国会前のシールズのデモ集会や官邸前の原発の集会などもどんどん取り締まられるでしょう。

  自民党改憲草案21条の“精神”

  2011年3月11日以降、特に3月15日の福島第一原発の水素爆発で、建屋が吹き飛んだ後、各駅頭での原発反対運動、首相官邸前の毎週金曜日の行動は、 駅頭や官邸前をパブリックフォーラムと位置づけました。これによって、今までの表現の自由はぐんと拡大したわけですね。
  ベトナム戦争当時、1960年代は、その場所へ行く前に旗竿と旗を巻かされて、デモではないかたちでの請願行進に止められていた。 ところが、こんどの原発反対運動、金曜の官邸前行動は、それをぐっと広げた。公安条例による届け出などしなくても、警察に弾圧されないようなところまで、 表現の自由を拡大してきたわけです。これはまさに、今の憲法21条の精神に基づく行動です。 それは、特定秘密保護法や安保法案に反対する若者や、年配の人たちの行動に引き継がれている。
  ところが、自民党改憲草案では、それが 「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」 とされてしまう。 60年代の請願行進と同じで、それ以上やるな、公安条例違反で逮捕だ、というのを容認することになる。SEALDsなどの結社の自由を制約することになるのです。
  そしてもう一つ大切なことは、表現の自由とはただ発信するだけではなく、情報を受けとり、流通させる自由だということです。
  日本も批准している国際人権規約の19条1項に、個人が自分の意志で国の行く末を考えること、決定することに国家は干渉してはならない。 そのために人民は発信し、情報を受け、それを流通させる自由を持つ、ということが書いてある。
  ところが、これに反することが原発事故の後に起こったのです。福島第一原発の吉田昌郎所長(当時)が 「吉田調書」 で語っていますが、 3月15日は二号機から音がして、危ないことになった。その時に、飯舘村や福島市が汚染されたわけです。 浪江町赤宇木では、300マイクロシーベルト、許容量の数千倍の線量が検出されました。
  政府はそれを知っていました。しかし、パニックが起こることを恐れて、その情報を抑えてしまい、住民には全然知らされなかった。 そして、そうとは知らずに、南相馬などの海岸の方から逃れて来た人もいたのですが、実は危ない場所だったのです。
  私はNHKが相手のある事件で弁護を担当して、証人に訊いたのですが、アメリカ大使館関係者とフランス大使館関係者は、 3月15日にヨウ素剤を飲んだのです。フランス人のかなりの人たちが飲んだらしい。 それに対して、その時に日本でヨウ素剤を配ったのは、福島県の三春町だけです。
  ですから、他の町の人はヨウ素剤を飲んでいなかったために、100人以上に甲状腺がんの疑いが出ています。
  その情報の流通を阻止した論理は、個人よりも公、すなわち個人の命よりもパニック防止の方が大事だという、官側の判断ですね。
  東京電力の記者会見に100回通い続け、情報流通の阻害を追及した日隅一雄弁護士は、途中で自分が末期がんに罹っていることを知った。 その時に、彼は言いました。自分一人だけで情報の隠蔽を阻止できたとは思わないけれども、日本に五四基もの原発があること、 そしてその周辺がこんなに危険な状態にあることを知らなかった。そのことを思えば、自分のガンなど小さいことだと。
  そういうふうに、我々の中にも後悔が走ったし、その後悔もあって、みんな官邸前に行ったわけです。
  情報流通の自由は、表現の自由を深めるというのが今の定説です。ところが、自民党改憲草案21条の“精神”は、情報を流通させることを止めるものなのです。

  大切な日々を壊されたくない――僕たちの希望

  今、安保法案にこれだけの反対があるにもかかわらず、与党は9月17日に参議院で採決をする。 そしてその先、参議院選挙で3分の2の議席を取れば、改憲発議を行う。そういう状況の中で私たちは、仮に法案が通ったとしても、何を希望としていくのか。
  我々も、今の学生たち、高校生たちも、幼稚園に通っているような孫たちも、これから生きていかなければならない。 生きていく中で、何を希望としていくのか。私なりに考えたことをお話しします。
  先ほど、「〜どう考える 集団的自衛権〜 僕たちにしのび寄る戦場。20代の若者が見た戦争のリアル」 と題した集会についてお話ししましたが、 「僕たちにしのび寄る戦場」 とは何なのか。
  今年、1960年代の学生運動のリーダーだった友達を喪いました。私はお葬式の弔辞の中で、今、酷いことが進みつつあるけれども、 もしこの夏、戦後70年に人々が沈黙するままならば、雷がなるときそれを君だと思おう。君よ。龍となって立ち上がれ、と弔辞で述べました。 そして、そのとおり、60年代の精神を今、引き継ぐ若者たちが立ち上がっています。
  SEALDsの学生たちは何と言っていますか。60代、70代の人たちが頑張ってくれたおかげで、私たちの平和はあると言っていますね。
  60年代の僕たちの時代には、資本主義ではどうにもならない、社会主義だと、大状況から問題を捉える思考があった。 けれども、今の人たちは、この大切な日々を壊されたくないと、立ち上がっています。普通の感性ですね。
  もしこれで就職が難しくなるとしても、この大切な日々を壊されたくないと、私は立ち上がった。安倍さん、もし分からないのだったら辞めてくれ、と叫んでいる。
  ただ彼らが立ち上がったというだけではない。今の若者はどうなっているんだと言ってきた60代、70代の人たちも、国会前に座っています。
  7月15日、衆議院での強行採決の後、僕たちが帰る途中に、若者が地下鉄の駅からぞろぞろ下りてくる。 僕たちの時代は、大学ごとにわりとまとまっていたのですが、今は1人、5人、10人で来ている。 君はSEALDsで来たんですか? とある若者に聞きました。「いや違う」 と。あとは無言でしたがその決然とした横顔は、僕は自分で来ましたと語っていました。
  そして、若いサラリーマンたちも国会前に来ている。
  こういう光景は見たことがありません。今、一人ひとりが心の底から立ち上がっているわけです。 それが、彼らの我々に対する感謝であると同時に、我々の希望です。
  それから私は、女性的感性を大事にしたいと思います。作家の落合恵子さんが言った 「デモをやるために、集会をやるために毎日があるんじゃないんですよ」 「なぜ湯豆腐にゆずを入れるんですか」 というお話に、ふと涙ぐんでしまったのですが、この思いを大事にしたいですね。
  そんな女性の言葉と、日々を守るために僕たちは立ち上がったというSEALDsの言葉は、ぴったりではないでしょうか。 そこに私は、安保法案に反対する力もあるし、これから政権や自民党がどういうことをしてきても、それを突破する希望があると信じています。
  どうもご清聴ありがとうございました。
(おわり)