トピックス   梓澤和幸


安倍政権の誕生と私たち

法と民主主義2006年10月号

  九月二六日安部晋三氏が国会で首班指名を受け、新政権が発足した。
  軽佻浮薄と重苦しさが同居する不思議な気分である。この気分の背景にあるものは何なのか。

  それは第一に、新政権が憲法改正を五年以内に実現すると公約した政治家によって率いられているという事実である。政治とはリーダーシップであろう。 安倍晋三氏は、軍事力世界第三位の軍隊を、世界の紛争地域にいついかなる時でも政府が派遣することについて、 いかなる立憲主義的桎梏をも受けることのない状態に日本をおくことを公言し、そのことによって、保守勢力内の支持を得、 さらには、若者の間に強まりつつあるナショナリズム的な方向性に精神的動員 (安倍晋三著 「美しい国へ」 3章参照) をかけた上で、総理の座を獲得したのである。

  政権誕生は期限を区切って、日本の戦後を形づくってきた社会構造を根底から解体する実践的宣言だといえよう。
  自立した個人、自由で平等な価値観を育む教育基本法を変え、 全体があって個人があるという価値観を子どもたちに浸透させようとする教育構想が国家改造プログラムの中心に、 公然と、明白裡にうたわれていること (総理所信表明演説参照) も見逃せない。

  重苦しさの第二の原因は、政権が報道の自由抑圧につき、隠れた事実を告発したメディアとジャーナリストに、 沈黙を強いている政治家によって率いられていることである。

  本誌二〇〇五年一一月号特集 「NHK番組改変問題から見えてきたもの」 は、安部晋三副官房長官 (当時)と、中川昭一経産相 (当時) が行った、 戦時性暴力に関する女性戦犯法廷についてのNHK放送番組への事前介入と、政治家、NHK,朝日新聞の事後の対応について、 メディア論、法律論から仔細な検討を行った。

  詳細は右特集号に譲るとして、そこで指摘されたことの核心は次の点であった。安部晋三氏らの介入の当日である二〇〇一年一月二九日、 および放送当日である同年同月三〇日、四四分版の放送素材が四三分もの、四〇分ものに短縮され、戦時性暴力被害の当事者、加害兵士の証言、 天皇に責任があるとする国際法廷の核心部分が削除されたこと、それが、憲法二一条、国際人権規約一九条の表現の自由、 知る権利保障を蹂躙する重大な違法行為が行われたということであった。しかも二人の政治家は朝日新聞に謝罪を要求した。

  特集はさらに放送介入をスクープした朝日新聞二〇〇五年一月一二日付報道の真実性を論証し、これを過ちだとする政治家二名とNHKの過ちにつき論駁を行った。 スクープ記事の真実性についての認識に揺るぎがないのに、「つめの甘さ反省」 などとする朝日新聞の軟弱な妥協をも完膚なきまでに批判した。

  かくして特集は、権力を批判したジャーナリズムが沈黙の結果を甘受させられた構造を明らかにした。 いま看過できないのは、沈黙の甘受は総裁選報道、政権誕生報道にも貫かれたということである。

  全国紙、全国ネット放送では放送介入のことで総裁選立候補者に挑んだ記者の質問は見聞できなかった。 県紙沖縄タイムスの作家目取真俊氏のコメント、ブロック紙東京新聞の特報記事に報道の例外を見るだけであった。

  民主主義の蹂躙は、元来は民主主義政治家としての資質に関わり、アメリカでは日本の総理大臣以上に強大な権力をもつ大統領の辞任までもたらした (ウォーターゲート事件)。

  NHK放送介入事件は、本来は政権誕生を左右するはずの喫緊のできごとのはずだったのである。みごとなまでの沈黙甘受の体系は、座視に値しない。

  しかし、嘆きは何の力ももたない。闇の中で光を語ることこそ、法律家の貴い使命だと信ずる。 元自民党幹事長加藤紘一氏は、靖国問題での発言を動機とする放火事件の後、「今後も自分の発言を曲げることはない」 とのコメントを公表し、 第二東京弁護士会が一一月一〇日開催する集会に、佐高信、鳥越俊太郎両氏とともにパネリストとして出席する、という。

  また、ジャーナリスト立花隆氏は、「安部晋三に告ぐ 『改憲政権』 への宣戦布告」 と題する一文を、月刊現代一〇月号に寄せている。 一文には、敗戦直後の東大総長南原繁教授のメッセージが引用されている。「青年よ学徒よ希望を持て理想を見失うな。 (中略―― 敗戦と崩壊も前例のない困難だが)かような光栄ある任務 (新しい人間性理想国家の建設) が課せられた時代もまたかつてないのである」 「戦争を放棄する憲法をもつ日本の世界史的使命は、世界全体に戦争を放棄させるような国際新秩序を建設することにある」

  そして、立花隆氏は、この南原繁氏のDNA (思想) を受けつぐことを表明し、改憲、 教育基本法改正を公約してはばからない安部晋三という政治家の率いる政権への闘争を宣言して退路を断った。

  「木の葉沈み、石流れる」 この時代に、新しい広がりと輝きをもった言論が登場し始めている。既成概念をとりさった実践の構想が必要だと思う。