エッセイ     梓澤和幸

ひととき
──大沼公園駅前広場にて──
梓澤和幸

  函館から電車で40分。大沼公園という駅がある。夏の晴れた日の昼過ぎ、遠くの緑の上に青色がかかった山並み。 それに二階建て以上は金輪際ないという街並みの光景に身をゆだねながら、駅前広場を歩いていた。
  「上手な口笛ですね」介護か農作業のせいだろうか、肩の筋肉がふっくら盛り上がった中年の女性が微笑んでいた。
  秋を感じさせる透明な陽光があたりを包んでいる。
  「それは、千の風?」
  「ええと “この街です”」
澄んだ輝きの視線だった。

  駅舎に入って切符を買いながら聞いてみた。駅長さんらしい。
  「冬の寒さはどのくらいですか」
  かなりの厳しさのようだが大したことはない、旭川や網走に比べれば、という答えだった。
  学生時代、真冬二月に札幌に来たことがあり、道を歩いているうち、かかとしか感覚がなくなった。そのことを話した。
  「いやあ、このあたり向きの靴がありましてね」
  ね、という言葉に独特の暖かさが込められているのが、北海道アクセントの特徴である。 その頃、内地では味わうことのできなかった札幌ラーメンの味の思い出を言うと、駅長さんははじけるように笑った。 少し離れたところで、色白の若い駅員さんもこちらを振り向いて微笑している。
  駅長さんと若い駅員さん、二人だけの単線の駅である。
  ゆったりとした涼風が過ぎてゆく。依然として澄んだ空と白い雲とさんさんと降り注ぐ底の抜けたような陽の光があった。

  駅の向かい側に、屋根の急斜線がいかにも特徴的な大きな木造の家があった。好ましいブルーのトタンだ。 夕張でもこの色の屋根を見た記憶がある。北海道特有の色かもしれない。いつかこの家のスケッチを描いてみたい。
  太く長いブリキの煙突がこちら側の壁に沿って突き出している。2メートルの積雪があるという冬の情景を想像した。

  と、三六〇度の視線に入る何人かの男が、ある人は立ち上がり、ある人は店の前に置いた背の広い木製の椅子に座って空を見上げている。 視線の先を追うと、白いヘリコプターが音を響かせて飛んでいた。ここではこの出来事が話題なのだ。

  駅には小さな売店があった。黒い髪をすいたヘアスタイルに特徴がある女性がいた。 背筋が伸びて、健康そうに輝いている頬と丸い黒い瞳が印象的だった。二〇代だろう。
  「大沼の水」 というボトルを買った。安心して飲めなくなった東京の水のことを言うと、「Uターンで東京から帰ってきたんです。 ゆったりと流れていく時間がよくて……」
  そう、わずか三〇分のうちにこんなにさまざまのことが心に刻まれるのがここだ。若いときの旅で訪ねた南の国を思い出した。
  陽が昇ってから沈むまで、人々は太陽のすすむのと同じゆっくりとした速度で、生活のときを刻んでいく。

  列車が入ってきた。
  若い駅員さんが駅の名をさけんだあと、何か言葉をかけてくれた。

  啄木の歌が浮かんだ。

     うたふごと駅の名呼びし
     柔和なる
     若き駅夫の眼をも忘れず
       (啄木歌集 「一握の砂」 より)

  列車は時間通りに大切な友人の待つ札幌に向かって発った。