深澤君は法律学志望の大学1年生で、4月から2年に進学する。
  2013年5月には自民党改憲案に憂慮し、NHKの取材を受けるなど、19歳ながら積極的に発言している。
  このたび、ハンセン病患者さんが隔離されていた多摩全生園訪問記を書いた。ときにふれて若い世代の一人として原稿を寄せてくれるはず。 今回はその第1回寄稿である。──梓澤和幸


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多摩全生園を訪れて
 
山梨学院大学法学部法学科2年 深澤伊吹己

  大学入学当初から関心があった多摩全生園を、春めく新年度初日に訪問することができた。 国立療養所多摩全生園とは、全国に13施設ある国立ハンセン病療養所の1つである。 豊かな自然に囲まれた敷地内には、ハンセン病資料館がありハンセン病の歴史を学ぶことができる。 資料館は 「歴史展示」 「癩療養所」 「生き抜いた証」 の3つの展示室で構成されている。 「歴史展示」 においては日本のハンセン病をめぐる歴史について政策を中心に概観できる。 「癩療養所」 においては、当時ハンセン病患者の方々がどのような仕打ちを受け、どんな生活を送ってきたのかを学ぶことができる。 「生き抜いた証」 においては、絶望の中においても必死に生きようとしたその姿を患者の方々が書いた詩や、描いた絵画、戦いの軌跡からみることができる。

  一つひとつの展示が強い力を放ち、足早に過ぎ去ることは許されない気がした。 自分にできることはフィクションでなく、紛れもない事実としてこのような悲惨な人権侵害があったことを心に刻み付けることだけだった。 国から、宗教から、さらには社会から見放され、追放される時の本当の気持は自分には到底理解できることでない。 しかしながら自分にできる限り共感共苦しながら、目の前の生きた証に向き合った。

  展示を見ていくと、ハンセン病患者に対する 「排除・隔離」 を進めたこの時代の出来事は過去の出来事ではない。 現代においてもこの 「排除・隔離」 の思想が存在するのではないか。そう思えてならなかった。 確かに考えてみると、現代社会において自分と関係のないもの、都合の悪いものを排除し、 何か過ちを犯した人を見つけると一斉に袋叩きにする風潮がある気がする。 具体的には生活保護受給者に対するいわれなきバッシングや、ヘイトスピーチ、マスメディアの矛先が政府や社会制度に対する問題点でなく、 過ちを犯した個々人に対する糾弾になっていることなどである。私たちはこのままではこの歴史を繰り返すことになる。 それだけはなんとしてでも避けなければならない。 社会から隔絶され、絶望の淵に追いやられながらも必死に生きようとしたハンセン病患者の方々に対して、今を生きる私たちができる唯一のことは、 この負の歴史を繰り返さないことだ。

  私は将来、弁護士として活動することを志望している。都市部の有名大学に通い、 予備校で朝から晩まで司法試験の勉強をしている人から見れば、自分の行動は無駄で愚かに見えるのかもしれない。 しかしながら企業家でも、政治家でも、サラリーマンでもない法律家としての人生を考えた時、今日の経験は大きな糧となった。 私は若くして年収 1000万を超えるオシャレなビジネスローヤーになるために学んでいる訳ではない。 苦しくても何度でも立ち上がり、一筋の希望のために命尽きるまで戦う法律家になるために学んでいる。 目の前の社会から、これまでの歴史から本当の学びを手に入れなければならない。そこには真実があり血の通った生身の人がいる。 法は人権とともに市民と共にあるべきものだと考える。そのことが今回の学びにおいて少しでも感じることができた自分は、 時間がかかったとしても実務家として社会に出た時、価値ある仕事ができると信じている。

  この感想記は全生園の満開の桜のもとで書いている。たくさんの子供達をはじめ、様々な人がお互いを尊重しながら春を楽しんでいる。 私達が目指すべき未来はここにある。