読売新聞 投書より

『取材ともにした橋田さんの笑顔』
  僧侶 若林 隆寿 48 (2004年7月1日)


  一九八三年、カンボジアの内戦は一時小康状態に入り、密林の中の仏教遺跡アンコールワットなどが、久しぶりに西側の報道陣に開放されることになりました。
  当時、ジャーナリスト志望だった私は、学生ながら幸運にも、取材陣の一員に加わることができました。仏教の研究中で、遺跡をぜひ自分で取材したかったのです。その時ジャーナリストたちのリーダー格だったのが、イラクで襲撃を受けて亡くなった橋田信介さんでした。
  ジャングルで銃声がすると、ほかの者は怖くて逃げ出すのにカメラをつかみ、その音のする方向を目指して駆け出す。食事はホテルではなく、現地の人と同じものを食べる。厳しい現場にいながら、つねに優しいまなざしで戦争に苦しむ現地の人々を見つめる姿は、我々のあこがれでした。
  アンコールトムの遺跡バイヨン寺院で、橋田さんの後をカメラを持って追いかけていた途中、不注意で建物から三mほど下の地面に転落する事故を起こしてしまいました。真っ先に駆け下り、気絶しかけた私を抱き起こし、首に水筒の冷たい水をかけてくれたのも橋田さんでした。
  「取材に事故はつきもんだ。ぼうや、色々あるけどくじけないでがんばれや」
  落ち込む私を励まして下さった、はにかんだような笑顔が今も忘れられません。心からご冥福をお祈りします。


西光院 若林 隆壽さんからの手紙 (2004年7月1日)

  イラク、自衛隊、日本の将来
  私の父母が眠る浅草 西光院のご住職から年末にいただいたお手紙をご了解を得て掲載させていただく。
  自衛隊は、クウェートからイラクにC130をもちいて米軍兵士を運んでいる。そのことはちらり、ちらりと新聞にでるが、読者の印象に定着するようには報道されない。
  イラク特別措置法には1、復興支援 2、友好国の安全確保支援の二つの目的が書き込まれており、実は2、のほうが本命なのだが自衛隊といえば水道確保と印象付けられるようになっている。
  みごとなメデイアコントロールだが、次のご住職の文章はその水確保の復興支援のありかたを見事に衝いている。ごらんいただきたい。 (梓澤)



  拝啓 師走の候愈々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
  今年は、地震に台風等々自然の驚異を再認識させられた年になりました。
  さて、自衛隊がイラクに派遣されて一年が経とうとしています。
  今年、5月27日、イラクで凶弾に倒れた戦争ジャーナリスト、私も若い頃お世話になったことのある故・橋田信介さんのレポートによれば、自衛隊が駐屯しているサマワの水道普及率は、今春すでに75パーセントに達し、しかも、フランスのボランティアが毎日十分な生活用水を供給している。さらに、イラク国内では1.5リットル入りのネッスル・ミネラルウォーターが日本円にして約50円でふんだんに売られている。一方、自衛隊が復興援助の柱としている給水活動で一日に供給しているのは80トン。仮にこの水をすべて、この輸入のミネラルウォーターでまかなったとしても必要なお金は約270万円。自衛隊のイラク派遣費用は概算で1日約1億円。 (橋田幸子著 『覚悟 戦場ジャーナリストの夫と生きた日々』 より要約) ということでした。
  国際貢献をすべて金銭で測ることは出来ませんし、また自衛隊の活動は給水だけではありませんが、これは驚きを隠せない数字です。それに何より、こういう事実が国会では答弁されても、国民に積極的には知らされていないことの方に恐怖を感じます。
  昨年末のお手紙で、「自衛隊のイラク派遣」の問題にだけ固執していると事の本質を見失う可能性があるとお伝えしました。しかし今は、逆にこの問題を見誤ると、日本は将来進むべき道を踏み外すとの感を強くしています。
  実質自衛隊を守ってくれているオランダ軍が来年3月での撤兵を決定した中、イギリス軍にその代替を依頼し、すでに延長を決めている韓国軍に追随する形で、イラク派遣の1年延長が閣議決定される予定のようです。
  出で征くと小さき妹に遺したる言のかなしさ聞くに堪へめや期したれど吾子の戦死を伝え来し電話に堪えて息のむ我はこれは、先代住職の同級生・入江祐光様の御父上・克巳様が第二次大戦中に詠まれた歌です。二度とこういう世の中にしない。そう自覚しなければならない時期が来ているように思えてなりません。
  まもなく迎える平成17年。皆さんのお宅一軒一軒が、すばらしい年を迎えられるよう心よりお祈り申し上げます。               合掌敬具

   平成16年12月8日  西 光 院   住職 若 林 隆 壽