今、コミットしている現場から  梓澤和幸


朝鮮人・中国人虐殺事件の真相究明と謝罪を
−関東大震災虐殺事件人権救済申立事件

法学セミナー 2006年10月号

1.関東大震災虐殺事件とは?

  1923 (大正12) 年9月1日,関東地方を大震災が襲ったが,その直後,多数の朝鮮人や中国人が虐殺された。この虐殺事件に関し,日弁連は, 1999 (平成11) 年12月10日,この被害に遭った関係者から,虐殺事件に関する責任の明確化や謝罪等を求める人権救済の申立てを受けた。

  関東大震災直後に多数の朝鮮人や中国人が虐殺されたこと自体は疑いがない。問題は,この虐殺事件に公権力が関与していたかどうかである。 そこで,人権擁護委員会では,申立人から事情を聴くとともに,歴史研究者の論考を参考にしつつ,公文書等の史料を検討し, また,朝鮮人虐殺の加害者を処罰した刑事事件の判決を閲覧するなど,確実な資料に依拠して調査を進めることとした。

  80年の時の経過は真相の究明を極めて困難なものとした。しかし,他民族への大規模にして重大な人権侵害の事実を記録し, また,真相の究明に当たってきた少なからぬ良心的な人々の努力の蓄積によって,以下のような事実が明らかとなった。

2.虐殺事件の背景となった戒厳宣告

  関東大震災が発生した翌日の9月2日,政府は戒厳を宣告し,翌3日には戒厳の地域を東京府,神奈川県全域に拡大した。

  戒厳とは,非常時に際して通常の行政権,司法権を停止し,軍隊が一国の全部または一部の治安の維持にあたることをいう。 戒厳については,1882 (明治15) 年8月5日太政官布告第36号(戒厳令)の規定があり、 「戒厳令ハ戦時若クハ事変ニ際シ兵備ヲ以テ全国若クハ一地方ヲ警戒スルノ法トス」 と定められていた。しかし,関東大震災時の戒厳は, 戒厳令ではなく緊急勅令(帝国憲法8条)によって,騒乱鎮圧を目的とした行政措置(いわゆる行政戒厳)として宣告された。

  そもそも戒厳は戦争や内乱状態を想定したものであり,震災という自然災害において戒厳が宣告されること自体,尋常なことではない。 また,戒厳の目的としては「不逞の挙に対して,罹災者の保護をすること」が挙げられ,戒厳司令部にも押収,検問所の設置,出入りの禁止,立ち入り検察, 地境内退去など,災害時における対処としては著しく過大な権限が与えられていた。 これらは,大地震という自然災害に際しての救難・復旧などに通常必要な対応の水準を超えて, 騒擾その他の犯罪行為を予防・鎮圧する治安行動的な対応を行うことを意味している。このような政府の対応が,中央や地方の官憲に対して危機感を増幅させ, それが自警団などの民衆レベルにも浸透していったものと考えられる。

3.軍隊による虐殺

  関東大震災直後には,多数の朝鮮人や中国人が軍隊によって殺害された。例えば,政府に残る資料によれば, 東京や千葉の広範な地域で軍隊による朝鮮人虐殺事件が12件あったことが認められ,その被害者総数は少なくとも数十人以上に及んでいる。 また,中国人虐殺についても,大島八丁目広場において数百名レベルの殺害があったと認めることのできる資料の存在が確認されている。

  このように,軍隊は震災後の混乱の中で理由なく朝鮮人や中国人を多数虐殺しており,これらの殺害事件に関する国の責任は重い。

4.自警団による虐殺

  関東大震災直後における朝鮮人虐殺は,多くは自警団などの民間人によって行われた。すなわち,当時の新聞報道や刑事事件判決などによれば, 東京,埼玉,千葉,神奈川,群馬その他の広範な地域において,民間によって大規模に組織された自警団が多数の朝鮮人を虐殺した事実が認められる。

  ところで,これらの虐殺事件は,朝鮮人が放火,爆弾所持・投擲,井戸への毒物投入等の不逞行為を行っているという喧伝に基づいて行われたが, このような喧伝は客観的事実ではない流言飛語であった,そのことは,当時の警察の調査でも明らかとなっている。 では,なぜそのような虚偽事実が流布されてしまったのか。これについては,以下の2つの事実を指摘することができる。

  1つは,当時の警察組織の頂点に位置していた内務省警保局長からの打電である。すなわち,内務省警保局長は,9月3日午前から正午にかけて, 各地方長官,朝鮮総督府警務局長,山口県知事に宛てて,「東京付近の震災を利用し,朝鮮人は各地に放火し,不逞の目的を遂行せんとし, 現に東京市内に於いて爆弾を所持し,石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に, 各地に於いて十分周密なる視察を加え,鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし。」 などといった内容の打電を行い, 朝鮮人に関する誤った事実認識及びこれに基づく視察や取締りの指示を全国に伝播させている。

  もう1つは,行政機関による虚偽事実の伝達と自警団の組織である。すなわち,前記のような内務省警保局の命令は,打電を待つまでもなく, 電報や担当者等による協議によって隣接近県に対して伝達された。そして,このような命令を受けて,各地の地方行政庁は,これを管下の各郡役所・町村に伝達して, 視察や取締りの対応を取らせた。例えば,埼玉県の場合,地方課長が本省 (内務省) との打合せの内容を内務部長に報告したところ, その内容は内務部長から県内の各郡役所へ電話で急いで知らされ,さらに各郡役所はそれを各町村に伝えた。その内容は,「東京における震火災に乗じ, 暴行を為したる不逞鮮人多数が,川口方面より或は本県に入り来るやも知れず,而も此際警察力微弱であるから,各町村当局は在郷軍人分会員,消防手, 青年団と一致協力してその警戒に任じ,一朝有事の場合には速に適当の方策を講ずるよう,至急相当の手配相成りたし」 というものであった。 このような指示に基づき,各地において自警団が結成され,朝鮮人に対する監視と取締りの体制が構築されるようになった。このような経過は, 朝鮮人に対する虐殺行為について検挙され,起訴された自警団員らの刑事事件判決にも判示されている。

  以上のとおり,自警団による虐殺行為の背景には,国(内務省警保局)が各地方長官(内務部)を通じて,朝鮮人が放火,爆弾所持・投擲, 井戸への毒物混入等の不逞行為を行っているとの虚偽の情報を全国に伝播させ, これに対する警備と自警の方策(自警団の結成)を講じるよう指示したという事情があった。 そのことが,民衆に過剰な不安をかきたて,自警団の結成を促し,民衆の朝鮮人への暴力と虐殺の動機となったものと認められる。 従って,朝鮮人が不逞行為によって震災の被害を拡大しているとの誤った認識を全国に伝播し,各方面に自警の措置を呼びかけ, 民衆に殺人・暴行の動機付けをした国の責任は重大である。

5.日弁連の勧告と,その現代的意義

  以上の調査結果に基づき,日弁連は,2003(平成15)年8月25日,内閣総理大臣に対し,@虐殺事件の被害者,遺族に対し,国の責任を認めて謝罪すること, A虐殺事件の全貌と真相を調査し,その原因を明らかにすることを勧告した。

  この問題は決して過去の問題ではなく,マイノリティーに対する差別と迫害は今もなくなっていない。 例えば,北朝鮮政府が日本人拉致事件を認め,拉致事件の実態が明らかにされるにつれて,在日コリアン, 特に朝鮮学校の児童・生徒に対する加害は一層深刻な事態になっている。 また,同時多発テロ以降のイスラム教徒やアラブ系外国人に対する差別と敵視は,どの国でも深刻な課題となっている。 関東大震災直後における朝鮮人・中国人虐殺の原因となった民族差別は,今なお充分に克服されているとは言えない。

  過去を見つめ反省しない者は,過ちを繰り返しかねない。我々には,今回の調査の結果を踏まえ,このような惨劇が繰り返されることのないよう, 国籍や民族の異なる人々が相互に共生する社会の実現に向けて努力することが求められている。
 
(文責 米倉 勉、梓澤和幸)