在日外国人     梓澤和幸


  ゼノフォビア日本と石原慎太郎
「法と民主主義」 2005年5月号 掲載


 ゼノフォビア (Xenophobia) とは外国人嫌いのことである。あえて横文字を使うのは、外国人排斥が日本に限られた現象でなく、 発達した資本主義国 (以下 ed の国という) に共通していることを主張したいからである。
  同時に日本のゼノフォビアは、ある特徴をもっているように思う。世界的には共通しながら、独特の日本的な臭いをもつ。 その日本的なものとは何かを、考えつつつきとめて行くような文章になればと思う。
  世界的にみると、暴力的という面でもっとも危険な傾向をもつのはドイツであり、 政治的な影響力として注目すべきゼノフォビアは、フランスとオーストリアである。 少しだけドイツ、フランス、オーストリアにとんでみたい。

  ドイツでは一九九三年前半、右翼活動家の外国人暴力は半年で七五〇事例に及んだ。 この中には、旧西ドイツのメルン、ゾーリンゲンにおける放火事件で、 それぞれ三名、五名のトルコ人女性が殺された事件が含まれている。 九二年には旧東ドイツのロストツクという町で、ロマ人、 ベトナム人が宿舎にしているホステルが一五〇人から二〇〇人の右翼過激派に五日間連続襲撃された。 (詳細は梓澤著「在日外国人」筑摩書房刊九六頁以下) 最近ドイツから帰国した日本人に聞いたことだが、 町ですれ違いざまに侮辱のことばを浴びせられることがときおりあったという。筆者もウィーンでそれを体験した。
  フランスでは、一九八〇年代から九〇年代にかけて 「フランス国民戦線」 が台頭した。 党首ルペンは、「移民労働者を排斥せよ。ユダヤ人虐殺はささいなできごと」 などの主張をくりかえし、 大統領選挙では一四・三八パーセントを獲得するところまで行った。
  オーストリアでは、ヒトラーを尊敬するといってはばからないハイダーが連立政権に入るところまで行った。
  社会主義世界体制崩壊後の民族紛争の激化、ドイツで七五〇万人、 フランスで五〇〇万人という大量の外国人労働者の存在などという状況が、民族的無意識をゆさぶっている。

  二〇〇〇年四月九日、石原慎太郎が東京都知事として陸上自衛隊第一師団の式典で述べた挨拶も、 ed の国々での右翼政治家の発言と軌を一にする。
  よく引用される三国人うんぬんのことばの前に重要なくだりがある。
  「彼ら白人にとってみると、日本人だけが有色人種の中で唯一見事な近代国家を作ったということそのものが、 意に添わない事実だったのでありましょう。ゆえに、このへんを非常に危険視したアメリカは、 あのいびつな憲法に象徴されるようにこの日本の解体をはかって、 残念ながらその結果が今日露呈されていることを誰も否めないと思います」。
  アメリカにとって危険な牙をぬくために憲法を押しっけたという認識の表明である。 かくして石原氏自身、日本をみごとな近代国家と言いながら、近代を否定して日本的なものに回帰しようというわけである。

  その次に、来るのが三国人発言である。
  これまたよく読むとただの差別発言ではなく、ヨーロッパのゼノフォビアに連動するものであることに注目すべきだと思う。 「今日 (こんにち) の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人・外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。 もはや東京の犯罪の形は過去と違ってきた。こういう状況で、すごく大きな災害が起きた時には大きな騒擾事件すらですね、 想定される、そういう現状であります」。としてそのような騒擾事態においては警察の力だけでなく 自衛隊による治安の維持も必要となると説くのである。

  ここに表明されているのは、大量の外国人労働者の認識である。
  都知事はここで危険な煽動を行っている。
  ed の国では、持続的成長のためには、外国人労働力の流入は必須である。 高学歴化少子化の社会構造の放である。かれもそれは心得た上で、 外国人労働力の必要性への彼自身の認識を切り落としているのである。別の機会に次のような発言がある。 「そのうち必ず移民の時代が来ますよ。そうじゃなきゃ労働力が獲得できない。 労働力を獲得する形で正式に受け入れないと (中略) 法律を変えなきゃね」。(二〇〇一年一月三日 朝日新聞朝刊)

  政治家石原慎太郎の特徴はここにあるだろう。
  ──新しいポピュリズムにおいては 「価値の多元化にもとづく体制リーダー間の妥協と、 それがもたらす閉塞感が恰好のいけにえであり、それに対して強いリーダーシップと断定的言語を対置する」。 (篠原一 『市民の政治学』 岩波新書14頁)
  アンチヒューマンにして品性を欠く言動をくりかえす石原になぜこんなに票が集まるのか。 篠原の分析は急所をついていると思う。ああも言えるがこういう面もある。 あー、とか、うー、とか言ってるようではかったるい。問題の一面だけを誇張し、しかも、心の中にわだかまった、 反外国人意識をひっぱり出すようにアジってくれればすかっとするのである。 ここに 「三国人」 という言葉が入っているのは、日本的、石原氏的味付けである。 石原氏も、この発言直後、雑誌のインタビューで語っているのだが、三国人という言葉は敗戦直後、 解放のよろこびにわいた在日朝鮮人、中国人らの日本人への厳しい言動の記憶の再現である。
  それは植民地治政 (朝鮮半島)、半植民地、軍事占領 (中国) の下において差別し、 侮蔑して来た民衆が解放民族として抬頭して来たことへのおどろきの体験であった。 日本国憲法施行と民主主義の昂揚の中でも、アジア人差別は思想的に克服されなかった。

  たとえば、在日朝鮮人、韓国人は憲法施行時も日本国籍保持者であった。 しかし一九五二年四月一九日付一庁の法務省民事局長通達によって、 サンフランシスコ平和条約の発動した同年四月二八日に国籍を剥奪された。 このことを法律家でも知らない人が少なくないと思われる。(この経過の問題点は、尹健次 『日本国民論』 筑摩書房、参照)
  想像も及ばぬ辛惨を強いたのに、司法研修所での教育はおろか、 著名な憲法の基本書にもほとんど在日朝鮮人国籍剥奪への言及がない。(松井茂記 『日本国憲法』 にわずかに例外をみる)
  石原氏の三国人発言はアジア人差別にとらわれたままの日本人の弱点をついているのである。

  反日中国デモは、今後も質、量ともに大きくなるであろうし、韓国にも飛び火するであろう。 石原三国人発言をささえている日本の民衆の治安への不安とアジア人蔑視は、 もっと敵対的な憎悪となって噴出する可能性がある。 石原アジテーションに対抗するためには、法律家のもつ立憲主義、自然法、 基本的人権という理性と知性が、量ではなく質の輝きを発揮すべきであろう。