メディア・読書日記    梓澤和幸

     メディア・読書日記 小説を読む 目次

『長いお別れ』 (中島京子著 文春文庫 2018年3月)を読んだ
 2018.11.06
日本経済新聞2013年12月28日朝刊 「春秋」 というコラムを読む
 2013.12.29
「首相 靖国参拝」 2013.12.28
『奪われた明日』 2013.12.28
書評 『トップシークレット・アメリカ 最高機密に覆われる国家』
著者:デイナ・プリースト ウィリアム・アーキン 訳者:玉置 悟
書評 「小林多喜二」 ノーマ・フィールド著
坂上 香著 『ライファーズ』 書評 みすず書房
日隅一雄弁護士
   『マスコミはなぜ 「マスゴミ」 と呼ばれるのか』 補訂版 現代人文社

書評 『検証 福島原発事故・記者会見』 ショパン──花束の中に隠された大砲 崔 善愛著 岩波ジュニア新書
『「違法」 捜査――志布志 「でっち上げ」 の真実』 梶山 天(著)
(角川学芸出版) 書評
()(さき)くあらば」 小嵐九八郎 講談社文庫 2010.4.16
小説を読む 2010.4.16
史上最強のバルセロナ 世界最高の育成メソッド
2008−2009年 目次
2007年 目次


『長いお別れ』 (中島京子著 文春文庫 2018年3月)を読んだ

記憶力が極端に衰えた父を介護する家族とご本人の10年の物語である。


  妻は看病と日々の生活がもたらす疲労が原因で網膜剥離にまでなってしまい手術のため入院する。失明の危険さえあった。
  一方自宅で過ごしていたが、容態が急変した夫が救急車で同じ病院に担ぎ込まれる。 目の手術後で絶対安静を命じられた妻だが、医師の許可を得たうえで一階下の病棟にいる夫に会いに行く。 同じベッドに倒れこむようにした女性を妻なのかどうか、夫ははっきりと認識できない。 記憶も定かではないが自分に優しくしてくれる人、無条件に自分の味方である女性だと夫は無意識の意識で思う。 そして夫は妻の肩を抱擁する。この場面が美しい。

  人はどのような状態であっても、決して侵されない、侵してはならない尊厳がある。
  作家のこの想いは全編に一本の棒のように貫かれている。

  自宅に来てくれるヘルパーさんの人物像が面白い。中学校校長の経歴をもつ主人公昇平に先生と呼び掛け、敬意をもってかける言葉に、 そう、そのように言ってほしいと言いたくなる。
  女性ヘルパーさんはレスリング部をでて身長172。力持ちの新人だ。
  薬を簡単には飲まないという昇平に認知症が進行しない薬の効能を説明する。詳しすぎ論理的すぎるくらいなところにユーモアが漂う。
  「宇田川笑子(ヘルパーさんの名前)には、認知症老人を子ども扱いしたり、何もわからない老人として扱ってはならないという信念があって」 という本文のくだりがある。への字に口を結んで薬をのまなかった昇平がふと薬を飲んでくれたりする。
  自分で心身をコントロールできない病状に至っている人をどうみるか、どう対応するか、は否応なく介護、看護、医療に取り組む人々の内面を語ってしまうのだ。
  襲ってくる日々の多忙、疲労、戸惑いの中でこればかりはごまかしようがない。

  主人公昇平のいう言葉には思わず笑いを誘う諧謔がある。滞在している孫が何かを探している祖父に声をかける。
  「何を探しているの」
  「うん、そうだな。あれを持ってきてくれないかな。学校だ」
  「学校って。学校は持って来られないよ」
  寒そうに腕をさすっている祖父をみて孫はカーデイガンを渡す。
  「おじいちゃん。寒かったんだね。学校じゃなくて、上着がほしかったんだ。」
  症状が進んで意味がよくわからない言葉を発する昇平だが家族が辛抱強くそれに付き合い暖かみが醸し出される。
  自宅から 「帰る」 といって戸外に出た父に次女が声をかけた。
  「ね。かえろうよ」
  「モソにね。そういうところがあって」
  モソ? なんだろう。
  「どんどんあろってきて」
  あろうって何?
  「そりゃあんた とぼるってことだろ。」
  トボトボ歩くってことか。

  症状が進んで意味の通らない言葉が多くなった父に娘は言葉を荒げることもない。
  何か言いたいことがあるのだろう。しかしそれが意味の伝わる言葉にならないのだ。
  「つながることができないって悲しいね。」
  このつぶやきに、父に寄せる尊敬が決して壊れることのない娘の、芯のようなものがあらわれていて心を動かされる。
  これほどまでに自らは老いた親に対していたか。「しっかりして」と声を励ます自分の母の言葉が聞こえてくるような気がした。

  衰えが進み、周囲がやさしさと尊敬をもって時間をかけて包んでくれるとき。それが高齢者にとって受け入れることのできる終末期であり、別れなのだろう。
  この世の中で、介護のために家族の払う身体的、精神的犠牲と経済的負担は決して軽くはない。 親たちも子どもたちもそのことに恐怖ともいえる不安を抱いている。

  その不安の中にもかすかに見えるわずかな、救い、笑い、幸福感はあるはずだ。本書が表現する人物たちの生き方はそれに至る道筋を示してくれるようだ。
 
  この物語は誰かの、どこかの家族の、実際の人生なのだろう。それを生きた登場人物と作者に感謝したくなる作品だった。
以上
    2018年11月5日
梓澤 和幸



メディア読書日記
日本経済新聞2013年12月28日朝刊 「春秋」 というコラムを読む


  亀井勝一郎は 「文学界」 の 「近代の超克」 という特集で、「奴隷の平和より、王者の戦争を」 と書いた。1941年12月8日の日米開戦に発奮して。
  当時、近代という時代を乗り越えたい、というナショナリズムが吹き出した、と春秋子はみる。
  安倍首相の靖国参拝に対してアメリカ政府が 「失望」 という声明を出したことにつき、激しい反発の言葉がネット空間に飛び交っている、と。 「ナショナリズムはしばしば暴走する。安倍氏には自らのふるまいが災厄を呼び込むという自覚がなく、高揚するこの人を誰も止められず、その先に何が待つ。」

  日経にしてこの危機感である。本日付け東京新聞では引退した山崎拓氏が批判のコメント。
  必ず、自民党の中から「これでよいのか」の声が起こる。とくにアメリカの動向が影響するはずだ。

  同じ日の朝日新聞朝刊にアメリカに住む識者のコメントがある。
  「合理的な政策目標の追求ではなく、『国家主義的な目標』を追求しようとしているのかと。……」(シーラ・スミス)。
  新しい安全保障環境への適応が極めて重要な時期に、日米同盟関係を複雑なものにする(前同)。
  陳昌洙韓国世界研究所日本研究センター長の言葉。
  日米韓の関係はぎくしゃくする。
  その中で、(防空識別圏問題に加え)中国が新たなルール作りをしかけてくれば全体が不安定化しかねない。(前同)



メディア読書日記 「首相 靖国参拝」

  2013年12月26日各紙夕刊「安倍首相靖国参拝」のニュース。 アメリカから事前に憂慮の連絡や、首相周辺が止めていた(朝日・東京夕刊)との記事に注目。12月27日フジTVトクダネでは米政府 「失望を表明」 とあった。
  いまは中国、韓国と日本が融和的であることをアメリカは望んでいるが、安倍首相はそれを振り切って決行したということか。 種々の利益衡量をはかるのが、一政治家ではない、宰相の役割であるのに、むき出しに自分の支持層のうち、最右翼のラインに忠誠を誓った?  いや、自分の中にわき起こる靖国論に突っ走った、ということと見る。
  このことが、日本の大多数の人々の運命にとってマイナスになること間違いはない。
  中・韓の国内にもタカ派とバランス派がいるが、彼の国のタカ派にいっそう強硬にすすむべし、との理由を与えるからである。
  安倍政治家個人の帰趨にも影響は少なくない。アメリカの世論を軽く見てしまった。
2013.12.28


メディア読書日記 『奪われた明日』

  2013年12月25日東京新聞夕刊。「一首のものがたり」 を読む。
  京大経済学部の学生のままフィリピンに従軍したが、部隊が住民80名を虐殺した責任を問われて、戦犯裁判で死刑となった木村久夫という学徒兵がいた。 経済学を熱心に研究していたから、おそらくは研究学徒の一生を歩んだと思われる学生であった。
  哲学者田辺元の 『哲学通論』 という著作を携行していた。その余白に遺書が書きつけられていた。
  処刑前日の歌一首。
    「音もなく我より去りしものなれど
     書きて偲びぬ明日という字を」

  命令を出した参謀は無罪判決だった。
  その参謀、陸軍大学出のエリートだったのだろうが、その人の戦後をむしろ思った。
  「ああよかった。助かった。」 と思ったか、武士として切腹したか。はたまたおろかにして罪深い自らの命令の犠牲となったフィリピンの人たちと、 刑場に 「明日」 を断たれた五人の若者たちの遺族を訪ねて、涙の謝罪と巡礼の旅をつづけたか。 戦後の歴史が「いま」に到達したことを思うと、どうもそうは思えない。
2013.12.28


  書 評
『トップシークレット・アメリカ 最高機密に覆われる国家』
著者:デイナ・プリースト ウィリアム・アーキン
訳者:玉置 悟

弁護士 梓澤 和幸


  ワシントン・ポスト記者のデイナ・プリーストと元米陸軍情報局の分析者でフリージャーナリストのウィリアム・アーキンが、 最高機密に覆われる国家、アメリカの対テロ戦争に関わるインテリジェンス活動の具体的態様を調査報道によって明らかにした。
  9.11アメリカ本土中枢部へのテロ以降、アメリカ政府は文字通り世界中の国々と、アメリカ国内の、首脳を含む政治家、一般市民、 テロリストと疑う人物を対象として、電話、メール、ツイッター、フェイスブックを監視し、通話内容、情報を探索、集積している。
  このため、巨大ビル、地下シェルター、巨大通信傍受施設などのハードウェアを構築し、 一方では最高機密を扱う有資格者を854,000人(うち民間人265,000人)の人員を確保し、 施設と人員の力で世界のかなりの人々に関する個人情報データベースを集積している。 ワシントン周辺には情報関連のビルが33ヶ所もでき、総面積はペンタゴンビルの3つ分にもなる。

  本書がアメリカの陰の首都と呼ぶボルティモア付近のエリアには、NSA本部(国家安全保障局)がある。 そこには推定3万人の職員が働く。今後の10年に1万人が増やされる。 NSAは1日に17億件(1日にである! 本書106ページ)にのぼる電話会話、携帯メール、Eメール、ツイッター、ネット掲示板、ウェブサイト、 コンピュータネットワーク等、あらゆる通信を傍受し、IPアドレスを割り出す。
  二人のジャーナリストは、丹念なネット上の情報の追求と現地調査及びヒアリング取材によって、 こうした膨大な個人情報収集にあたる組織とシステムの具体的態様を突き止めた。 膨大なインテリジェンス産軍複合体が政府から無尽蔵な金を引き出し、巨大なビジネスを作り上げていることを明らかにした。

  無人機によるリンチ処刑
  本書のクライマックスは、無人機を用いたテロ容疑者の指名殺害の叙述である。
  アメリカ政府所有の無人機は、この10年に68機から6000機に増えた。
  無人機によるターゲットの殺害について、アメリカ政府は対テロ戦争の一手段とするのかもしれない。 しかしそれは、裁判によらない死刑判決とリンチともいうべき処刑を思わせる。テロ容疑者の個人情報、動静情報を追跡した上で、 無人機による暗殺決定を数多く起案したロースクール出身のCIAの元法務官への取材も実名入りでレポート。 間違いはないかを恐れたその内面にも踏み込んだ。著者の一人アーキンは、殺害をコントロールする司令室の内部にまで招かれた。 映像でターゲットを追跡し、ついにその居宅に無人機による爆弾投下と機銃掃射を行う場面に出会った。 オバマ大統領がオサマ・ビン・ラディン殺害をライブでウオッチする場面がテレビで放映されたことは記憶に新しいが、こういう方法による処刑は少なくない。 CIAの公式発表では、1,400人の武装勢力容疑者を殺害したといい、民間人の巻き添えはおよそ30人とした。 しかし、民間のNGO 「戦闘モニターセンター」 によれば、2006年からの5年間で2,052人が犠牲になり、そのほとんどは民間人だった(本書259ページ)。 アフガンでテロリストへの攻撃のはずが結婚式会場を誤射し、少なくとも48人が殺された例もあった。

  アメリカという世界帝国の安全を守るために、アジアとアフリカ、中東の民が日々の幸せと命を差し出される。 帝国のど真ん中に立つインテリジェントビル群と、85万40000人のインテリジェンス要員の群像の描写は、ここに呑み込まれ、 小さな相似形を描くことになるかもしれない日本の未来を写し出すようだ。表紙裏のコピーには、「やがて日本もこうなるのか」 とある。
  本書はテロリズム対策を犯罪の予防や捜査ではなく、「戦争」 と規定したアメリカのゆがみを事実の裏づけで描いた。アメリカ合衆国憲法はいずこに!
  衆議院を強行採決で通過した秘密保護法は、対外戦争に道を開く一歩だ。同時にそれは人々に知られない暗黒の社会空間を作り出し、 トップシークレットがアメリカを醜く変貌させたように、日本をしてスマートな闇に包まれたニュールックスの軍事国家に変貌させる一歩なのではないか。
  実践への意欲とともに、深い思索をも呼び起こす好著だと思った。憂慮する市民と一線の記者、制作者に緊急のご一読をすすめたい。

  あずさわ・かずゆき
  弁護士、山梨学院大学法科大学院教授(担当:メディア情報法、刑事訴訟法ほか)、日本ペンクラブ理事。
  著書 『報道被害』 ほか



書評 「小林多喜二」 ノーマ・フィールド著
(2009年1月 岩波新書)

弁護士 梓澤 和幸

  アメリカ人を父に、日本人を母とする日本文化論の専門家による小林多喜二の評伝である。 作者は、東京経済大学に招かれ、徐京植氏とともに 「教養」 を論じたことがある。 そのきっかけにこういうことがあった。
  イラク戦争開戦に抗議する全世界的な規模の一千万人の大デモンストレーションがあり、シカゴ大学の構内でも学生、教員らが熱心に立ち上がった。 しかし戦争は止められなかった。 無力感におちいっていて気がすすまなかった彼女に徐京植がこういった。「ブッシュの開戦を止められなかったのは、アメリカの教養教育の限界を示しているのではないか。」 (加藤周一 徐京植 ノーマ・フィールド 「教養の再生のために」 影書房)


  一瞬彼女はとまどいを覚えた。
  しかしこの問いは、どこか根底をつくものだったようだ。
  教養、それは、その人が生涯の生活、労働、運動の実践、読書、雑談、討議をかけてつくってきた日々の集積といってよいだろう。つまり、その人の全てである。
  ノーマ・フィールドはその全てを動員して、多喜二の文学、生涯、性格、家族、交遊に至るまで調査し、自らの 「すべて」 に照らし合わせた。 多喜二が育ち、愛した街小樽に、「蟹工船」 がブームを呼ぶ前から一年も住み込んで多喜二を追憶する人々と交流しつつ本書を完成させた。 この時代に生きる人々の魂を揺さぶる作品を残した死者小林多喜二と、生存する個人である彼女が向き合うように対話している。
  多喜二の作品、人物論、そして思想について彼女一流のひらめき、発見があって、一冊の多喜二論の力強い魅力を構成している。 まず、多喜二が他者を見る目の寛 (ひろ) さである。プロレタリア文学の一頭抜きん出た作家であるとともに、左翼文化運動の指導者であり、 活動家だった多喜二のこの広い許容性の発見は、見落とせない。運動に加えられる弾圧は暴力的であるだけでなく、家族、一族の職まで奪った。 スパイも潜入し (多喜二もスパイの手引きで逮捕、虐殺された) 運動内部の角逐も厳しい。その厳しさはごく近しい仲間の評価にも及ぶ。 「あいつは……」 と切り捨てがちだ。だが、多喜二は違った。
  本書は数ある作品の登場人物ほとんどすべてが作者によって人間として認められていることを指摘し、作家高井有一の言葉を借りて、 多喜二の感受性の豊かさと 「人間への信頼感」 をあげている。冷笑主義ではないのだ。そして、この寛さを、作家としても、運動家としても大切な資質だとする。

  青年多喜二を知るのにこんなエピソードはどうだろう。
  たくさんの聴衆がいる会場で著名な権威の論者にまだ学生風の若者が議論をしかけて論争となり、座がちょっと白けるという光景は、 ときに私たちの体験するところである。
  当時、一世を風靡していた人口論の論者に多喜二がある会場で挑みかかった。それは、公平にみても対等の論争となった。 しかし、なにか気まずい雰囲気となったのであろう。多喜二は友人と帰路についた。そのときのことである。多喜二は、突然、悔しそうに号泣した。 友人は、マントをかぶせて多喜二を思いきり泣かせた。「強くなるんだ。もっと強くなれ。」 と、 多喜二は自分に向かって叫んでいたのだろうとノーマ・フィールドは多喜二の内面に想像を働かせている (本書63ページ)。
  その風貌を伝えるのに、右肩がちょっといかったようなという表現があるが、このエピソードや特徴ある後ろ姿は、多喜二の独特の内面を語っているように思える。

  「蟹工船」 について本書はどう言及しているか。
  「地獄さえぐんだで」 にはじまる有名な冒頭や、映画の場面のように現実を映し出してゆく斬新な手法にふれつつ、 多喜二が目の当たりの現実の背後にあるものを見よと訴えていると説く。
  著名な文芸評論家であり文学運動の指導者でもあった蔵原惟人は個人が埋没してしまった作品だと評価したという。 しかし、本書はたった一回しか小説に登場しない男の、「どきっどきっという心臓の音がたまならくて甲板にあがってきた」 という表現や、 「どもり」 の男が船中の虐待で死んでしまった男性を悼むところで吃音でなくなってしまう場面を引用しつつ、一人ひとりの人間を鮮やかに描きつつ、 普通はなかなかできない 「いかにして団結してゆくか」 という集団の感性を描きだすことに成功したと評価する。 抑圧があまりに厳しいと自分が見えなくなる。そうした人々を社会の構造と他者の鏡に映し出し、しかも人と人がつながり、 立ちあがってゆく内面を理屈でなく物語のデイテールを通して叙述することに成功した作品だというのである。「おれたちのことが書いてある」 と感じさせる作品なのだ。

  こういう達成があればこそ、いま日本の2009年の現実を把握するためにこの作品は共感をもって読まれているのだ。
  さらには韓国の反軍事政権の闘争の中でも読みつがれ翻訳されたのだという紹介もある。
  「蟹工船」 の作品論として本書の重要なテーマである政治と芸術という論争的な問題にも関連させた言及がある。
  そして、この箇所では政治と芸術をそれぞれの既成概念から解き放つべきだとして、本格的な掘り下げを 「党生活者」 の作品論に譲っている。

  文芸理論を専門とする彼女は、本書で多喜二の人物と作品論を通して政治と芸術、あるいは文学に関する永遠の問いに挑んだ。
  「蟹工船」 で得た評価を無にしかねない 「党生活者」 という作品。 ──彼女はこう問題を立てる。政治と文学という問題では、文学は文学それ自体のために独立しているべきであって、政治目的 (多喜二で言えば、 天皇制打倒、革命の実現) のために利用されるような文学は、一級下の下等品であるというような論が一方にある。
  戦後、「党生活者」 という作品が広く読まれるようになって後、文芸評論家たちはこういう論理で多喜二文学の総体としての評価に辛い点を付けた。 だが彼女は、多喜二自体が政治と文学とを全くの別物とする問いの立て方に挑戦していたと推測するかのようである。 多喜二はこの二つをひとつにする実験に挑んでいたのではないか。しかも自分の業績のためでなく人一倍感受性豊かなかれが共感する、 虐げられた女性や子供や労働者のために。本書はそう主張したいようだ。ここが難所でもあり、本書成功のポイントでもある。

  特高警察の弾圧を受ければ直ちに中断を余儀なくされるために仕事をやめ、家族との連絡を絶つ。それが非公然活動の生活だ。 多喜二自身が外界との連絡を絶って「党生活者」 の主人公のような生活をしていた。それがどんな質の犠牲を伴うものか、繊細な、 非常に繊細な想像と筆致によって本書はそれを表現している。
  それを前提にした上で、「党生活者」 という政治的文学の到達したところに評価を加えているのである。
  すなわち、犠牲を伴う日々の末に到達しようとする崇高な目的、それを実現するために日々を費やす人間を表現しようとする文学が持つ価値である。

  本書のとる評価を受け入れるかどうかにも意見の分岐はあるだろう。しかしながら、ノーマ・フィールドのあげるエピソードは胸をうつ。
  一つは、地下活動にはいった多喜二が日比谷公会堂で弟三吾とともにシゲティの弾くバイオリン協奏曲を聴き、 多喜二が目に涙を浮かべて 「生きる喜びが湧いてきた」 と語ったという話である。公会堂の情景が目に浮かぶ。
  もうひとつは、非公然ゆえに人と話す三〇分さえもの雑談に、多喜二が飢えてあこがれていたという話である。30分の雑談にも飢えるという生活!
  誰かの個人的利益のためでなく、自分の業績のためでもなく、国家に戦争をさせないため、つまりは中国の大地に生きる人々や送り出される兵士と家族に死や別離、 貧困という不幸をもたらさないための犠牲の日々なのだ。
  こうした忍耐と緊張の中で、多喜二の胸の中にあった切ないほどの人々への愛と、平等が実現される社会への理想の炎を想像するとき、 「党生活者」 という形で多喜二が表現し、伝えたかったものを私たちは新しく受けとめられるように思う。 この延長線上に拷問虐殺死の最後をもう一度思い浮かべればなおさらのことではないか。

  ノーマ・フィールドは、多喜二の拷問の場面を描くのに、つとめて抑制的であるが、しかし拷問者たちは即座に命を奪うはずなのに、 「三時間という時間が必要だったのだ」 というところ、そして、もう決して 「書くことのない指を逆向きに折った」 という叙述は、命を奪ったものの卑劣さ、 残忍さをかえってフォルティシモにひびかせる。
  多喜二の誰にも好かれたという開放性、家族と恋人を愛し続けたやさしさ、一点の光さえ持つことを許されなかった働く人々、とくに女性たちに、 つながっていこうとするあたたかさ、それが発揮しつくされていった人生の豊かさを思うとき、 それを中断された多喜二の肉体の痛みと精神の痛み──無念が胸にしみいってくる。

  最後に、ノーマ・フィールドは虐殺のあとを想起させる遺体写真が小樽市立文学館から撤去されたことに関連して 「感覚力の鈍磨」 という大切な問いかけをしている。
  家族はいまでも見たくない、なれることのできない写真なのだ。「あの写真か」 というような反応をしてしまうことがあってはならないだろう。
  それは本書の作者が自分にも課した誠実な問いであり、読者も忘れてはならない問題なのだと思う。 ノーマ・フィールドは、多喜二を英雄としてではなく、愛すべき一人の友人として私たちの眼前に生き返らせた。 だからこそ切実なものとしてこの問いを投げかけたのだと思う。

  母タキさんは、友人たちが目を背けるとき凄みをもって無惨な姿になった息子の襟を開いて、集まった人々に傷跡をみよ、といったという (本書240ページ)。 そして涙でほほをぬらしながら遺体をだきかかえ 「これ。あんちゃん。もう一度たてえ。みなさんの見ている前でもう一度立てえ。たってみせろ。」 と全身の力をふりしぼるような声でさけんだ」という (江口喚 『闘いの作家同盟記』 下)。
  母タキさんと多喜二の苦難をしのぼう。その共感の中からわきたつ情熱をだきしめたい。
  そうすれば多喜二はもう一度たちあがり、私たちのそばにたって歩んでくれるだろう。

  多喜二の生涯と作者の努力に熱い心で感謝をささげたい。


(2009年5月3日 NPJ 初掲)



メディア・読書日記 2013.2.11

  坂上 香著 『ライファーズ』 書評
梓澤和幸


  ライファーズ(Lifers)とは殺人、強盗、強姦などの重大犯罪のゆえに、生涯を監獄で過ごすことを命じられた人たちのことである。
  著者は八年前に同じタイトルのドキュメンタリー映画を制作監督した。
  アメリカの終身囚を取材した。映画、テレビと三つの映像作品と本書を生んだ彼女の旅はもう二〇年になる。 文章は映像よりいっそう人の内面に入っていく力をもつ。「読みすすめたい」 と思わせる文章の魅力で、 読者は著者の人生にとってなぜこのテーマが必然的であったのか、という語りに吸い寄せられていく。 彼女自身がリンチという集団暴行の被害者だった。誰も被害を真正面から取り上げてくれない。 この国から逃げるような米国留学、軍事政権終焉ののちのチリの犠牲者たちのフィールドワーク、 テレビ制作の仕事についてからの虐待や少年事件の司法関係の取材など、暴力というテーマが彼女から離れなかった。 しかし、暴力や罪について決定的に向き合うきっかけは(著者は放送局名や番組名を明示していないが)、 従軍慰安婦問題を取り上げたNHKの女性国際戦犯法廷番組改変事件だった。著者は番組制作の先端にいたスタッフだった。

  本書所収の写真にも映像作品にも登場するライファーズたちの表情は、不思議なほどに穏やかで柔和である。 凶悪事件の加害者だった過去が顔に残っていない。この境地に到達するまでにどんな葛藤と、サポートがあったのか、 著者がふれあったライファーズや支援の人々との交流があざやかに、映像のように読者に呈示される。

  映画でも、本書でも一つのクライマックスとなった場面を紹介しよう。
  自分も服役し、更生支援プログラム 「アミティ」 によって力づけられたジミーが、今度は支援する側のスタッフとして登場する。 ジミーは服役中に、刑務所の中で活動するNPOの治療共同体(Therapeutic Community)--TCに応募した。 TCには囚人同士が年少のころから受けてきた性暴力、虐待などの屈辱を告白しあい、受けとめあうプログラムがある。 人間は誰しも、最も屈辱を感ずる体験を語ることは避けたい。しかし、あえてそれをすることで心の傷から立ち直っていく。 そのような仲間がいた。それを見ながらジミーは人間として生きる力を取り戻していく。 出獄ののち、服役囚だった女性と結婚して家庭を築き子どもももうけた。 がっしりとした男性がシャツをはだけて、はいはいしながら二歳の男の児を追いかけまわす場面は、映画にもあった。 本書はその場面を再現しながら、養子に出されたことで捨てられたとして荒れすさんだ過去をもつジミーが、 実父との時間を取り戻そうとしているようで、「痛々しいほどだった」 という。 この言葉は情景を描写するとともに、その場面に立ち会うものの心も語っているようだ。

  そのジミーが、「アミティ」 のスタッフと一緒にロサンゼルス刑務所でクリスマスディナーを企画した二〇〇二年は、 看守への傷害事件があって服役者が部屋からホールに出ることを六ヶ月間一切許されない 「ロックダウン」 の真っ最中だった。 ジミーは前日、百もある監房を一日かけて全部まわり、部屋の中だけに閉じこめられた囚人を励ます。 抜き打ち検査も終わって当日朝、ようやくクリスマスディナーの許可が出た。
  ホールに出た受刑者にボランティアやスタッフが七面鳥料理や詰め物料理、それにパイを盛りつける。
  「ターキーとマッシュポテトはどれだけ」 「ソースはどれだけかける」 「パイはチェリー、パンプキン、レモンパイどれがいい」
  そういう言葉とともにお皿に溢れんばかりに料理が盛りつけられる。スタッフと囚人たちの笑顔の交流がとても美しい。   ディナーが終わった。帰ろうとするジミーに声がかかった。「ありがとう」 という言葉をまだ言ってなかった。」
  「初めて人間として親切に扱われたって思った。親切にされたって感じる。こういう気持を大切にして自分も他人に親切にしたいと思った」 そう言った囚人の目に涙が潤んでいた。
  ホールを見下ろす房のあちこちから声が上がり、「ありがとう」 という言葉と口笛と拍手がホールに反響した。

  こうした交流の中から社会復帰を遂げ、中にはサポーターに変貌していく人々もいる。そんな物語が本書ではいくつも深く語られている。

  さて日本ではどうなのか。著者が二〇〇九年に訪問した島根県浜田市の 「島根あさひ社会復帰促進センター」 という刑務所の試みが紹介されている。 映画 「ライファーズ」 を受刑者が見ている。受刑者たちと支援の人たちがお互いの名前をさんづけで呼びながら、映画の感想を言い合い、 著者やアメリカからやってきたサポーターに質問や感想を言う。映画では、仮釈放を却下されたライファーズの一人レイエスが釈放されたことを伝えると、 拍手が上がったという。

  これはまだ刑期の短い囚人たちを収容する場で先導的試行というところか。
  「刑務所は罰を与える場だ」 「彼らは管理をしつくさなければ何をするかわからない」 「凶悪犯には厳罰だ。それが社会を守る」 という連綿と継承されてきた空気と文化を突破することは容易ではない。 しかし、本書に示されたような哀しい、胸一杯になるような弱き人たちの支え合いの中から、 はっと気づかされるような発見をしようとする柔軟ささえ私たちにあれば、 既決の人々たちがまとわされる囚人服のような絶望色の未来だけが横たわっているわけではない。 本書の魅力ある文体の誘うままに、一人ひとりの物語に入っていけば、苦難の人生のはてにたどり着く希望がどれだけ大切で確かなものか、 困難に満ちたこの国で監獄問題にとどまらぬテーマにどれだけの変革力をもっているか、を学ぶことになるであろう。




メディア・読書日記 2012

  日隅一雄弁護士
     『マスコミはなぜ 「マスゴミ」 と呼ばれるのか』
補訂版 現代人文社


  ネットやシンポでの発言が、ある種カリスマ的な熱を帯びた人気を呼んでいる、日隅一雄弁護士(NPJ編集長)が、マスゴミ本の増補版を出した。
  原発報道でマスコミへの信頼を失ったという声は、少なくない。購読している全国紙をやめたという話も聞く。なぜこんなメディアなのか。 日隅弁護士は、ただ、記者のやる気や、経営者の姿勢を糾弾してもだめという。
  日本にメディアの独立性を担保する仕組みがないところをついた。堅実な本だが、すでに三刷を重ねたという事実に驚く。 加えて、増補版が出た。そのポイントは、東電福島第一原発事故報道の批判、特に東電記者会見の模様と、その批判的解明である。 なるほどそうか! と、膝を打つ。
  1,890円(税込)で溜飲が下がり、そればかりでなく、メディア改革の見通しまで伝授されるとなれば、ヤスイ。おすすめ本だ。
  なお私は、NPJの代表であって、「おいおい、内輪褒めか。」 と言われるかもしれない。でもそんなことは関係なく、いいものはいいのである。 少し付け加えると、日隅さんは、ブログでも書いているが、闘病中。軽くはない病である。 「でも、原発への自分の闘いは弱かった。福島で苦しんでいる人に申しわけない。その人たちの辛さ、悲しさに比べれば、自分の病など小さなことだ。」 と、 日隅さんはインタビューで語った。その想いを込めた発言の記録と思えば、きっと書店で本書に手をのばしていただけると思う。




メディア・読書日記 2012.5.11

書評 『検証 福島原発事故・記者会見』
日隅一雄 木野龍逸 著 岩波書店

  政府、東電は福島第一原発事故について真実を語っていないのではないか。マスメディアは政府、東電の痛いところをついていないのではないか。
  この疑問はさらに不安をもたらす。この国に生きて、私たちは自らを、妻、子、孫、そして友人たちを守って生きていけるのか。という思いである。
  そういう問いに著者たちも駆られて行動した。その記録が本書である。

  膨大な資料の読み込みも行われた。
  著者の一人、日隅一雄は3月11日の震災の際、弁護士として東京で仕事をしていた。木野はジャーナリストとして。
  やがて二人は2011年3月から2012年1月にかけて、110回をこえて東電の記者会見に通い続ける。
  なぜこの現場に吸い寄せられたのか。その動機に迫る前に、隠蔽された事実について、本書の説くところをひいてみよう。

  〈メルトダウンとレベル7〉
  福島第一原発がメルトダウンしていることを東電が正式に認めたのは、2011年5月15日である。 この日は1号機についてだけで、2、3号機もメルトダウンの可能性を認めたのは5月24日である。政府・保安院は6月6日であった。
  ここまで事実が隠されていたことは類書も説く。しかし、本書は現場にいる一人一人の生きた人間が伝える表情と言葉で、 犯罪的とも言うべき情報隠匿を明らかにしている。 原子力保安院を代表する記者会見で、中村幸一郎審議官、根井寿規審議官はメルトダウンを認めていたが、この二人は主役から退かされた。 代わりに登場したのは、メルトダウンを否定する西山英彦審議官であった。
  このことで政府の避難対策は明らかに遅れた。情報を隠して嘘を言わせている誰かが、保安院の内部か、政府の中にいた!!  固有名詞もあがる役人たちの、自信がありそうな、逆におどおどしたような表情。その描写は臨場したものだけに許されるリアリティーで裏付けられる。

  〈SPEEDI 〉
  SPEEDI とは放射能物質拡散予測システムである。政府が開発し、文科省が運用している。 これによって避難の経路、範囲、ヨウ素剤の配布などの対策をうてる。
  政府はSPEEDI の予測を公開しなかった。しかし、文科省の中ではこのシステムにより、高線量予測地域を認識し、 独自にモニタリングカーを使って計測していた。
  浪江町の赤宇木地区ではひどい線量を政府は認識していたが避難指示を出さず、住民は知らずにいた。NHKの取材陣に聞かされ、3月末退避した。
  国会での追求で、3月12日から24日までに乳児の甲状腺にかなりの影響を与えることも明らかになった。あまりに悲惨な被害である。
  誰かがSPEEDI の情報を止めた。各メディアの記者や著者たちは食い下がったが、犯人は誰か、それはいまだに明らかになっていない。

  〈汚染水、海洋投棄〉
  福島第一原発では、通常の冷却システムが破壊された。外部からの水の注入によってようやく冷却を保っている。 大量の高濃度汚染水があふれ出てくる。この汚染水の処理は2011年3月の水素爆発以来、政府・東電にとって優先的な検討課題のはずであった。 テレビ、新聞では識者がメガフロート(海上に浮かべたタンク水船のようなもの)を曳航して来る案も提案されていた。 それらの検討の経過は明らかにされないまま、4月4日東電は保安院の許可を受けて汚染水の海洋投棄を始めた。
  誰がこの決定に責任を持っているのか。具体的な個人がいかなる利益衡量の末に、いかなる価値判断をして環境を汚染する決断をしたのか。
  この決断が発表された4月4日、著者らは会見の場にいた。東電の担当者は何回も問う著者たちに、誰が決めたか答えない。 少なくとも保安院に許可を求めた者はいるはずだ…。食い下がる著者たちに、ついに東電武藤栄副社長が保安院に許可を申請したことが明らかになった。
  しかし、決断を下した責任者はついに明らかにされない。この間、午後4時以降の会見は、午後11時30分から午前1時45分までという深夜の時間に及んだ。
  食い下がる日隅たち。
  しかし、マスメディアの記者たちはパソコンを拡げ、カタカタ、カタカタという音をさせたまま誰一人声を上げない。 日隅たちは、追求をいったん止めざるを得なかった。

  数十人の取材陣。10台は並んだテレビカメラ。3人でいっぱいになる答弁者席。
  真実を追うものがあたかも冷笑されるが如き光景。もうこの頃、がんの病巣は日隅の体を襲っていた。
  この記者会見記録は無味乾燥なジャーナルではない。日隅、木野という二人のジャーナリスト(ここでは、日隅は弁護士というより、 NPJという市民メディアの記者として振る舞っている)の壮絶な格闘記録である。
  ある気負いをもってこの場に乗り込んだというより、何だ? 変だな、この場所は、という小さな疑問をもって取り組んで行くうち、 垂直の 「権力の壁」 にぶつかる。マスメディアの記者たちもときにともに追求にたつが、ときに沈黙、そしてときには日隅たちに厳しい声をあげたこともある。
  (俺たちはなぁ、送んなきゃ向こうからどうしたって催促が入るんだ。その場の正義感だけでこの記者会見の場を使ってくれんな・・・) とでも言いたげな雰囲気である。
  でも、これを放っておいては福島の人たちの暮らしはどうなる?
  子どもたちの命はどうなる?
  8時間も10時間も立ったり(椅子がなく)座り続け、疲れ切った体を励ましながら、著者たちは通った。
  注意深く読んでいくと、登場する人物は単純な悪役でも善人でもなく、一人の人間として描かれていることに気がつく。 家に帰れば家族もいて日々を生きている人間として。
  東電の答弁者も、保安院の役人も、そして若い記者たちも。

  ここで私はノーマフィールドが評伝 「小林多喜二」 (岩波新書)で多喜二を語っていることばを思い出した。 「ここ(多喜二の小説)では、階級の敵にさえも、役割が与えられている」
  人を受け入れる著者本来の性格がそれを可能にする。
  「それは作家としても、活動家としてもとても大切な資質なのだ…」

  作者は時にブログで “マンションから飛び降りたいくらいだ” という程のガンの痛みを訴える。
  他方、私(たち)の不勉強、不作為が原発被害者の苦しみをもたらしたのだ。 その苦しみに比べて私の病の痛みは小さいくらいだ、ともNPJインタビューで答えた。
 
  この本に一本の太い線のように貫かれているのは、そうした一人の人間の悔恨と、「もう下がらないぞ」 という心の奥深くに生じた決心──。 それは良心という表現がもっとも当てはまるだろう。本書は良心の闘争の記録なのである。
  運命の力が、痛みをほんの少しでも減ずるように祈りつつ、書評の筆を措く。



メディア・読書日記 小説を読む 2011.2.14

ショパン──花束の中に隠された大砲
崔 善愛著 岩波ジュニア新書

  ある人の人生をたどる評伝を書くとき、人は自分がどう生きてきたのか、そして今後をどう生きるのかを考えるのだろう。
  まして同じ困難に立ち向かった芸術家の人生であれば……。

  本書はピアニストによって書かれたショパンの伝記である。 偉大な作曲家の音楽はその人の生きた時代を色濃く反映する──それは著者がこの本に太く貫く思想である。

  ショパンが少年時代、青年時代と生きたポーランドはロシアの植民地支配のもとにおかれていた。それは民族の尊厳を蹂躙する苛酷な支配で、 ワルシャワには独立のための秘密結社が多数あった。1824年指導者のひとりウカシンスキは逮捕ののち、脚を鎖で縛られ、 重たい石を載せたリヤカーを押し、街中を歩かされた。人々はその姿を、涙を流しながら見送るほかはなかった。(本書22ページ)。

  ショパンの友人たちは独立運動に参加し、ショパン自身もその渦中にあった。 1830年5月末、ロシア皇帝ニコライ一世がポーランドを訪れたときの宮廷演奏会に、当然招かれるはずのショパンは招待されなかった。
  ウィーン、パリへの留学資金への奨学金申請が受理されなかった。
  独立運動との関わりが把握されていた、というのである(48ページ)。こういうエピソードはすでに名の知られた音楽家だったショパンの生き方を反映している。

  音楽家としての成長も克明にたどられている。8歳でポロネーズを作曲するほどの水準に達し、次々と一流の教師の指導を受けて、 ショパンは大きくなってゆく。
  ヨゼフ・エルスネルという教師の言葉は魅力的である。
  「(作曲の)規則はあくまで自分で発見すべきものである。その時々に自分で自分を乗り越えられるようになるために。 まだ見つかっていないものを見つけるための方法そのものを身につけるべきなのである」
  「自分の生徒から凌駕されなければよい教師ではない」(44ページ)

  1830年7月、フランスで7月革命が成就した。その影響はポーランドにも及び、騒然とした雰囲気をもたらした。 青年ショパンも革命家の集まるカフェに足を運び、独立運動家たちの議論に加わった。
  しかし家族、友人、教師たちはショパンだけに与えられた才能を何よりも大切に思い、武装蜂起の起こる前にショパンを脱出させ、 音楽の力でポーランドの悲劇を伝えてほしいと願った。悩み抜いたショパンは、切り裂かれるような思いを胸にして旅立つ。
  卓越した教師エルスネルと作曲科の学生たちが合唱曲で馬車にのってウィーンにむかうショパンを見送った。
  だが……。
  ウィーンに着いてわずか6日後にロシアの統治に抵抗する武装蜂起が起こる。いったん成功した蜂起も鎮圧されワルシャワはまた占領される。

  その頃書かれた日記。
  「おお神よ、あなたはおいでになるのですか。おいでになるのならどうして復讐してくださらないのですか─それとも神よ。 あなたもロシア人なのですか」(シュトウットガルトの日記)。
  言葉にできない憤り、紙の上に再現できない感情。誰の生涯にもそういうことはあるだろう。 ポーランドを取り戻す闘いの敗北と犠牲に、ショパンは苦しんだ。だが、絶望と憤怒は音楽の才能と一つになって強いメッセージを含んだ曲を、 時代を越えて私たちに送った。

  著者は 「うめき声や叫び声、すすり泣きというような言葉になる前に流れる、涙のような音」 と呼んだ。
  エチュード 「革命」 (第12番ハ長調)である。con fuoco 烈火の如くという作曲家の指示が付された。
  ショパンが独特に背負っていた感情を表す言葉、()AL(ジャル)についても書いておこう。
  作曲家リスト、詩人ジョルジュサンド、ショパンの三人だけがいる部屋で、ショパンのピアノに心ふるわせた詩人が、 曲の中に閉じこめている感情とは何かを聞いた。 ショパンは悔恨から憎しみに至るまでの感情を表す()ALだと答えた(132ページ)。

  著者は難民としてパリの日々を送ったショパンの胸中、ポーランドの人々の受難に共感し、音楽に絶えず表れる 「光と影」 をみごとに指摘している。
  このくだりは本書のクライマックスである。指紋押捺拒否訴訟に20年取り組み、 指紋押捺拒否ゆえに留学先のアメリカから帰国する際にはいったん入国を拒否され、 ついに協定永住権を奪われるという体験をしたピアニスト崔 善愛だけがなしえた仕事である。 作曲家の精神の痛みとそれに由来する音楽の輝きを映し出す著者の描写をたたえたい。

  病苦のゆえに異郷で孤独の死を遂げたショパンは、心臓を故国に埋めてほしいと切実に願った。 姉が遺言を実現し、今もそれはポーランドの大地に抱かれている。
  ショパンが伝えようとした自身の苦悩とポーランドの悲劇は、離散を強いられた人々の運命となって今も全地球に拡がっている。

  言葉を越えて無意識(ユング)に働きかける音楽という芸術が持つ力を信ずる人へ。それなしには生きられぬという人へ。 私はショパンと崔 善愛への尊敬をこめて本書を薦める。
  一心に読み切ったあと、音楽、とくにエチュード 「革命」 に耳傾けられよ。優美な旋律を越えてたち現れる低音部の、 圧倒するような音があなたの魂をふるわせるだろう。
  我が身を削るようにしてショパンの精神の軌跡をたどり、その音楽の真の姿を彫(え)り抜いた著者に感謝を捧げたい。

  付記  本の副題は作曲家シューマンの言葉からとったという。
  崔 善愛は21歳で指紋押捺を拒否。そのことを理由に留学先のアメリカからの再入国を拒否され、永住権をはく奪された。 二つの裁判を最高裁まで20年取り組む。
  国会に参考人として招致され、結果的には最高裁判決の結果を覆して14年ぶりに特別永住権を回復した。
  CDに 「()AL」 「Piano, my Identity」 (ともに若林工房)がある。




メディア・読書日記 小説を読む 2010.4.30

『「違法」 捜査――志布志 「でっち上げ」 の真実』
梶山 天(著) (角川学芸出版) 書評

  足利事件、松本サリン事件と並んでその事件名がよく知られた志布志事件の、取材担当記者による物語である。 タイトルに 「でっち上げ」 ということばが用いられていることに注目しよう。

  冤罪事件とは、通常、事件が発生してその実行行為者について捜査機関が過った認定をし、 裁判所もまたそれを見破れないことによって被害が拡大するものである。しかし、志布志事件では公職選挙法違反とされた事件がなかった。 買収会合がないのに、買収の供応者とされる現職であった中山信一県会議員が逮捕され、395日にわたり勾留された。 15人が逮捕され、また、たたき割りと称する過酷な取り調べによって、自殺未遂、精神の一時的異常、重病、失職などの被害がでた。 13人が起訴され、12人に無罪判決が下されるまで、50回(うち30回は10時から5時まで)の公判期日、4年の歳月を要し、 この間一人の被告は無念のうちに病死した。

  でっち上げの動機は何か。取材の中で長老県会議員とある警部に疑念がむいてゆく。しかし、その長老県議は交通事故で突然の死を遂げた。 本当の動機は本書によってもまだ解明されていない。
  しかし、事件の中核とされる買収会合がないのである。一体この捜査と裁判によって踏みにじられた人々の人生はどうみるべきなのか、 記者の憤怒に近い正義感が背景事実への解明に駆り立てた。
  ファミリーレストランで捜査の渦中にあった警察官にその存在をかけて迫る場面がある。「あなたはいったいなぜ警察官になったのか」。 幕末の、雄傑にも似た風貌を持つ警察官に筆者が迫る場面は二人の内面への想像を駆り立てる。
  捜査陣の奥深くに迫るうちに、記者たちは被告の一人浜野博さんへの違法な取り調べの事実をつかんだ。

  浜野さんは、担当の警部の厳しい取り調べを受けた。 以前、関連する冤罪公選法違反事件の捜査で命を落としかねないほど苦しみ架空の調書を作らされた妻のことを考えた。 ありもしない20万円の買収金の受領と8名の消防団員への分配(架空)を自白させられた。 記者たちはこの取調べが上部にはからず、独断専行でやられたことを捜査陣内部への取材でつかんだ。 粘り強く浜野さんを説得して取材に応ずるよう説得した。 努力の結果、志布志事件冤罪告発キャンペーン第一報(2006年1月5日 朝日新聞西部本社版朝刊)がはなたれた。

  13人の被告と弁護側は苦悩の最中であった。しかし、このスクープ第一報以降のキャンペーンは、捜査陣内部からの告発、情報提供をさらに促し、 紙面は被告弁護団にとって大きな援軍となっていった。

  本書がふれる 「取調小票」 と呼ばれる取り調べメモと県警と検察の打ち合わせ記録の入手は目を引く。 取調小票と捜査内部からの聞き取りから、複数の自白の買収金額、買収会合の回数に関する矛盾、 捜査陣下部からの捜査手法への批判とそれへの抑圧を具体的に明らかにした。捜査員たちが強引にとった自白調書を裏付ける客観的証拠もなかった。 買収の原資(預金の引き出し等)の痕跡や買収会合の料理の出前の記録などなかった。 県警と検察との打ち合わせ記録も捜査の深奥を白日の下に晒している。 そこでは取調小票の開示を求められたら(事件が)飛ぶといった意見も記録されている。買収会合がないのだから当然のことであるが。
  捜査内部の隠された真実が断定として書かれていることが本書の魅力である。内部告発と資料の入手が、筆者の自信を根拠づけている。

  悲惨な冤罪を分析するにあたり、一つ、課題が残されている、と思う。裁判官たちのことである。
  裁判官の責任は深刻である。最長395日の勾留、50回をこえるがさ入れは裁判官が令状で許可した。警察の違法捜査のチェックの役割ができていない。 裁判所は起訴状の買収会合の日時を特定させるべきなのに不特定のまま日時が経過した。それはアリバイ立証を困難にした。
  買収会合がなければ砂上の楼閣となる事件の真実をいつまでも見抜けず、放置していた責任は最後の無罪判決だけでは免責されない。 無罪判決においてさえ裁判官は、これだけひどい取り調べの末にできた自白の任意性を認めている。 冤罪で苦しむ人を救えなかった裁判官の謝罪と責任の取らせ方について、社会は検討を加えるべきだ。 その材料になるのは、個々の裁判官への取材である。これは、この事件でも足利事件でも、もっと徹底される必要があるだろう。

  被告となった人々の運命はあまりにも悲惨であった。しかし、警察官、検察官、裁判官たちはその後もキャリアの道を歩んでいる。これでいいのだろうか。
  松本サリン事件、足利事件、志布志事件で共通して言われている命題がある。「メディアにはひどい仕打ちをうけた。しかし、救ってくれたのもメディアだった」。 人々が強大な権力と対峙するとき、記者とメデイアが不可欠の力を発揮する。 この職業は権力のふところに飛び込んで真実を暴き出す使命を担っている。本書はその役割を果たした人々の存在証明ともなっている。
(図書新聞 2010年4月10日)




メディア・読書日記 小説を読む 2010.4.16

()(さき)くあらば」 小嵐九八郎 講談社文庫

  死刑囚永山則夫氏のことをNHK教育テレビで見た。これ以上の貧困と放置、虐待はない、というすさまじい養育環境をテレビは追った。 青森県のある街の一角がくりかえし出てくる。明るい色が射しているが地面の冷えと寒気がせまってくるような光景──。 ここで、母に捨てられた永山少年は兄弟のすさまじい暴力にさらされて育った。
  集団就職で都会に出るが、行けども行けども安住の地はなく、米軍基地に忍び込んで射殺されることを望んだ。
  逮捕、その後の苦難、そして四人の射殺。

  死刑判決は一回、東京高裁でくつがえされる。だが、最高裁で差し戻しとなって、という経過をたどる。
  「いったんは助けておいて、そして殺されるんだ」 と詰め寄られた女性の弁護人が語った。 堂々たる存在感のある女性であったが、見るほうはその内面の苦悩を想像させられた。
  しかし、何より注目をひいたのは死刑囚と獄中結婚した女性が、初めて人々の前に出たことだ。
  その人にも同種の経験がなければわからない苦しみの生い立ちがあった。
  人は共感できる痛苦の体験があるときぐっとお互いの距離を縮める。そして互いが自分の生にとって不可欠の存在になる。

  その女性が全体発言したことは、「この人と生きる、それが私が生きるということだ」
  獄中の人と、それも死刑が確定した人との愛や、共同の生が実現するなどということがあるのか。

  こういう問いにつかまれながらフィクションの方の小説を読んだ。

  閉じられた空間、獄中の生活に関心を持つのは何故なのだろう。
  近くは佐藤優の 「獄中記」 (岩波文庫)、少し離れると 「獄中書簡」 (徐俊植)、「獄中19年」 (徐勝 岩波新書)、大逆事件の幸徳秋水の獄中書簡、 「一犯一語」 のことばを残した大杉栄のエッセイ、「妻たちの 2.26事件」 (澤地久枝 新潮文庫)などに人々はぐいぐい引きつけられる。
  通常人の体験することのない異様な生活だからか。――それもある。
  自由を制約された空間につむがれる精神的営為が修道院の修道僧のような緊迫感をもつからか、それもある。
  しかし、それらのことを全部ひっくるめて、作中の人物と一瞬をともに生きようとする読者にとっては、次のことなのではないか。見落とせないのは。

  死と直接隣り合わせた生を日々生きることを余儀なくされるのが “獄中” なのだ。 命は終わることを内在させているのに、人は、それが永遠であるかのような幻想の中に閉じこめられている。
  しかし、真実のところ終末はすぐそこにあるのだ。そうした意味での “獄中” を最も端的に生きているのが死刑囚である。
  最後の日に、前ぶれもなくやってくる胸板厚い特警たちが扉の前に止まったか、あるいは通り過ぎたか、という瞬間がある。 体にざわざわっとした電光が走り、きゅーんと縮こまったような感じになるのです、と、 再審無罪になった免田栄さんが 「裁判員へ」 (NHK教育テレビ)という番組で語っていた。

  小説の主な登場人物は、死刑囚南木野と、その恋愛の相手となる榊原茜という女性だが、キリスト教の教戒師坂本と、看守の吉野が重要な役割をもつ。
  この脇役の人物二人が、実は小説を貫くストーリーの縦糸に絡む横糸、すなわち宗教(死との対峠の哲学)というテーマと、 獄中の現実味を語る役回りを演ずる。ちなみに、この書き手こそ獄中のリアルを描写できる最高の作家であろう。細部の観察が行きとどいている。
  南木野と牧師の会話から、宗教としてのキリスト教の教義で語られる存在とは違う史的イエス────人間として生き、 死んだイエスと南木野との時空を超えた対話が浮かび上がる。
  人間として生きたイエスに想像をめぐらすとき、後世の者はその人物が味わったであろう高揚と失望、希望とその肉(実存在)が蒙った痛み、 最も近い者(処刑台から逃亡して知らぬ存ぜぬを決め込んだ12人の弟子たち)からうけた裏切りがもたらす絶望に思いを至らざるを得ない。

  ハンセン病の苦しみにある人々、肢体不自由な人々、売春婦や犯罪人という最も差別された人々の病苦をいやし、その人々を体を張って守り、 しかもそれをもって誇らず、明日のことを思いわずらわず、ただ人々のために生きることをもって生きた史的イエス。 しかし、善良な人にこそ過酷な運命が襲う。弟子の裏切りと密告、権力者の変革者に対する恐怖によって、 残忍な十字架刑の痛苦のはてに生命を奪われる史的イエス。絶命寸前に大声で絶叫したというイエス。
  南木野はその痛苦に自らの処刑の肉体的痛みを重ねながら、宗教としてのキリスト教に帰依することを拒む。

  自らが理不尽に命を奪った女性と男性の最後の瞬間の苦しみをわが苦しみとし、その心の自らに向けた憤りをわが身いっぱいに受けようとするからである。
  宗教的救済によっていやしを受け、そのような被害者の苦しみへの共感共苦から解脱することを拒むのである。 南木野にとって処刑とは、この共感を現実の肉の体験にする行為である。その瞬間に向けて南木野は自分を鍛えようとする。

  南木野と獄外から愛を交わす女主人公は、南木野によって命奪われた男性の恋人だった。 殺された男女は、南木野の犯罪によって不倫の場で命を断たれる。
  女主人公茜は事件のことを知りたくて被告人南木野の法廷に通う。
  こうした茜と南木野の間に男女の愛が成立するのか。その現実感を作り出すのは作家の手腕であろうが、 ここは技術──テクニックの問題ではないように感じた。
  通常の人にはあり得ない特異な環境にある男と女もまた、掘り下げて行くと、読む側の我々と同じ存在である。 日々の時間を過ごし、喜び、悲しみ、苦しみに日々向き合って生きているのである。かかる存在への想像力を働かせ、いとおしさを徹底していくとこうなるのか。
  極限まで自由を拘束された人々の日常の描写の中でも、目立つのは看守や雑役囚との言葉や無言の会話のやりとりである。

  画を描く才能をもった南木野に 「絵を書け、書かなきゃだめだ」 と看守吉野が叱咤する場面は印象的だ。 懲役の配食夫がふと心を通わせて料理を多く盛りつけてくれる場面もいい。
  そうした日常を生きる囚人と女性の恋愛の端緒と発展である。読者が一貫して引きつけられていく、物語の主な筋は──。

  この物語の最大のクライマックスは執行の場面である。
  牧師と弁護士がたずねた元看守の自宅で、冷酒をあおりながら語られるあまりにも詳細な、主人公の最後の一刻、一刻。
  どうしても印象から去らないのは、刑場に連行される南木野の顔が真っ青だったという場面である。 被害者の遭遇した肉体と精神の痛みを、この身にうけることが本当の悔恨だというその南木野の最後の一瞬と、 その場に立ち会わされる看守たちの人間としての思いが読む者を圧倒する。ここに居合わせる人たちはみな人間だ。
  「復讐は許されない。」 国家は代わって復讐をするものでもない。ならば何故奪うことができるのか。 つづられていくプロットの積み重ねのその先は、この問いにつながっていく。死刑。この問題を誰しも眼を背けて、考えようとはしない。
  小説は理論ではなく、具体的な人間の物語を通して最も根源的にそれを考えさせる。
  「ここを通り抜けないと、戦争に命がけで抵抗する主体は作れない。自分の中にも社会にも」 という作者の肉声が聞こえてくるようだ。


  後記
  中国、アメリカ、日本は経済大国である。同時にこの三国は死刑大国でもある。
  小説のタイトルは大化の改新にさかのぼる。 陰謀で謀反人と擬せられた有馬皇子が処刑のため搬送される途中和歌山県南部町の磐代で詠んだ句からとったものであろう。

    磐代の浜松が枝を 引き結び
    真幸くあらば また還り見む
           詠み人 有馬皇子

  句の意味は、「旅の無事を祈る松の枝を引き結んだが、もし幸あってここを通ることがあればこの松の枝を仰ぎ見ることだろう。」 である。
  「真幸くあらば」とは切実な生への希望を表す言葉か。




メディア・読書日記 小説を読む 2010.4.16

小説を読む

  ここのところ二人の作家の小説を読んだ。読書といえば仕事や研究に関係する法学関係のものも新聞も、英文の雑誌や新聞も速読のくせがついてしまった。 要するに何が言いたい文章なのか、論理の筋をたどってしまう。
  しかし、文章とは生きてゆく日々の産物である。それを身に受けようとする読書なら身に付いてしまった速読の習慣から抜け出さなければならない。
 
  小説に限れば、それはなおさらである。山を登るとき、先輩から 「これ以上ゆっくりできないというくらいにゆっくり歩け」 と言われた記憶がある。 小説は、他者の人生の中に入り込んで、ある瞬間その人生を生きるのであるから、「これ以上ゆっくりした読み方はない、 というくらいにゆっくり」 と読み始めなければならないのだ。そう言い聞かせながら、読み始めた。

  一人の作家のことはしばらく置き、(これはこれで強烈な小説であったが、)もう一人の作家の作品の中の人生を、私という一人の人間がどう一緒に生きたか、 というような気持で読後に振り返ってみたい、と思う。
  「サンセット・ビーチホテル」 (新井満 文春文庫)である。
  文庫にはサンセット・ビーチホテルとサンライズ・ステートビルという対となった小説が収められている。夕陽と朝日の対である。
  太平洋に浮かぶミクロネシア群島の中のある島に、広告会社でバックグラウンド・ヴィデオを撮る三〇代半ばの男性が旅をする。
  男性が身をおく環境は、強い陽差しの日光と、突き抜けるように透明な空、それに、一刻一刻と色が変わってゆく海である。 海の色は一刻一刻碧から青へ、あるときは鉛にあるときは水色に本当に変わる。

  小さな島では、海で釣りをするか、昼寝をするか、あとはぼうっと遠くを見てゆっくりと時間が過ぎてゆくのに身をまかせるしかない。
  都会に生きるわれわれが忘れてしまったのは時間のことだ。時間がここでは太陽と同じ速度でしか進まない。 日がのぼるときから太陽が正12時真正面に焼け付くように照りつけるとき、そして燃え立つような夕日として水平線に沈んで行く、 そういう太陽のすすみかたの速度と時間が同じなのだ。
  なんといういとしさであろう。
  だが一方 夕方、水平線に落ちてゆくサンセット(落日)の燃え方は、単調な景色の移り変わりの中で、その一瞬だけ心が波立つような激しさをもっている。
  主人公の桜木はただ時間に身をゆだねて生きている人々と生きる時間をもつ。

  ただ、この幸福の中に不吉な影が忍び寄っている。遠くから吹いてくる風に身体をやられる人が少なくない。 小さな女の子の母親は原水爆の実験が800キロのかなたから送ってくる風にやられてがんの病にやられて入院し死ぬのを待つばかりなのだ。
  夜暗い海に、こぎ出でた桜木は澄み渡った空に星を見る。これまた都会人がみたこともない空だ。 それはおもわず叫びたくなるような永遠の遠くが見渡せるような透明さを持つ。澄明な漆黒の中に星たちが何万年もむこうから輝きを送ってくる。

  あっ。流れ星だ。すうっと箒でなでたような光のすじが空を走る。
  船で案内してくれた頑丈な体のポリネシア人は「違う。あれは人工衛星のごみだ」と悲しそうな声でいう。

  しかし、そんな不吉は青い空と梅、灼け尽くすような夕陽、のんびりとした人々の生活の中に埋め込まれ忘れてしまっている。 ゆっくりとした時間は人々をつつみこんで不吉や不幸を忘れさせてくれるのだ。
  象徴的な場面があった。
  清楚この上なく、汚染やゴミなどということからは無縁な光景の中で、バドワイザーの空きかんを主人公が発見するのである。
  こんな孤島の海にバドの空きかん?
  それは、まわりの情景と時間の進行が静かなだけに桜木の胸を底からゆさぶるほどの衝撃的な出来事であった。
  不吉というものを忘れることによって人々は日々を生きてゆける。桜木の海と太陽と時間に身をゆだねる日々が進む。

  だが島の青年と一緒に沖合に出た主人公は、悲劇的な出来事に遭遇する。

  その悲劇は生命にかかわる事件であったが、大規模な事故というわけでもなく、あくまで個人的な事故であった。
  だが、それはこの地球がほろびるかもしれない、という暗喩を含んでいた。

  いったん 「サンセット」 をタイトルに含んだ小説はここで終わる。


小説を読む 2

  ゆっくり読み始めるのだが、面白い小説はつい、その先、その先へと急いでしまう。
  サンライズ・ステートビル(新井満)もその一つだった。対偶という言葉で、作者はサンセット・ビーチホテルという前作との関係を語っている。
  対偶──対、とは夫と妻、サンセットとサンライズ、それに死と生、自然と都会ということか。
  ニューヨークという街のことは、常盤新平というエッセイストがよく書いているが、 「サンライズ・ステートビル」 はこの街のもつ不思議な視覚的魅力をまるで映像作品でも見るように描く。 この街はがれきの美を持っている。百年以上もたったビルが半分壊されたまま放置され、よく見ると残されたビルの壁面には、 初めそれを建てた主の名前がくっきりとした書体で書かれているが、アルファベットの文字はよく判読できない。 さびついた鉄筋と崩れかかったコンクリート、少しだけ残ったトタンの淡くなった青や黄、赤の彩色に午後遅い陽光が差すと、 一瞬それははっとするような造形の場面をつくりだす。こういう、人を自由にときはなってくれるような、放り出してくれるような街なのだ、ニューヨークは。
  都会、大きくふくれあがった都会は、自然の里山に包まれた農村よりも本当は自由なのだ。人と人とが切り離されているだけ。 世界一、人が速く歩く街では、人が人に無関心なだけ人は自由になれる。

  主人公碧は書道家である。というより書の舞台芸術家である。
  思いっきり太い筆をバケツのような桶にいっぱいにした墨の中にひたし、壁いっぱいに貼り付けたキャンパスに叩きつけるようにして、書く。
  書といえば、ある決まった作法と作品の発表があるのだから、こうした舞台芸術としての書は伝統の世界からは受け入れられないのだが、 彼女の内に埋めこまれた才能と、自分への鍛錬が、そして彼女の内側の反逆の精神が、彼女を一流のアーティストに仕上げてゆく。
  ゲイをナチュラルな性として生きるアメリカの男性が日本を訪ねてきて、ニューヨークの舞台が実現する。
  その舞台をめぐる一日が小説に出てくるドラマである。 サムルノリという韓国のパーカッションのアンサンブルは背景というより書の舞台芸術家との共演といったほうがよい。
  このアンサンブルは見るもの、聞くものの内側の情動を激しくゆさぶる独特の精神的な力を持っている。
  書の舞台芸術と古来楽器のコラボレーションはニューヨークの街の風景と実にマッチして大反響を引き起こす。

  碧は公演の日、この街の南端、バッテリーパークに行く。
  この波止場からは自由の女神像が見える。
  足の下にはいつも風に水が揺さぶられ、たなびいている巾の広い川のような、海のような水があるのだが、彼女はそこで得体の知れない老人に出会う。
  その男性はヨーロッパからやってくる12歳の移民の少年が乗る帆船をいつまでも待つ。 それはアメリカがすでに忘れてしまった新しい移住者への開放性を語るようでもある。

  結末のドラマの舞台となるビルを老人はサンライズ・ステートビルと名づけて幻想にふけっているのだが、 このビルこそニューヨークの象徴ともいうべき瓦礫の美のビルである。この古いビルの解体爆破の終末は、 小説が書かれたときには誰も考えることのなかった九・一一ワールドトレードセンタービルの崩壊を象徴するかのようだ。

  何より、読者は前作の悲劇で夫の命の終末を知っている。その夫が 「また一緒に生活して三人の女の子を作るんだ」 と夢の中で語る。 碧は夫の死を知らない。夢の中の夫は消える。せつなく、さびしく悲しい夢の場面はある意味でこの小説のクライマックスだ。

  地球の終末とか地球の温暖化とか、問題を大きく語ると、その中に生きる人間の痛みや悲しみは、大げさな恐怖の中に消えてしまいがちだが、 本当はこのように辛く切ない別れを強いるのが、いま私たちという時代全体が直面する運命なのだ。

  作者の意図がどうあろうと、読者の一人である私がそう感じたことは間違いのない事実だ。

  ラストは帰国する便の窓から主人公が、老人が抱いた夢に登場するのと同じ白い帆船を海の上に見出すシーンだ。 映像作品であれば、このラスとはいつまでも長く、観客が席から立ち上がっていなくなるまで続くシーンとなるのだろう。

  青い海を背景に白く上にすっとのびる帆はまぶしいほどに陽光を反射させ、前弦に白い波としぶきをけちらし、ときに大きく高く波にのりながら、 ひたすらある方向をめざして進んでゆく。そんなラストシーンが人々の胸に残像となってのこるのだろう。

  二つの作品はこうして連続して読まれることによって一つの全体を呈示する。人々がいま生きている日々がどれだけ切実な意味をもっているかという全体を。




メディア・読書日記 2010.1.4

   史上最強のバルセロナ 世界最高の育成メソッド
 ジョアンサル・バンス著(小学館新書)


  いきなりサッカーの話というのも動機がないわけではない。が、そのことは後々のお楽しみということにしておきたい。

  教えるということ、育てるということについて、これだけ具体的な示唆に富む話もないので、読書体験を紹介しておきたい。
  著者は、サッカー最強のチーム “バルセロナ” のカンテラ(育成チーム)のコーチを体験し、 著作執筆当時東海大菅生高校サッカーチームの指導にたずさわった人である。

  教えることに優れた人の体験談は、教えられる側、たとえばロースクールの学生にも役に立つはずだ。
  彼は生徒からの尊敬が第一に必要だ、という。それは実績だけでもなく、人格の力なのだろう。
  加えて、著者が強調するのはアドヴァイスの力である。

  著者によると、サッカー選手に誰一人同じ資質はいない。その資質をよく見抜き、それに見合った助言が大切だという。
  そして、助言を押しつけてはいけない。考えさせ、助言でねらった目的が実現するのをじっと待つのだという。

  それと力を入れているのが、テクニックよりもサッカーを読むことだという。サッカーの試合には何一つ同じことは何もおこらない。 人生と同じように。ミッドフィルダーの君にボールがまわってきた。ここで、ボールを自分よりも後ろにいるディフェンスやキーパーにまわすのか、 それとも前陣に位置するフォワードの一人のところにボールを落とすのか、それは一瞬の判断である。 一瞬の。絶対的に正しい判断はないのだが、よりよい判断をする力はどうやって生まれるのか。選手はテクニックの練習をしながら、「読む」 ことを要求される。
  あのとき、なぜ縦パスでなく、横へ横へとまわしたのか。

  グローバルトレーニングという言葉が繰り返し出てくる。部分的なテクニック練習、ドリブルとか、パスとか、ダッシュとか。それらの部分練習を状況の中に置くのである。

  バルセロナのカンテラに入ってくるのだから、選手たちはもはや競争を勝ち抜いてきたエリートである。 その自尊心を尊重しながら、あくまで考えさせ、あくまで論理的で、強制をさけて、説得によって指導を貫いていくところが面白い。

  コーチは今ではなく、はるか遠くを見ている。この13歳の身長140センチの男子が、カンテラ同士の試合に勝つことではなく、 ヨーロッパリーグの選手になって輝く日を見ている。
  だから、フィジカル(身体)の調子がどこか不調のとき、あえて、試合に出さない道も選ぶ。

  「故障のとき、オフにして、悔しさに耐える力」 を蓄えさせるのも、指導者の役割なのだ、というあたりは、ジンと胸にしみる。
  若手弁護士や受験生の誰彼との会話のシーンが浮かんだりする。

  スポーツとはいったい何なんだろう。観るものにとっても闘う選手にとっても。
  それは、ただの見せ物ではないように思う。人はそこに、何か自分の人生を重ね合わせているのだ。
  ある年長の政治家が言った。いや政治家というよりは、哲学者でもあり、芸術家でもある人であった。
  “スポーツ、囲碁、将棋でも、あんまり若すぎてスポットライトを浴びるのもどうかな。名人になる人というのは、違う伸び方をするようだ”

  ローの学生を指導する人も、目前のテクニックだけでなく、一人の人間がたどる長い一生──つまり、人生というものを学生と語るべきなのかもしれない。

  追記
  バルセロナというチームの名前はスペイン第二の都市からとったものであろう。
  チームバルセロナのカンテラにも、バルセロナという街があるカタルーニャ地方からたくさんの若者が入ってくるという。 ピカソやカザルスを生んだこの地方のチーム、と聞くと、その強さの動機がわかるような気がする。沖縄にリーグのチームがあるようなものだと思う。
  “反骨” か。