エッセイ     梓澤和幸

「銃殺」を見た
(3月26日)

  8月19日 (94年) 衛星テレビでイギリス映画 「銃殺」 を見た。
  裁判ものである。変った、実に特異な設定の法廷だ。第1次大戦中ドイツとの間にたたかわれたいくさの前線が舞台となっている。
  イギリスの戦争ものは明らかにアメリカハリウッドのものと違う。
  総攻撃前の気のきいた上官から部下へのはげましや、兵士同士のジョークなどは登場しない。戦場はもっと陰惨で、汚辱に満ちているとでもいいだけに絶望的な雰囲気がたちこめている。時折り近くに落ちる砲弾の音がゆううつの度を加える。
  ドラマの場はこんな雰囲気の中で行なわれる軍法会議に固定される。
  戦線離脱の罪で軍法会議にかけられた兵士と、その弁護人役の将校が主人公だ。
  23才なのにふけこんで、顔色が悪く、生彩のあがらない被告人とひげをはやし、深い思索的な顔をした弁護人が登場する。イギリス社会の身分制、差別はよく知られたところだ。労働者、職人と、パブリックスクールを出たインテリ、貴族との間の垣根は絶望的だし、世間のこうした序列は、軍隊の中での兵、下仕官と将校との関係にももちこまれる。
  弁護人役の将校が兵士の留置されている部屋に入って事件の聴き取りをはじめようとするとき、兵士に敬礼、気をつけをしろ、と説く場面があった。
  兵士が聞きかえす。
  「ここでもですか?」

  軍法会議の争点は被告人に心神喪失があったかどうかという点にあった。最前線をフラフラと離脱した1人の兵士が、本当に事の重大性をわきまえ、逃亡するほどの精神的力量を持っていたのかどうか、という点に。
  最初、多少の疑問を持っていた弁護人も、頭痛と下痢をうったえて受診した軍医が下痢の処方を出したことを証人尋問でつきとめ、診療時間も10分にすぎなかったことを聞き出し、これで、戦争神経症の患者の実体がつかめるはずはないとして怒りを爆発させる。
  弁護人役の将校が、事実の認識が深まるに従って無罪の確信を深めていくのと同時平行しながら観客は、兵士の立場を知り、いくさの醜悪さを知り、やがて兵士の立場を支持するようになっていく仕組みである。
  一審にあたる現場の軍法会議は弁護活動が功を奏して死刑から罪一等を減じて、陸軍刑務所での懲役を命ずる結論を下す。

  この行為の動機がよくわからないのだが、仕官は原則をやぶって兵士に接見に行く。もう仕事が終わったのだから、必要もなく、法的に問題のある行為だ。
  兵士はうれしかった。まったく人間としての扱いをうけて来なかった戦場で、弁護人ははじめて、自分のためにいきどおり、兵士への非人間的な扱いと、この起訴のばかばかしさを糾弾してくれたのだ。生きかえったような表情で兵士は礼を言うのだった。
  ところが仕官はこの兵士の表現をすなおにうけとることをしなかった。彼はここで、自分は任務を忠実に課したまでだ、君は任務に忠実でなかった、兵士としての任務を果たせずに戦線を離脱した、とつめたく言い放って兵士との感情の通いあいを拒絶するのである。

  ところが、その日のうちに、裁可を求められていた上級の司令部は、死刑の結論を伝えて来た。 竣刑の動機はさらに前線に移動する部隊の士気を高めるためというものだ。

  傲慢な道徳的説教をたれた弁護人の胸におこる痛みに満ちた悔恨。彼は敗北したのだ。あらゆる意味で。
  物語の残酷さはまだつづいて行く。
  死刑執行の日、兵士は沈静のため前夜うたれた睡眠薬のため歩けないところを護送の兵士たちによって担がれたままめかくしをされて銃殺台にくくりつけられる。
  情状証人ともなって法廷に出た同情的な直属の上官は、苦いものをのみこうような顔をして眼をつぶりながら銃殺隊に 「うて」 といわなければならなかった。
  だが兵士は死ねなかった。腰からピストルを抜いて止めをさそうとするがためらう銃殺指揮官からそっとピストルをうけとった弁護人役の将校が、やわらかなやさしい表情で兵士の首をかかえ、兵士にことばをかけるのだった。
  「死にきれないか」
  「申し訳ありません。」
  士官は兵士の口にピストルの銃口をさしこんだ。

  やりきれない暗うつな映画だった。ストーリーだけではなく白黒の画面も、俳優の顔も、サウンドもすべてが、重く沈んでいた。
  しかし、イギリスの貴族出身たち、上層の人々のスノビズム(俗物性、気どり)と、正義の名を冠った偽善と、身分差別と、それを極大化する戦場の愚劣さとをこれだけに念入りに暴露したドラマも少ないと思う。
  同時にまた、法の形式をあくまで厳密に守ろうとするが、正義を貫けない、裁判の形をとった軍法会議の不正義を痛烈に批判するドラマにもなっていた。
  「この国と王」 (This country and the king) というタイトルも痛烈だ。
  調べていないが、これは実際におこった事件をもとにしていると思われた。
  映画は1963年につくられた。

  1910年代におこった事件が40年後に映像化されたのである。達成されなかったことの意味をほりさげることは、こんなに深い衝撃をのこす。一瞬のよろこびのうちに過去のものとなってしまう勝利よりも、真実をえぐり出す敗北の方が尊いのかもしれない。