エッセイ     梓澤和幸

小説を読むということ 2
(2003年9月1日)

  小嵐九八郎という作家の名前を言っても知らない人が少なくない。
  だが、一度その作品を読むと魅力にとりつかれるだろう。
  とにかく最後まで離れさせないのである。
  「刑務所ものがたり」 という小説が私にとってはじめての小嵐作品であった。
  加賀乙彦先生は、閉じられた空間、監獄というところを舞台にした作品がもっと書かれ、 もっと読まれてよいはずだ、といっておられるが、 「刑務所ものがたり」 は稀有な作品の一つである。
  刑務所というところは物語性のある事件はないはずなのだが、作者は、二つの事件とテーマを舞台として設定した。
  一つは密造酒作り、もう一つは運動会だ。
  この二つの事件を軸に、刑務所という読者の経験しない世界でのできごとが描かれる。
  「すいこむ」 「袋につめる」 という言葉が出て来る。
  それは、看守に抗弁したり、何かと言うことをきかない囚人へのおどしの文句だ。囚人を袋につめてボコボコにし、あとは保護房にぶちこむのである。
  大抵の豪の者が長い保護房で音をあげて人間としての抵抗力を失わされてしまうのである。
  もう一つ、閉ざされた空間のテーマは抑圧された欲望、性と食への渇望だ。
  主人公は、過激派学生運動をやった過程での暴力の罪科で何度目かの刑務所入りを宣告された青年である。
  印象にのこる人物が何人か登場する。
  一人は、精悍な顔つきをしたやくざの幹部である。小説はこの人物のりりしさを強調する。
  もう一人は老看守だ。
  囚人同士のぶつかりあい、看守との抗争、息詰まるようなストライキ、そして……
  どんな場所にいても人間は、最後の矜持を失わずに生きぬいているといったようなおかしさと明るさが全体に漂う。