エッセイ     梓澤和幸

青法協人権交流会で心動かされた
(2004年3月25日)

  イラク開戦から1年たった。
  2004年3月20日。私は開会あいさつを担当した。

  一年前のあの光景は何度でも人に伝えたい。代々木公園を出たデモは青山の、ある坂道にさしかかっていた。
  デモを小さく、短く見せるためだろう。警察はデモ隊を50人から70人の集団に寸断する。 小さく細切れにされた隊列が信号機のところにさしかかるたびに、 表情のはっきりしない警察官が仁王立ちになって両手を広げている。
  60〜70年代の学生運動を体験したらしい中高年の人たちは、 「くそ。ジグザグでもやりたいよな」 と言ったりするのだが、 大勢はデモがはじめてのような人たちだ。
  NO WAR, NO WAR, NO WAR, という不ぞろいの声が、不ぞろいなのだが間断なく続いていく。
  雨が体を冷やしていく。芯まで冷えるようだ。
  さっき、公園で見た女性はほほに涙をつたわらせていた。
  憤りではなく、悲しみである。ここに共通して流れている感情は悲しみであった。
  猛烈な爆弾の下で逃げまどって死ぬのは、子どもであり、お年寄りだ。
  その人々の運命に想像をはせる。東京の巨大な人口からみればほんのひとにぎりの人々。
    坂道はそんなににぎやかでもなく、さればと言ってさびれているわけでもなく、とりあえずの渋谷から青山にさしかかる坂道だった。
  坂の中腹で小さな信号のない交差点にさしかかった。
    すると右手からタクシーがやって来て、5人ほどの横隊になった人の群れの横に止まった。
  急いで料金を払うと、27、8歳の若い女性が小さなバッグをかかえておりて来た。 いや、バッグの中から何か小さな紙をとり出していた。
  そこに、NO WAR, 戦争をやめて、と赤いマジックの字が書いてあった。
  ごく普通のサラリーマンの女性が、一夜悩んだあげく、やっぱり行こうと決めたような意を決した表情であった。
  その女性はたった一人で集団の中に走りこんだ。

  こんなデモは何回も繰り返しされた。
  日本では小さかったが、世界中では1000万人の歴史始まって以来の反戦デモだという。 ニューヨークタイムズは、これをアメリカにならぶスーパーパワーと表現したという。
 
  あれから一年経った。
  あのときよりも、事態はもっと悪くなった。
  どんな風に。

1、イラクへの違法な占領とそれに対する抵抗のために、犠牲者は一層増えた。
2、拉致をめぐる議論の中で、自国民中心主義、排外主義、好戦的世論はとどまるところを知らない。
3、自衛隊という軍隊の戦闘地派遣が実現してしまった。
4、このままでは、東北アジアで何か起こったとき、有効な抵抗ができないのではないか。
5、憲法9条はどうなるのか、という不安が拡大した。それでは希望はないのか。
  「平和への創造力」 というタイトルで開かれたこの集会は脱出口を提示する責任があった。 その責任は果たすことができたのか。

  次回に、内容をお伝えしたいと思う。