エッセイ     梓澤和幸

六法全書 買うべし
(2006年5月28日)

  くだけた集いの、乾杯の挨拶にとっておきのジョークがあるのをご存知か。
  「ええみなさん。今日は来ないと損する集まりです。だって (とその場をもちあげる言葉を挿入。 ただし笑いをとるのは間であるから、そこに気をつける) (一同爆笑)。
  損をした人の痛みを思いつつ、ここに集まっている人の幸せをかみしめつつ、かんぱーい。

  司会はここで、それでは皆さましばしお召し上がりながらご歓談を、と入るわけである。
  ここでさっと顔色を変えて、料理のテーブルにかけつけて元をとろうとしないこと。 パーティーとはもともと 元を取れる場所ではないのである。
  でもいやですね。パーティーって。だって相手はこの俺と話していたいのか、それとももっとイケメンの若い奴と話したいのか、 はたまた商売の種になる人を狙っているのか、はたまた────。
  というような索漠とした思いで、時間があくと料理のテーブルに並ぶんである。

  このナンというか信用しあっていない雰囲気とくらべて、300人位の体育会系のマッチョな男女(女性含む)が、 300卓並んだ小さなお膳を前に日本酒を囲む宴会なんていいですね。
  だって相手はこの席に来ているんだから、話したいということはわかるわけで。 きれいどころが並んでなどというフェミニストが聞いたら卒倒するような賛辞は並べませんが。

  旅館業界の雑誌があれば俺は書く。「宴会万歳」 とか。

  でも俺は、酒量は「はか」がいかず、絶対に克己心強く酔わないので、酔っ払うことが好きな弁護士の友人からは、 いやな奴と思われているのであるが。

  話題は大幅にそれた。
  最初のジョークから連想して話しは大いにそれた。というのは、このページは読まないと損するということを言いたかったのである。
  読まない人の痛みを思いつつ、読んでほしいのである。
  何を言いたいか。決して有斐閣、岩波、三省堂のまわしものとしていうのでなく、六法全書はなるべく厚いものを毎年買うべし、 ということである。

  しかも、会社法のことを言いたいのではない。この列島に住む市民住民国民すべての運命にかかわることの故にである。

  こんな経験をした。今年5月ある講演に出かけた。今年2006年版の三省堂模範六法はきちんと買って自宅においてあった。 しかし重い。ノートパソコン一台分の重さである。
  出がけに考えた。ハンディー六法でいいか。同じく三省堂で、しかも小さいのに今日引用する自衛隊法も全文出ているかわいい奴だ。 よしこれでいい。しかも2005年版で新しい。

  軽い。軽快な足取りで会場についた。レジュメはできているし、忘れ物はないし、鼻歌でも出るかと思われる軽い足取りであった。
  大事なことを言うときは、すぐ大きな声で言わない、ささやくように声をピアニシモにして言う。これは師匠の大事な教えであった。 我が家は、私以外は全員音楽専攻であり、音楽でもピアニシモによるフォルテシモという表現があることを聞かされている。
  俺の悪い癖で大事なことになると応援団のように、腹に力を入れて、大きな声を出す。いまはまことにはやらないスタイルである。
  そこで俺は心して、大きな声を出さずにひきつけにひきつけた。会場はしーんとして固唾をのんで講師の次の言葉を待った。
  講師はホワイトボードに大きな字で自衛隊法の改正、治安出動の容易化と書いた。

  ゆっくりと六法の該当部分を出した。
  う、と思わずうめいた。ないのである。何がってあなた、自衛隊法はあるが目指す条文がないのである。
  そこで勧進帳をやった。六法は2005年版であった。

  有事関係の法律は、毎年1条から3条といった小幅の改正がされている。話題になり方が小さい。 改正を提案する人々のこれは悪智恵というものだろう。

  緊急対処事態という概念と条文が、武力攻撃事態法24条から27条に入ったのもある年、 そうっとであった (緊急対処事態という概念の重大性についての文章はあと2週間ほどでアップします)。
  この条文の入り方も、ある年文章を書いていて気がついた。 あるはずの条文がなく、その年の最新の六法を買いに書店に走ってやっと解決したのであった。

  以上の次第であるから、六法全書は毎年買い換えるべし。