エッセイ     梓澤和幸


春深く──ラピュタにて
 (2010.4.29)
梓澤和幸

  駅から三、四分のカフェであった。地下は小劇場、一階は古い日本映画を上映する映画館、二階と三階がレストランになっている。 古い材木でできた階段の途中には藤棚があり、かすかに紫色の花が咲きかかっていた。最上階には斜めにガラスがかかっていた。広い空間が安らぐ。

  晴れわたっていた。おだやかな陽が射し込み、調度品のシルエットを品のいい土色の壁に映し出していた。
  隣家との間も適当な距離があった。隣の家のくすんだオレンジ色の壁にこちらの建物の影がくっきりと写し出されている。 都会の真ん中なのに遠景にも近くにも新緑があった。

  中学時代の同級生とひさしぶりにお互い夫婦連れで会った。この間に何人かの肉親が他界している。 こんなに多くの人が逝ったのか、というくらいに親しく、愛する人たち何人もの生と死が語られた。それは送る側の精神と肉体の痛みを語る会話でもあった。
  義父の他界後に出された私家版の本のことに話が及んだ。妻の父母と友人たちの写真の話が出た。 川越の在にある荒川の河原にむしろを敷いて笑っている人たちのことが脳裏に浮かんだ。

  うしろに広がる土手に菜の花が咲き、からし菜の葉が伸びている。
  刈り取った菜っ葉を炊いた大きな鍋がある。鍋を囲んで人々が昼の食事を楽しんでいた。
  心が解き放たれたような自由な笑い。
  土手はどこまでも長くつらなり、その斜面に草と春の花が遠くまでつながっている光景。 その自然に包まれて笑っている人たちの表情の何と屈託のないことだろう。その真ん中で少年と少女のように肩を組んで微笑している妻の父と母。
  それらのことを涙ぐみながら友人と僕の妻、二人の女性は話していた。

  ちょうど今は、写真の中のその季節だったのだ。
  開け放った窓を通して空を見上げると、どこまでも透明な秋の空とは明らかに違う。うっすらと霞みがかかっていた。
  一つひとつの話が山場にさしかかろうとすると、 必ずといっていいようなタイミングで鼻筋が通って眼の輪郭がくっきりとしたウェイトレスが声をかけて料理を出してくれる。
  そのたび、「ふふっ」 と妻が笑った。
  十年、十五年も会わなかった間の友人家族たちの消息や、仕事の達成のことや、介護のことや、話はあちこちに飛んだ。 場は大切だ。お互いの距離がぐっと近くなったようなひと時だった。
  食事が終わった。

  下に降りると小劇場の公演がはねていた。空き地で俳優さんと観客たちがゆったりと解放された雰囲気でしゃべっていた。 一様に陽が差すほうにむかって立っている。終演後の高揚を静めるためか、それはいつまでも続きそうな勢いであった。 友人の知り合いの俳優さんがいた。悪役向きの俳優です、と自ら名乗った。しかし善良そうな笑顔の表情を満面に浮かべていた。

  駅に向かった。路地の入口の店に、カフェ一階の映画館で上映される作品のポスターが三枚貼られていた。 青年時代からよく知っている主演女優たちのポスターだった。全盛期の写真が用いられていた。
  美貌なのだが、どの顔も美を誇るというより自己主張が強いのが共通している。おとなしいと思っていたある女優さんまでその印象なのに驚いた。

  映画公開のときからすでに歳月がたっている。その時間のむこうから「私はここにいる」とでも言っているように、強い視線が光を放っていた。