エッセイ     梓澤和幸

「集団的自衛権と秘密保護法」 5

エルズバーグとはどんな男か。
なぜペンタゴン・ペーパーズ告発に踏み出したか
弁護士 梓澤和幸 2013.11.21

  1971年6月、ニューヨーク・タイムズがアメリカ政府の秘密文書 「ペンタゴン・ペーパーズ」 7千ページをスクープしたことが、戦争の歴史を塗り替えたこと。 秘密保護法はアメリカが狙う武力行使に、日本の地上兵力(自衛隊)を巻き込むための準備だということを前回書いたところ、一定の反響があった。
  では、このスクープのもとになった命がけの内部告発者は、どのような葛藤を経て告発に至ったのか、今回はそれを明らかにしたい。

  1971年6月28日、ボストン連邦検察局にダニエル・エルズバーグは出頭した。
  待ちかまえる報道陣にエルズバーグは答えた。
  「この春には、(ラオス、カンボジアへの)二つの侵攻(筆者注 北ベトナムによるという意味か?)があり、以来、9千人のアメリカ人が死んでいる。 あのとき(1971年春のうちに)同時に新聞社にも流しておくべきだったというのが、私の唯一の心残りです」 とエルズバーグは言った。
  「だが私のしたことは自分の危険を覚悟の上だった。これらの決断の結果はすべて引き受ける覚悟でいる。 こんどの行動はすべて自分の意思から出たことだ。責任あるアメリカ市民として、私はこれ以上情報をアメリカ国民から隠しておくことはできなかった。」
とエルズバーグは述べた(田中豊著 『政府対新聞』 中公文庫 P.17)。
  逮捕状執行の後、5万ドル(現在の貨幣価値で1000万〜1500万円か)の保証金を納付して釈放された。 (注 日本にはない起訴前保釈であろう。エルズバーグが逮捕されたのは、合衆国法典793条E項違反、 スパイ法違反であって法定刑は10年以下の懲役か罰金刑の併科、または選択刑である。日本の制度では、起訴前保釈はない。 刑事訴訟法429条1項2号にもとづき、準抗告という不服申立ができるが、これは罪を認めていて、公判における有罪判決の見通しが立つとき、 すなわちエルズバーグ事件のようなときには認められることはない。)

  釈放の際の会見で、エルズバーグは記憶に残る言葉を吐いた。
  「もし私のしたことが戦争を終わらせるのに少しでも役立つなら、10年間刑務所入りしても安いものではないか」
  とりまく人々の中から 「Right on Dan. そうだ ダニエル」 という言葉が上がった。

  夫人パトリシアが傍らにいた。

  私は、内側の良心につき動かされた人の行動や言葉とはこういうものだと思う。それは政治的計算、打算とは違うものなのである。 与謝野晶子、啄木、小林多喜二などの人々が、生命の危険や、社会の圧力に抗して発した言葉とはこういうものだ、と思う。

  エルズバーグとはどんな人か。
  次の言葉にその人柄が出ている。
  「私がベトナムでした行いについては、何一つ良心の呵責に苦しめられるようなことはない。私がいま自分を責めているのは、 戦争の始まりについてもっと早くから知らなかったことだ」(田中豊著 『政府対新聞』 P.124)。
  以下、右の田中氏著作とエルズバーグの著書 『ベトナム戦争報告』(筑摩書房 1973年)によって記す。

  これらの書籍によると、エルズバーグは1931年生まれ(現在82歳)で、父親はロシアユダヤ人であった。 1952年ハーバード大学経営学部を3番の成績で(後者の自署訳者あとがきでは首席で)とある。 卒業後、国防総省の外部委託研究を行うランド研究所に入所した。1961年国防総省に転じ、マクノートン国防次官補の補佐官として安全保障問題を担当した。 65年に駐南ベトナム大使館のベトナム平定計画担当員となり、ベトナムの現地に入った(この頃からベトナムに関わる)。 69年ランド研究所、70年からマサチューセッツ工科大学の研究員となった。
  ランド研究所は千人もの研究員がいて、政府から1971年の1年だけで2億3800万ドルの委託研究費が出ている。
  彼は66年、67年頃から徐々に戦争への懸念をもち、政府内部でも提言を試みた。
  67年初め、マクナマラ国防長官が南ベトナムに飛んだ際、ホノルルからサイゴンに向かう特別機の中で、 エルズバーグはマクナマラに自分が書いて政府部内の進言に用いた報告書を読んで聞かせた。 マクナマラはこの報告を聞いてショックを受け、ベトナム介入の歴史を分析する秘密研究──のちにペンタゴン・ペーパーズ7千ページに結実する── の開始を国防総省の30人に命ずるのである。
  エルズバーグはヘンリー・キッシンジャー大統領特別補佐官とも旧知の仲であり、同じユダヤ系の血脈もあった。 キッシンジャーはエルズバーグの説得を聞くこともあったが、自分でペンタゴン・ペーパーズを読もうというところまでは行かなかった。
  その後、エルズバーグはフルブライト上院外交委員長、マクガバン上院議員、大統領選への準備をすすめていたポール・マクロフスキーをたずねたが、 反応は思わしくなかった。
  戦況がラオスに拡大する中、ほかに手段はないとしてエルズバーグは、 ニューヨーク・タイムズほか各紙にさまざまのルートを通して秘密文書のコピーを渡した。

  日本の秘密保護法の立法問題と関連させていえば、思想信条調査が大胆に拡大する、として指摘される 「敵性調査」 とは、 政府が秘密にしたい情報の秘匿保護には適性調査は無力だということである。
  それは無力でありながら国民の思想信条、信仰、プライバシーという人権の侵害のため、弊害だけをもたらすのである。
  ウィキリークスにイラク戦争の秘密文書を漏らした米軍人、ユタ州の盗聴施設を暴露した米NSAの職員、元CIA職員のスノーデン、 そしてエルズバーグはそろってカタブツ中のカタブツだった。
  いくら適性調査をかけたからといって、政府に忠実、誠実な仕事をしてきた公務員が、その当該秘密保護に内在する犯罪に気がついたときは、 良心に目覚めることを防止することはできない。
  『政府対新聞』 の著作が明らかにするエルズバーグの生い立ちと経歴は、そのことを如実に明らかにする。

  さてエルズバーグはなぜ、自己の身命をかけてペンタゴン・ペーパーズの暴露を決断したのか。 そのことに関心をもってエルズバーグ自身の著作 『ベトナム戦争報告』(Papers on the War)を読んだ。(訳書は筑摩書房 1973年 訳者は梶谷善久)

  政府に忠誠心をもち、内側にどっぷりとつかりこんできた人の著作は、読んでいて苦しいくらいにわかりにくい。 とくに第二番目の論文 「泥沼神話と謬着のからくり」 がそうだ。
  そう思いながら第一番目の論文 「協力から抵抗へ」 を読み直す。2回目になって少し理解が進んだ。 彼の自己認識の礎になっているのは 「ペンタゴン・ペーパーズ7千ページを読み通したのは自分ともう一人だけだ」 ということである。
  ペンタゴン・ペーパーズを読み通すことによって、わかったことの核心は何か。それはベトナム戦争の真実である。 すなわち、1940年代後半からアメリカはフランス、南ベトナムを支援してきたが、それは他国政府の支援ではなくアメリカ自身のベトナムへの侵略であった。 ケネディ以来の四代の大統領は、マッカーシズムの反共攻撃に怯えていた。彼らは間違った情報を伝えられていたがためにではなく、 就任している時期の期間中に撤退という決定的敗北を避けるために問題を先延ばししていた。 その際、「この戦争は近いうちに終わる」 と国民に言っていたが、それは嘘だった。 この先、完全な戦争のベトナム化はありえない、という見通しと情報は軍部からさえ上がっていたが、大統領は問題の先延ばしをしていた。 アメリカの有識者や有力メディアも、そう遠くない時期に戦争は終わると思いこまされていた。それは嘘による世論操作であった。 その結果、アメリカ国民も戦争は早期に終わると思いこんだ。その間に、アメリカの青年たちは戦争に送られて命を失い、 ベトナムの民衆は数十万人の単位で殺戮されていった。
  ただ一つの戦争を終わらせる道は、完全無条件に、アメリカがベトナムから一方的に撤退することだ。
  そして、戦争はこのままにまかせていれば永遠に終わることがなく、ベトナムという国家と民衆は絶滅されるに至る。 戦争を終わらせるのは、「この知らされていないカラクリ」 の全ぼうを、争うことのできない手段、 すなわち、7千ページの秘密政府ドキュメントという動かぬ証拠で明らかにすることだ。
  これを読んだのはただ二人。うち一人であるものの倫理上の責任は重い。 以下、エルズバーグ自身の言葉で whistle blower ─内部告発者の内面を伝えよう。

  「原点は人間である。この十年間、五人の大統領のうち四人に仕えてきた私が、戦争批判の立場にたって行動しようと決心するのは大変なことだった。
  それを実行に移すよりも、決心するまでがなかなかだった。これまで私は、ベトナムへ出征した約三百万の若いアメリカ人たちと同じように行動していたのだ。 私たちの大部分はベトナムへ派遣されることを、忠誠なアメリカ人として大統領の要請にこたえる道だとみていた。 最近まで、それがアメリカの正しい利益にそぐわないと考える者はほとんどいなかった。いま必要なのは、そうした反射作用を越えて、 大統領に対する忠誠心よりも、もっと深く広い忠誠心、長い間みられなかった忠誠心を自分自身の中に奮い立たせることである。 それはアメリカの建国理念、アメリカの憲法体系、アメリカ国民、自分自身の人間性、 そしてアメリカの “同盟国” とアメリカが爆撃している民衆への忠誠心である。」(『ベトナム戦争報告』 P.32〜33から)。
  良心への忠誠がエルズバーグをして、ペンタゴン・ペーパーズ7千ページを白日の下にさらす道に導いたのである。

  スピーチする壇の上に立つ人たちの言葉に耳傾ける聴衆の一人である青年期の君よ。
  秘密保護法は愚行である。いかなる愚行も人間の心に内在する良心を沈黙させることはできない、という意味において愚行である。 そのことを君のスピリットに刻み込むことができるなら、歴史の上ではこの愚かな試みは権力の座にある者たちの大いなる失敗となる。
  我々に権力はない。世論を変えるに足るだけのメデイアもない。だが最後まで行動と言葉をゆるめるべからず。
  一人ひとりに内在する良心は譲りがたく存在する。それに依拠して生き抜いてゆくのだ。エルズバーグのように。