連載 ふるさとと戦争
弁護士 梓澤和幸
第1回 母の本棚
生まれ故郷とは不思議な吸引力を持つ。群馬県桐生に行くには、東武伊勢崎線か国鉄(今のJR)両毛線なのだが、そのときは東武線だった。
古い造りの東武線の電車が三両つながりで、新桐生の駅に近づいた。
列車の右手に二、三〇〇メートルの山が迫ってきた。もう緑が濃く、五月の下旬くらいだったかも知れない。
あのときの不思議な感覚は鮮やかに思い出される。母の胎内に戻って行くような、えもいわれぬ懐かしさ。あたたかい思いが胸をひたした。
その新桐生の駅から街のもう一方の端の天神さままで、ふるさとの商店街は幅四間くらいで舗装された一本道になっていた。
東西に走る通りのちょうど真ん中あたりに生家はあった。洋品屋だった。小学校のとき女学校に進学することを熱心にすすめられたが、
植木職人だった祖父が頑固に断った。祖母は、母が九歳のときに病を得て他界した。
母は学問と読書への望みがいちだんと深かった。三間間口のお店の奥の六畳間が、居間と、住み込みの店員さんたちが食事をする食堂になっていた。
たて一メートル、五段ほどで布のついた本棚があった。いま思い出すと、驚くような本格的な文学書があって、
母は女性の店員さんにそれを貸し出して感想を交換することを楽しみにしていた。
中でも記憶に残っているのは、壺井栄の二十四の瞳と、啄木歌集である。
いま私が啄木の歌をこれだけ何回も読むのはここに出発している。
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