エッセイ     梓澤和幸

連載 ふるさとと戦争
弁護士 梓澤和幸

  第2回 ふるさと桐生の目抜き通りで見たこと

  絹織物の町桐生は、世界中の需要があって栄えた。目抜き通りの中心にあった父の店には、織工勤務で潤った女性が集まった。 東京の日本橋、柳橋あたりの問屋街から父の目利きで仕入れた流行の仕立て地を、1ヤール、2ヤールという手計りで売った。 飛ぶような売れ行きだった。店の中では、「上海帰りのリル」 という曲がくり返し流れた。
  計り売りの仕立て地が当たる前、赤ちゃん用品、ボタンなどの品を売った時期があったがその頃だろう。私が4歳の頃の記憶だ。
  お店からよちよちと一人で歩き、4軒先の家具屋さんの店先で見た光景が映像のように記憶に焼き付いている。 そこは交差点の角だったが、反対側に市内有料放送の音楽と、ニュース放送が流れていた。「バッテンボー、バッテンバッテンバッテンボー」 とか、 笠置シズ子の 「東京ブギウギ」 が流されていた。
  その音にかぶさって悲しい響きのアコーディオンの音が流れてきた。三人だったか、四人だったか。 白い衣装を身につけ、頭には兵隊帽をかぶった傷痍軍人の人たちだった。 一人が土下座のように両手を拡げて、用意された缶の向こうに向かって礼をしたまま伏せている。 片手の指は戦傷のため、吹き飛ばされ治った傷跡はピンク色になっている。アコーディオンを弾く兵士は、片足が義足だった。 小さな子どもだった私は、無遠慮な視線で見ていた。もう一人の兵士はよく響く声で軍歌や流行歌を歌っていた。 視力を失ったらしい両眼には、濃紺のサングラスをかけていた。 この人たちが戦傷病年金を受けられない、のちに国籍を奪われた朝鮮人だったことは、つい最近になって知った。戦争はまだそこにあった。