エッセイ     梓澤和幸

弁護士依頼の知恵──依頼者の権利宣言


  ジュネーブで開かれたIBA (国際法曹協会) 理事会の席上、ABA (全米法曹協会) 提供の会員教育用のビデオを見た。その会場で、依頼者への約束確認宣言(依頼者の権利宣言)が配布された。
  「私は、受任時に適切な報酬について説明し、報酬について合理的な契約をむすびます」 とか、 「電話をいただいたときには、速やかに電話をお返しします」 「誠実に職務を遂行し、最高水準の労働を提供します」 という事件を受認した弁護士の依頼者への約束宣言だった。
  ビデオは有名なキャスターを起用し、弁護士にとってクライアントへの報告と説明がいかに大切なものかを説いていた。
  「依頼者は知りたがっています。前にお会いしてから今日まで何もおこっていない、ということも重要な情報なのです。依頼者から事務所に留守中に電話をもらったらなるべく早く、遅くともその日の内に電話をかえさなければなりません」 というくだりなどは、多忙を極める若手弁護士、壮年弁護士達にとって耳の痛い言葉だったに違いない。世界の弁護士が100名ほど集まった会場にも苦笑に似たざわめきがおこった。
  「やり手の弁護士」 「優秀な若手弁護士」 などという紹介の言葉を聞くことがあるが、医師によって差があるように弁護士によって依頼した事件に差があるものだろうか。
  ある、というのが、私や、私の周辺の和解弁護士達の一致した見解である。
  どのような意味で……。
  一つは専門分野の問題である。日本では、民事事件では、専門の分化が無く、何がご専門で、と問われると、不動産、借地借家、相続、離婚、倒産、交通事故何でもやります、という答えをすることが通り相場になってきていた。
  しかし、最近、医療事件、法的破産、消費者問題などといった専門知識を要する仕事が増え、専門的な情報と知識が無ければ対処できない分野が多くなってきた。
  私の周辺では、医療事故を担当する弁護士がかなりおり、医療事件の権威と自他共に認める弁護士を知っているが、事件対処を巡るディスカッションを聞いていると人によって歴然とした差がある。私自身は、医療事件の依頼が来ても、他の詳しい弁護士に紹介してやっていただくことにしている。
  二つ目に、事件認定論に強いかどうか、ということがある。
  えん罪事件で鍛えられた弁護士は、1メートルほどにもなる長尺の捜査記録の中に、ほころびと矛盾の端緒を発見する。
  一審で勝つと思っていた事件に敗訴したが記録を読んで欲しいと言われ、高等裁判所宛に、一審の判決を批判する準備書面を出して、一気に敗訴、判決の額の4分の1に減額する和解に持ち込んだことがあるが、これなども、刑事事件できたえられたおかげだと思っている。
  三つ目に、しかし、最も大事なのは、依頼者と弁護士の関係である。
  ある紛争が起こるに至いきさつ、ストーリーを依頼者が包み隠さず、弱点や恥部も含めて弁護士に話せるかどうか。
  解決への見通し、訴訟によってどれだけの獲得を期待できるか、時間と費用について納得のいく情報と説明が得られるかどうか。
  実は、テクニックではなく、弁護士の人間としてのキャラクターが問題なのだ。弁護士が依頼者との間に平等の契約上の関係を作れる民主主義的 (非特権的) 感覚を持つ人間かどうか、そこが問われるのである。
  得てして専門外の人々は専門家を誤解しやすい。
  ある音楽家のテクニックをその音楽家の人生観や、芸術館から切り離して見る。
  ある医師のすぐれた医療技術をその医師の倫理や、医学観、ヒューマニズムと切り離して理解する。
  弁護士のテクニックだけを切り離して評価する。ある弁護士が出来る、優秀だ、という評価がどれだけもろく危ないものかに気がつくべきだ。
  患者の権利宣言運動にたずさわり、薬害エイズ訴訟東京弁護団の事務局長を務める鈴木利廣弁護士は、 「誰にでも効く名医や、絶対間違いのない大病院があるのではない。あなたにとっての名医は、あなた (患者) が作るものだ。名医とは、すぐれた医師のことではなく、医師と患者の、権利を媒介に結ばれた関係の内に存在する。」 と言っている。
  弁護士も全く同じだ。Aさんとの関係、B事件ですぐれた活動と成果をあげた弁護士がCさんとの関係、D事件で必ず良い成果をあげるとは限らない。
  名声で多忙の余り、あなたの事件を丁寧に取り扱ってもらえないかも知れない。名弁護士を作るのは、依頼者の権利に武装され、適切な説明と情報を求める依頼者自身の姿勢と情熱にある。
  全米法曹協会のメモとビデオはそう言う主張をしていると私には思えた。
  痛くてたまらない虫歯を治療してもらって夜も眠れるようになり、ご飯をしっかりかめるようになったとき歯医者さんの事を本当にありがたいと思う。
  七転八起の腸炎とか胃けいれんの時に病院にかつぎ込まれ、沈着冷静顔色一つ替えない若い医師に助けてもらったときなど、その知性的な顔に拍手を送りたくなる。
  弁護士がこの様な場合の医師達のようにありがたがられ、必要な職業とされているのなら、全米法曹協会の依頼者の権利宣言は、日本の市民にとっても同じように知恵とされる必要があるだろう。