僕の依頼者の一人にかなり名の知られたアフリカ系アメリカ人ジャズ・ミュージシャンがいる。
体が大きく、頭は完全にスキンヘッドにしているが全くどうもうな感じではない。
ことばは…。あのことばを楽に聞き取れるようになれれば僕のヒアリングも最高なんだけどな。
シャイだから、意味がまっすぐにとれる話のしかたでなく、つまり、その、あの、やっぱり、何というか、
といった挿入句がたくさん入る。それを必死に追っているうち、本筋がとれなくなってしまうというアクセントなのだ。
ポールが事務所に来ると誰彼となく話しかけてそこに楽しい世界ができあがってしまうというわけだ。
僕がニューヨークに行くと聞くと、アメリカの彼の弁護士に会ってほしいといろいろアレンジしてくれた。
ホテルについて電話するとポールの弁護士ボブ・ドネリーはかなり忙しそうだった。
わりこみの遠来の客を扱いかねているようすが、スケジュールをめくりながらため息をついているようすのボブからつたわってきた。
で一度、アポイントを入れたが秘書の伝言で断ってきた。それで秘書に 「また今度会いましょう」 と言って伝言しておいた。
忙しくてどうにもやりくりがつかないことはよくあるからわかる。
過密なスケジュールの一日をこなすうち、ボブとのことはすっかり忘れてホテルに帰ると、ボブの秘書からまたメッセージが入っていた。
木曜日ならいつでも言ってくれれば時間をとるというので、午後のある時間を言っておいた。
するとおりかえし、また秘書からO.Kが来た。
ウェストビレッジのニューヨーク大学の重厚な建物から抜け出すと近くは古いカフェが数え切れないほどある街の中の通りに出る。
22丁目というとマンハッタンのかなり南の方になるが、タクシーで行ってみる。
おりると、カフェ、たばこ屋さん、それに花屋さんがある大通りだった。ニューヨークはもう夏のまっさかりの気候だった。
かっと強くてりつける日ざしの中を、ほとんど半袖とミニスカートかパンツの人たちが、ニューヨーク風の速い速度で歩いていく。
葉巻だけをならべた、といってもがらんとしてごく庶民的な店に入ると、60才をすぎたヒスパニック系のご夫婦がいた。
ご主人が出てきて僕と応対する最中、奥さんが電話で店の位置を教えているのだが、
これが何というか、外国人のしゃべる親しみやすい英語だった。
「そうです。22丁目まで来て、アベニューとの交差点からちょっとあがると、私どもの店がありまして。
お待ちしてますから」。とか言っているのであった。
「どちらの葉巻ですか」。というとはじめのふれこみは 「Cuban」 キューバのものです、というのだった。
キューバのものはアメリカでは珍しいのじゃないかなと思って、もう一度聞き直すと、 「ドミニカ」 といいなおしていた。
僕はよく知らないがキューバはたばこの名産地なのだろうか。
この国の経済制裁の対象となっている国との関係をちょっと考えさせられる一瞬であった。
おみやげに買っていこうと品選びをしているうち、日本に観光にいったことがあるという話をしてくれた。
このがらんとした葉巻だけを売っている店のご夫婦はそういう余裕のある人たちなのだろうか。
そういえばこの大通りでこれだけの広さをやっているんだからなと思ったりする。
ボブ・ドネリーの事務所のある道を聞いてみると、 「その道を右にまがって、右側にありますよ。この住所ならね」。と答えた。
店を出て、あたりを見回すと、100年ほどは建っているビルがそのまま手を入れずにブロックをつくっている光景が目に入った。
茶色く、くすんだレンガに、ずっと昔、白くペンキで書かれた広告がもう字もかすんでしまっている。
その前の建物は、もっとセメント色に近く、さらにその手前は、金網で囲まれた空き地になっているという感じだった。
強い日ざしがビルにあたると、それぞれのビルの古ぼけたようすがうかびあがり、さらに、ビルがつくっている黒い影と対称をなして、
美しい景観をつくっている。その手前を左右に車が行き来し、あらゆる人種の人々が早足で歩いている。
写真を撮ってもこの美しさと立体感はのこせないなと思う。鉛筆画でもいいからこれをスケッチできたらなと思う。
この辺をチェルシーというのだそうだ。うっとりするような瞬間から我にかえってビル探しをはじめた。
22丁目の建物はいやに古い建物がならぶ。
古道具屋さんがあったかと思うとその次は古いミシン屋さんがあり、その隣は、これも古びたカフェだった。
古道具屋さんでは三人のアフリカンアメリカンがすわって暗い店内で話し込んでいる。この通りの指定された番号のビルの前に立つ。
法律事務所の看板はない。店の前の歩道と車道の境目ぐらいのところで椅子に座って作業の手を休めている
60過ぎの帽子をかぶった小柄の笑わないアフリカンアメリカンのおじさんにこのビルの入り方を聞いてみた。
「そこのエレベーターをたたいてみな。中に人がいるから」。
と指さす方をみると、それはエレベーターというより大きな金属製の箱のようなもので、幅が2メートルはあった。
ノックしてみる。中から中年のおじさんが顔を出してくれた。 「法律事務所は何階ですか」。
というと、「法律事務所、そういうものはないよ」。とエレベーターをよく見ろという。
エレベーターは人を乗せるよりは荷物をつんであげおろしするためのもののようだ。
たばこ屋さんまで戻ってもう一度聞いてみることにした。一本 street を間違っていたことがわかる。
ところがこんどの street も同じような雰囲気だった。
ボブ・ドネリーの事務所のドアを開けると、アフリカンアメリカンの中年のご婦人が大きなデスクに一人で座って、
受付嬢をつとめている。前に訪ねたことのある大ローファームと違って、この事務所はビルもそれほどきれいなわけでなく、
内装にも気を使っていなかった。2〜3分待つとボブが出てきた。
血色がよく、口ひげをたたえ、頭の回転が速いが人をよく受け入れるタイプの人柄に見えた。
アイルランド人移民だ。部屋に通ると家族の写真が棚に何枚もかざってある。
僕のお客さんがアメリカでどのくらいの所にいるひとなのか聞いてみると、 「quite higt」 ということだった。
ボブの専門は、音楽、それもロックンロールではなくジャズにしぼった音楽家、
レコード会社、 promotion company と多く関係をもつ弁護をやっているということだった。
週に2〜3回は音楽会に行く。アメリカではジャズはマイナーな分野だが形を変えて生き残った人たちは大きな仕事をやっている。
ボブはこういった人々とプロモーション、レコード会社との間の契約書を作成し、あるいは中つぎをやっているのだった。
新聞に出た彼のインタビュー記事を見ると再婚して持った息子や娘、奥さんとよく音楽会に行くのが最高の喜びで、
もうすぐ孫が産まれると言うことが書かれている。
自分のいる位置をしっかり見定めながら、その位置を楽しんでいる人生がここにはあった。
日本でいくつかの音楽関係の事件をやった話をした。人権関係の本を探していたので聞いてみた。
が、首をひねっていた。事務所の入り口まで送ってくれたが、
来ていた秘書に 「人権関係の、 left oriented (左がかった) 本がいっぱいある本屋さん知ってる」 と聞いていた。
Strand がいいかなと大きな本屋さんを教えてくれた。
ビルを出て街に出た。もう一回さっき魅了された街並みを見た。
古いビルのレンガ色のむれの陽差しがややかげりが奥行きのある光景をつくっていた。
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