エッセイ     梓澤和幸

英会話喫茶


  話はとぶが、原田宗典という作家をご存じか。 『ムムムの日々』 (大和書房) 『我輩は苦手である』 (新潮社) などを 書いている作家だ。そのエッセイは軽く、アハハと笑ってしまう読み物である。話はますます横道にそれて行くが、 文章だけで笑わせてしまうというのは、すごい才能で、木村晋介弁護士の 『……かけて行く』 『竹林からかぐや姫』 などを 見て読者がアハハと笑ってしまうと、私は、サリエリがモーツァルトに抱いたような嫉妬に苦しんでしまう。 ただし、物まねについては私の方がうまいのでそのときだけは、彼がサリエリ顔になるのがよくわかる。
  で、その運と才能に恵まれた原田宗典氏の 『東京見聞録』 (講談社) に英会話喫茶の話がのっているのであるが、 彼は、英会話喫茶体験が一度しかないらしく、私がこれからお話しする英会話喫茶の方がタメになるので、 これを読んだ人は、あちらを読まなくても大丈夫だ。
  英会話喫茶とは何であるか。それは決して怪しくも危なくもない。 金髪の女性がミニスカートで出てきて、君が 「ホアッチャ・ネーム」 などと言っている間にかえりに三万円も請求されたりはしない。 料金は、二時間いて750円から1500円ぐらいだ。 どうも怪しい、最後に、名簿なんかに名前を書かされて、会員にでもならされるのかというとそうでもない。
  ただ異様なのは、英語だけが話されること、日本人同士でも英語で話すのと、 まったく知らない人同士が話しかけるところだということだ。
  もちろん、それだけでは、魅力・ひきつけ要素がないので、 営業側も苦労して、料金を安くしたりしてなるべく外国人を多くしたり、 お客のふりをしたスタッフをいくつかのテーブルに配置したりして英語を母国語として話す人と話ができるようにするわけだ。
  私が所在を知っているのは、恵比寿で一軒、高田馬場に一軒だ (馬場の店は、原田宗典氏のエッセイから逆おしして見つけた)。 今まで、銀座、渋谷、青山に何軒かできたがつぶれてしまった。
  で、入っていくと、君は、一瞬立ちくらみに似ためくるめく思いをすると思う。なぜかと言えば、 もし店がいっぱいなら、日本人客のみんなが入り口に入ってきた君を一斉にみるからである。
  なぜかというと、日本人客は、外国人 (今は差別語として使わなくなったがいわゆるガイジンである) と話したがっているし、 ガイジンの青年は、セクシーな女性が入ってきたのではないかという、それぞれ野心に満ちた眼をむけるからである。
  客が少なくてもめくるめく。なぜなら、日本人スタッフ一人しかいないときに行ったら何をしてよいか所在なく、 かといって入った以上すぐ出ていくのも悪く、ニッチもサッチも行かない追いつめられた心境になるからだ。
  そういうときは、ゆっくりと落ち着いてコーヒーを飲む。セルフサービスで飲み放題だ。 でも、ビールとちがってコーヒーなんて一杯以上は飲めないのである。この辺は経営者側もよく研究している。
  でおもむろに、その辺においてある英字新聞なんかを読むひろをしながら、次の客が来るのを待つ。
  ウヘー来た。でもすぐに一つしかうかばない 「ハウアーユードゥイング」 とか 、 「Where are you from?」 とか 「How long have you been here?」 などをならべたてない。
  何の道でもそうだが、アマもプロに近くなって凄味をおびて来ると、刀を抜かないのだ。
  平然と日本語で斬りつけてみよう。すると相手は、 「ム、できる奴だ。こいつ 『黒帯』 だな。 ひょっとすると、三段か、もしかすると、五段の域に達しているいるかも知れぬ。怖い奴」。 といってネイティブなのに英語を使うことを恥じ、日本語のネイティブである君の軍門に下るかも知れぬ。
  (私が英語の話で使う段級は、英検一級二級のいうそれではなく、英語道大家松本道弘氏の考案になる段級位認定である。 ちなみに松本氏認定の初段は英検一級の三倍すごく、二段は五倍、三段になるとなかなか見かけない。 かくいう筆者の最近の進境著しく、自己認定ではあるが、ヒアリングの難を除き、 話す、読む、書く力では二段をこして三段にせまりつつあるのではないかというアブナイ境地に達しつつある。 ここまで来ると孤独で、留学体験者は別だがこれ以上力をのばすためにどうしたらよいかと相談する仲間がいなくなる。 アマ将棋の相手がいなくなるのによく似ている。)
  日本人が来た。さてどうするか。将棋クラブならスタッフが、 「棋力は」 と率直に聞いてくれる。 「五〜六級です」 なんていうと、 「今日は弱いのがいねえんだけど困ったな、 初段の方がいますから駒落ちでこの人とやって下さい」 などということがあってすぐ乱取りの段取りをくんでくれるのであるが、 英会話喫茶はそうは参らぬ。棋力ならぬ英語力がわからない。しかも話があうかどうか全くわからない。
  で結局、気だてのよさそうな人をみつけて話しかけるというわけだ。
  ……というわけで、かなりその気になってないと行けませんけどね。