物真似ばかりは素質である。バタフライで県体3位のおれがオリンピックに絶対でられない、
とか将棋5〜6級のおれがプロの奨励会にはいれることは絶対ないのににている。
5〜6級といえばある将棋クラブにいったときのことであった。
40前後のおやじさんがちらとおれの顔を見たかと思うと 「きりょくは?」 ときた。
きりょくと言ったって気力ではないんである。
将棋はどのくらい出来んの? という質問であった。 「あのー初心者で、あえてつけるとすれば
5〜6級かとー」 とうつむき加減でおれはこたえたのであった。
「ちーっつ」 とおやじさんの舌打ちのような苦笑のようなものがきこえてきたので、急いで顔をみると苦笑はもはやきえていた。
「うちは弱いひとはこないんでねー」 「ま、そこらへんでまっててもらって、
一級か初段のひとがきたら二枚落ち (角、飛車落ちのこと) であいてしてもらいましょうか」 というのであった。
あれえ、そのつめたい態度はないでしょう、表の看板に初心者歓迎って書いてありますよ。
…などと内心思いながら、ほんとはすでにはらってしまった700円は放棄して帰りたいと思いながら、
さればといってそれもできず、かなしばりにあった状態で脇のしたにびっしょりと汗をかいて、
上手な人達の盤をのぞきこんでいるおれであった。
というわけでおれには将棋の才能はない。金輪際ないのである。
さて物真似である。
ある暑い日の夜、何らかの会合の帰りに五人の弁護士が四谷の法律事務所に寄った。
どこかの店にはいるより缶ビールで軽くやっていこうよ、それで解散でいいよ、という感じであった。
ところがである。このなかに鷲野弁護士がいた。
攻撃のさなかにあった青法協の事務局長で、 「全貌」 という雑誌なんかには泣く子もだまるかのごとく書かれているのであるが、
そしてなるほど体の骨格はふとく浅黒く頼れる感じなのであるが、笑うと小学校時代の友達を思い出してしまうような、
人の警戒心をといてしまう笑顔の持ち主になる。
で、この鷲野弁護士がこの笑みを満面にうかべて、ほら小学校の帰りに寄り道してあそんでいこうよという楽しい誘い方があるでしょう、
あの感じでもりあげてきた。
「梓澤君のボスの物真似は面白いらしいね」 といいだしたのである。
するとまわりの人達の缶ビール一杯やったらもう帰ろうね的雰囲気は、
一挙に1次会と2次会と忘年会をたして3をかけたような会にしちゃおう的雰囲気へと急速な発展をとげてしまっていた。
その時には業界におれの芸についての評判は大分でまわっているらしく、
ほかの3人はまだ何もやってないうちから 「うふ、くっく」 「くっくくうふふ」 という感じで反応してしまっている。
こういうときにすぐはじめないのも芸のうちである。 「あはっ。そうですかね。ふん」 とかいってじらせるのよ、要するに。おまいさん。
もういやいいかげんに、なんとかしてちょうだい、ちょうだいと過程を楽しませるのである。おかしくなってきたなあ。
これは一物真似芸、いやお笑い芸の話よ。
しかしじらせすぎてもいけないのは万事共通である。
すっくとたつ。
物真似ったって、声だけではない。姿である。うちがわからでてくるじわったしたその人の雰囲気、気取り、横顔なんかをみせる。
この日の演目は俺のボスだったが、みのべ都知事なんかやるときには苦労しますね。
なんてったって、 「あにょー。ぼか−。とおもうんで、 (ここで変な終止符) しゅ」 というときそこはかとなく、
いくつになっても、ぼかーなんていっていられるぼっちゃっん風のような、貴族的なところをださなくっちゃならないわけだから、
庶民派の出としましては苦労いたします。
それから絶対やれない演目ってありますね。
最近キムタクが田村正和の真似をかなりの長時間やっていた。これがいわゆる完成の域をこえてしまっていて、
正和の気取りをみごとにこなしていたのであった。
いまをときめくキムタクでしょう。当然話題になったのであった。
「あれ、なんであんなにおかしかったんだろうね。」
「あの二人って顔の骨格がにてるのよ。ふたりともハンサムだしさあ。ああいいな。
ロングバケーションの山口智子とのキスシーンなんかさあ、もう一度青春時代にもどりたい」 と、
しばしうっとりするようなロマンティックな雰囲気に我が夫婦はひたるのであった。
しかしである。ハウエヴァーである。
そのとき一転話題は物真似芸にもだった。
「パパはだめよ。正和のまねは絶対やらないでねしらけるから。あれはキムタクだからうけるのよ。
パパにはボスの真似がいちばんよ。うふふ。似てるもん。」
おまいさん、当節の中 (吉原) はいけない女がいるっていうからいっておくれでないよ、的な感じで女房はおれをさとすのであった。
だけどねえキミイ、芸でもってでしゅよう。 (ここは岸信介ふうに)
正和の真似はできないというんならいいけどおまいさんにはボスがあってるよ、似てるんだからはないよ。
かりにもああた僕の恩師だよ。おこるよう。ふんっとにいい。
で、もどってボスの物真似である。
場面は何と云っても倒産事件の債権者集会である。倒産会社側はひたすらあやまるだけ。
300人ほどの熱気むせかえる集会のなかで、ボスの演説の出番をつくる司会役をつとめていると、
「ぶあかやるおー。ひっこめー」 などといわれても顔を引きつらせながら、微笑をうかべつつ、
「債務者会社を代理しております。○○○○弁護士でございます」 などといわなければならないおれであった。
さて続々会場に債権者がつめかけてくる。
入り口にたって人々をむかえていると 「梓澤くん、何をぼんやりたっているんだ。名刺だよ。名刺」 というボスの声がかかった。
もう一人別のアシスタントの弁護士がいた。オレと同じくらいの年だが、はるかにはしっこく、
いわゆるかゆいところに手が届くタイプである。
うやうやしく用意してある名詞のたばをさしだした。それをうけとるとボスは、けっして尊大な印象は与えず、
さればといってどんなに圧力をくわえても梃子でも動かぬといった感じで、
「んっ。んっ」 と気合いともため息ともつかぬ音をかすかにもらしながら、 「おせわになります。
はあ。なんとも。それだけのきんがあくでえわあ」 といいながら名刺交換に応ずるのである。
おれはボスに毎日のようにおこられていた、超フレッシュ時代の甘酸っぱい思い出の場面の数々を胸にうかべながら、
物真似芸にはげむのであった。
ボスの任意整理には一貫したポリシーがあった。
破産、会社更正、和議といった法律手続を使わない。任意整理でせめてみる。
みんな平等に扱う。ぬけがけをさせない。
だから不正は絶対させないし、しない。
ところがこの当然の仕事もいらだった債権者をおちつかせ、説得しながら遂行してゆかねばならね。
ある種のカリスマ性のような、くせのような、脂っこさのようなものが演説姿にはたちこめている。
それをコピーのものまねのほうでは3倍は誇張して、聴衆の目の前に展開する。
わあたくしは (と小さく低く同じ音程ではじめる)。とその場の聴衆にはもう砂に水がしみこむように芸が浸透してゆく。
さあいむしゃかいしゃのううう。 (債務者会社の) だあいりにんん (代理人) に
しゅうにんさせさせていただきました○○○○でござあいます。
わたくしどもはこおおんああんなあんな、ともおおしますのは、
いいちぶ (声を一旦低く) いいちぶ (今度は高く) 債権者のふうとうな (不当な) とおりつけ (取り付け) を
ぜえんりょくをはあっき (発揮) させさせていただきー。
そおしして (阻止) まいったわあけでえ、 (ここできれて、4度いやオクターブさげる) あありまあす。
独特の敬語法と言葉の上げ下げを縦横無尽に駆使した演説が、その場にいあわせるものを怪しい魅力でとらえてゆく。
中小企業の社長さんや総務、経理部長からすると、この一転揺るぎのない確信のようなものがたまらない魅力なのであろう。
債権者として、つまり修羅場で敵として切り結んだ人たちの中からたくさんの依頼人がうまれてきた。
きっとバブル崩壊後も。いや後こそボスの法律事務所はたいへんな隆盛をとげているであろう。
おれは青春時代の甘酸っぱい思い出で胸を満たしながら4人の聴衆を前に芸に励んだ。
で、真似のほうであるがこのへんまでくると聴衆の反応はかなりのところまできていた。
4人の弁護士達は目に涙をためてういっひっひい。ういっひひい。とわらっているのであった。
それはもはや楽しさをこえて、笑いをこらえる苦しさの境地にまで達しているのであった。
寄席でほら噺家が笑いがとれると寄席の方をひとわたりみわたすでしょう。あれってけっこう残酷なのよね。
うん、わらってくれてるか。よーし、ここでもう一発いじめておれのことをわすれなくさしちゃろう。
なんていう計算がはたらいてるわけよ。
ま、なんて申しましょうか。 (古いネタであるがここは小西とくろう風に) いわゆるプロ根性ですねえ。
おれはただのアマチュアであって別にわすれてもらったって結構なんだけど、そこがほら素質っていうやつで、
涙をためておかしがっている聴衆がいるともっとせめてみたくなるわけですよ。
で、もう一段サービスをきかしてあげたのであった。
ボスの声にもどって──。
わああたくし、どおおうもわああ。 (私どもは) ふううとうな (分かってますねこの意味) さあああいけんしゃのおおう、
とおおりつけさああわさぎおう。 (ふん、このふんは上げ調子) 阻止しなければならないいい (普通の言葉もたくみにさしはさんてゆく。
そうしないとメッセージがつたわらないからである。筆者注) こおおんななんな状況の中で
債務者会社 (やさしくいうとつぶれた会社) のおおう。しいさん、ふうさい (資産、負債) をおおう、
しさいに検討させていただきました結果 (と早い調子で) みなさまがたにもごおほおこおくできいる
(ご報告出来る) きゃあくあんてきなあ (客観的な) 資産状況を把握できるにたち、
(ここは単なる意味のない休止符、くりかえして3度あげて) たあちいたったのでありまあす。
鷲野弁護士のおかしがりかたは群をぬいていた。
本当にですよ、本当に読んで字のごとくにああた、 「ぐるじいい。たひけてくれえい。ういっひっひひい。ぐるじい。ひっひい」
という感じになってしまっている。一瞬おれはこのまま芸をつづけて、
鷲野弁護士がどうにかなってしまった場合の未必の故意が成立するのではないか、
構成要件は何に当たるんだ、業過かはたまた──。と法律家らしい思考が一瞬頭をかすめ、攻撃の手を一瞬ゆるめたのであった。
すると鷲野弁護士はやっと責め苦から解放されたかのように体をおこし、
手で涙を拭いながら責め苦の余韻にしばしひたりこんでいる風情であった。
この一件があってからおれの芸の評判は業界に一挙にひろまってしまった。
(この文章は1997年7月に執筆されたものです。)
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