エッセイ      梓澤和幸

映画「ナッツ」について


  リチャード・ドレフュスとバーバラ・ストライザンドが共演する法廷もの映画だ。 アメリカ合衆国の法廷にはめずらしく陪審の姿がみえない。予審手続を扱ったものだからだ。
  裁判手続の中で自由に思考し、発言し、行動する精神的能力が十分でない当事者は、訴訟の主人公(被告人)となることができない。
  精神的疾患が重く (ナッツとはこのような人を呼ぶスラングだ)、訴訟能力がないとされれば、 仮に殺人の罪をおかした疑いがむけられても、有罪判決を受けることがない。
  日本ではこのような場合、心神喪失として、正式の裁判手続の中で無罪判決をうけるのだが、 アメリカ合衆国のこの州では、予審手続の中で決着がつけられるのだ。
  タイトル、俳優、スタッフの名が紹介される字幕がゆっくりと流れる。 その背景となる裁判所の監置室の場面で、女性未決囚達の顔が一人ひとりうつしだされる。 この一瞬しか出てこない俳優達の顔が個性的で、絶望的な画面が、絵のようにくっきりと残像をきざみつける。
  ストーリーに入るといきなり、被告 (バーバラ・ストライサンド) が著明な弁護士の顔にパンチを加えて鼻血を出させる。 おしゃれなスーツを着こなしたいわゆる一流弁護士が法廷で卒倒する。 彼女は、殺人罪で起訴されているのだが、弁護士の 「心身喪失──無罪」 戦術に不満なのだ。
  うしろで別の国選事件の順番を待っていた、リチャード・ドレフュスに裁判官が有無を言わさず指名する。 地味な、くすんだ感じの、疲れた感じさえする中年弁護士だ。
  私はアメリカ合衆国に初めてマスコミ調査旅行に行ったときのことを思い起こした。 ワシントンDCのファーストフード風レストランで近くの席の未知の弁護士とおしゃべりしたのだ。
  彼はこの映画のリチャード・ドレフュスよりずっと若く30代の前半だった。 ただ忙しいだけで、ガールフレンドにいつも不満を言われていること、収入が少ないので、いい事務員を雇えず、 よけい忙しい事などを訴えていた。ABA (全米法曹協会) の紹介でいくつか、 度肝をぬくような派手で大きい事務所をまわったあとだけにやや意外だったが、ずっと親しみがもてた。 70万人もの法曹人口をかかえた合衆国には、さまざまなローヤーがいるのだ。
  映画では私が会った弁護士のような雰囲気のリチャード・ドレフュスとバーバラ・ストライサンドが演ずる被告人の葛藤がみものだ。
  何か奥深い隠し事をもちながらそれを弁護士に言わないために、弁護士と被告人がたえず衝突する。 こういうつらい弁護の経験は私にもあって関心をもってみた。
  彼女は正常な精神をもっているのだが、その爆発するようなエネルギーの故に収容されている病院のスタッフと衝突する。 するどく医師達の無能と偽善を告発するために、鑑定医のレポートもますますいじわるいものになっていくという悪循環をくりかえす。
  裁判はある前進をとげようとしていた。彼女を異常と信じ込む医師の陰謀で、大量の向精神薬が投入され、 大切な審理期日の前に彼女は眠り込まされてしまう。
  かけつけた弁護士ドレフュスが、病院にはげしく抗議した後、彼女をはげます場面が印象的だ。
  2人きり。
  だが、画面のかたすみに一人ガードがたっていて、そこが密室でないことを示す。 ガードがいるのに2人のコミュニケーションは、ちょっと危ないくらいに親密だ。 男性弁護人が女性被告人をはげますときにこんな危なくていいのだろうか。いたわりが限界をこえるくらいにやさしい。
  薬でもうろうとなったバーバラ・ストライザンドがいいう。
  「帰ってもいいのよ。奥さんと子どもが待っているんでしょ。私は大丈夫だから」
  最大の山場は、母親が突然法廷で、被告の少女時代におこった 父親の娘 (つまりこの被告のことだ) への child abuse (子どもへの性的行為) を暴露する場面だ。
  裁判官も、弁護人も、私たち観客も、彼女の深いいらだちと絶望の由来をはじめて知るのである。 そして合衆国に何万件、何十万件とおこっている child abuse の罪の深さを。
  子どもを守るために夫の非行を摘発することは妻の座を失うことだ。 子どもの尊厳をふみにじることを阻めなかった母。その母が泣きながら子どもに許しを乞う場面に、救いはない。
  ここに至っても娘は母を許さず、粗暴な言動をはく。
  裁判官にも、母親にも、鑑定医にもあらゆる登場人物にかみつく被告人に、 弁護人が、 「ぼくの指示に従ってくれ」 とささやく場面などは、身につまされる。
  こんな被告人を裁判官は、当事者能力ありと判断するだろうか。 これだけ絶望的なトーンで流れてきたストーリーにハッピーエンドはなさそうだな、と思いながら判決を聞く。
  終始渋面で、冷静さを失わなかった裁判官が、率直に心証の動揺を示しながら、示した判断は 「当事者能力あり」 というものだった。
  それは、精神科病棟に、無期限の拘束を受けていた彼女の自由を宣告する宣言でもあった。
  精神科病棟お仕着せのナイトガウンのまま、彼女はガードや弁護人の制止をふりきってニューヨークの街に飛び出す。 この町の、にぎやかだが、どこか人をリラックスさせる雑踏の中を大手をひろげて走るバーバラ・ストライザンドの、かがやく笑顔。 真っ青な空。
  自由。このよろこびが体にしみいってくる。彼女の凄絶な絶望とすべての苦しみをときはなってくれるような美しいラストシーンだ。
  ラストの字幕。
  「この弁護士の支援のもと、彼女は殺人本件についても正当防衛で無罪の判決をうけた。 自由を得た彼女はロースク−ルに通い、司法試験をパスして弁護士になった」