エッセイ      梓澤和幸

西国分寺駅で見たこと


  三月のある日曜日、大宮に住む友人をたずねた帰りのことだった。 武蔵浦和で武蔵野線にのりかえたのは、夜七時三〇分頃のことだ。休日の夜の電車はどこかのんびりしている。
  車椅子にのった青年がいた。長い髪に鼻すじの通った色白の顔をしている。二五、六才だろうか。
  少し酔った五〇代後半の中年男性が話しかけている。
  見知らぬ青年に話しかけた中年男性は 「じゃあな、気をつけて行けよ」 といって電車をおりていった。 しかしそのことばには、軽すぎるような、無責任なような、少しむなしいひびきがあった。
  青年がおりるのは私と同じ西国分寺のようだ。近づくと、今度は少し太ったおばさんが話しかける。
  一人で車椅子を駆って歩いている青年への同情なのか、共感なのか、 東京では知らない人にこんな風に話しかけるのはめずらしいことだ。青年のことばがとぎれとぎれに聞こえて来る。
  「結局、ついてみないとわからないんですよ…。車イスだけでも六〇キロあるんですけどね…」
  無事に階段をのぼりおりできるのか、という質問に対する答なのかも知れない。
  電車が駅につくと青年は自力で車いすにのったまま降りた。かなり段差がきつく、おりる時の衝撃の音も大きい。 青年は車イスをまわして中央線の下りホームの方に行った。切り立った高い階段をのぞきこむ。 エスカレーターもない。駅員さんもいない。 「まいった」 という表情としぐさをしながら、ホームの上で車イスは行きつもどりつしていた。
  すると、二人の三〇才前後の男性が近づいて来た。二人ともレインコートを着ていた。 けわしくない、のんびりとしたような表情がどこか似ている。
  「持ち上げて下まで降ろしましょう」 と言っている。二人ではとても無理だし危ない。私も手伝うことにした。
  すると青年は
  「いや、私は自分で降ります。車イスだけお願いします」、と言って自分で車イスからおり、 階段の真ん中の手すりにつかまって、身をよじるようにしておりはじめた。両足はほとんど体をささえることができない。 体を左右にゆらせながら、強い力の両腕で少しずつ体を下に移動させている。
  おしゃれにとかした少し長い髪もザンバラに乱れている。そのうち、靴はぬげてしまい、一メートルほど先にとんだ。 ポケットからたばこもとび出してしまった。助力を申し出た男性の一人がそのたびにそれをひろいあげて、手に持った。
  私は下で車イスをもって青年を待ち受ける役目になった。 色白の顔をあかくし、汗をにじませ、はげしく息をはずませながら青年がおりて来た。 あと二段か三段というところで下りの電車が入って来た。 青年は手すりから、急いで車イスに体を移動させたが、こんどは足が硬直して体が車イスにおさまらない。 両腕だけの力で全身をあげ、意のままにならない足を車イスの下部におさめようとする苦闘がつづく。 もう電車はほとんど停車して来客ののりおりも終わりかけたころ、青年はやっと車イスに座ることができた。 青年がすばやく車イスをすすめ後から押し上げて電車にのるのと、 後ろむきのまま 「ありがとう」 という声が聞こえるのと、ドアがしまるのはほとんど同時だった。
  車イスをおろすのを手伝った全く見知らぬ同士の三人は、目礼もせずに目を伏せたままわかれた。
  障害者の、すさまじいばかりの、自立して生きたいという意欲にふれる体験だった。
  手すりにつかまって、髪をふりみだしながら、体をずらしておりてくるあの青年の顔を思い出すと、 何かある激しい感情がこみあげてくる。