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投稿 シンポジウム「市民による市民のためのメディアを」に参加して
   
小峰 晃

  真摯な文章で、人柄が伝わってくるような北海道新聞高田昌幸さんのブログ 「ニュースの現場で考えること」 を愛読している。 そのなかで 「日本でオルタナティブ・メディアをどうつくるか」 をテーマにした人権と報道連絡会主催のシンポジウムがあることを知り、 行ってきました。以下、その内容と感じたことです。

  9月17日 「市民による市民のためのメディアを」 と題したシンポジウムの内容は、 韓国で現在大きな影響力を持つようになったインターネット新聞 「オー・マイ・ニュース」 代表の呉連鎬 (オ・ヨンホ) さん講演の第一部。 「日本でオルタナティブ・メディアをどうつくるか」 として、五人のパネリストによる討論の二部構成。

  呉連鎬さんは最初、聞きやすい日本語で話し始めたので、このまま日本語で話してくれるのかなと期待したのですが、 講演は韓国語でした。大学生時代に日本語を勉強したそうです。そのせいかどうか、通訳の方との間が非常によかったです。

  従来、韓国のマス・メディアは保守的で、2000年までは80%を占め、残り20%が進歩的という状況。 この体制べったりの構造を50対50にしたいと思い、20世紀のジャーナリズムとの決別を出発点として、 「オー・マイ・ニュース」 を2000年2月22日にスタートさせた。

  最初の話のなかで興味深かったことは
  昔、情報の伝達手段はメディア (媒体) が出現するまでは、市民 (地域住民) 同士の情報交換 (井戸端会議等) として、 双方向でのやりとりが中心だったこと。その後、新聞・テレビの出現によって情報のプロが生まれ、そのため、情報の一方向性、 市民が受け手の時代が続いてきた。しかし、インターネットの出現により情報の双方向性が可能になり、 市民参加が可能な状況が生まれた。とする分析です。

  確かに、現在のマス・メディアの情報の出所は、その多くが官庁 (警察含む)、大企業からのものになっています。 それも発表ものが中心というありさまで、一方通行といってもいい状況です。 市民の暮らしに関する情報は、飾り程度のものでしかないのが実情と思われます。

  インターネットの発達によって、市民記者の登場が可能になり、それを実現している媒体が 「オー・マイ・ニュース」 といえます。

  「オー・マイ・ニュース」の発足時、市民記者は700人、それが現在では約40,000人になっており、 それも20〜30代の若い人がほとんどだそうです。市民記者からの原稿は、毎日150〜160本ほど送られてきて、 その多くは日常の暮らしにまつわる記事とのこと。記事の30%は掲載されないそうですが、編集綱領、市民記者倫理綱領を作り、 何故、掲載されなかったのかについても、原稿を書いた市民記者に対応がなされており、掲載された記事に対しても、 市民が意見を述べるシステムが用意されているそうです。

  まさに双方向性を十分に活かした、市民による市民のためのメディアといえる体制を、 名実ともに短期間のうちに作り上げてきたことは、特筆すべきことだと思います。

  韓国では、カメラ付き携帯電話が広く普及し、 市民記者の写真付きニュースや動画ニュースがスクープ記事として画面を飾るケースが出てきたそうです。 これまでなら表沙汰にならなかったであろう韓国の大新聞・朝鮮日報記者のタクシー運転手への暴行事件が、 市民記者の動画送付ですぐに掲載され、もみ消しができずに記者が処分される事件があったそうで、 市民記者がますます増えそうな話題です。

  画像ニュースは、分かりやすくより信憑性のある素材として、その活用が期待され、アンカー育成をはじめ、マルチ ・メディア機能の強化が図られているとのこと。すでに、現場から8分後に掲載されるケースも出てきているそうです。 もちろん、編集チェックを受けてである。

  市民記者については多く語られていますが、今日の高い評価を得た 「オー・マイ・ニュース」 の根幹は、常勤記者の存在でしょう。 常勤記者は市民記者の育成と編集、特集取材を担当し、そのプロとしての取材により、多くの特ダネが生まれています。

  2004年3月には特筆すべきこととして、大統領弾劾問題で大きな影響力を発揮しました。このときには新しい手法として、 動映像の活用や紙新聞(特別号外版)の発行を行い、その影響力をさらに高めています。

  2001年には、その影響力が 1.5%だったものが、2004年には17.9%となり、全メディアのなかで第6位の地位を占めるに至っています。 それは、「オー・マイ・ニュース」 の根底にある進歩的立場からの取材、情報提供や体制・大企業に対する毅然たる姿勢によって、 今日、市民から信頼され、市民記者の活躍も生まれてきた、といってもいいのではないでしょうか。

  しかし、ここまでなるには簡単ではなかったようです。「オー・マイ・ニュース」 の収入の内訳は、広告、ニュースコンテンツ収入、 市民からの自発的収入で、なかでも広告がその70%を占める。 当初、広告営業を積極的に行ったが、体制批判、大企業批判の姿勢を貫いているメディアには当然、 大企業からの広告出稿はなく、2002年までは赤字であったそうだ。そこで編集強化に戦略を転換。 その結果、メディアとしての影響力強化が進み、2004年には新聞、テレビを含めた全メディア内で影響力第6位の地位を確保。 同時に広告収入も増大し、今では大企業からの広告も入るようになり、2003年から黒字化したそうです。

  現在は、韓国内の地方への浸透、世界への浸透を進めており、2004年5月からは英語版が開始され、54カ国、500人の市民記者がいる。   今後も、さらにマルチ・メディアの多様化、市民参加の多様化を進めていくとのこと。

  最後に、今後の課題として4点を上げた
  ・毎日の更新 (細かな配慮)
  ・持続可能なモデルとして残っていくこと
  ・収益をどうあげていくか (大企業の広告に依存しないで)
  ・グローバル化

  あまり触れられなかったが、成功の土台にあるものとして、3.8.6世代 (呉連鎬さんも学生時代に 1年間投獄される経験を持つ) の精神的柱。新聞ではなく、月刊誌編集者としての経験が大きく貢献したのではないかと思う。

  今後のさらなる発展を願うとともに、日本でのオルタナティブ・メディアを考えさせられる話であった。




  第2部のテーマは、「日本でオルタナティブ・メディアをどうつくるか」であったが、突っ込んだ話題とならず、欲求不満状態に。

  記者クラブ問題と、「日刊ベリタ」 代表の永井さんの「オー・マイ・ニュース」の分析話。

  「日刊ベリタ」 は記事の多くが有料制。記事の内容は確かに魅力ある優良なものであるが、問題意識の高い人でなければ、 見ようとは思いづらいというのが正直な感想である。

  永井さんの話を聞いていて、次のようなことを感じた。

  既存メディアに対抗する最大の課題は、いかに幅広い人たち、特に若い人たちに情報提供できるか、ということに尽きるように思う。
  インターネットは何千万もの人たちに情報提供が可能であり、 印刷・配送システムや放送設備といった莫大な資本力の必要ない媒体として、市民サイドにとって最良の媒体といえる。 いつでも、誰でも、自由に情報を得ることができる。それが最大の利点である。 無料のサイトを数年間運営するためには、何人かの篤志家がいれば、すぐにでも実現できるのではないか。 すぐに立ち上げることが求められているように思う。運営過程で収入問題を考える度量のある人はいないものだろうか。

  現在の日本では、若年層の新聞離れが進んでおり、テレビが発信する情報の影響力は莫大なものになっている。 今回の総選挙にも大きな影響を及ぼしたことは、否定できない。
  テレビでは──ニュース番組でさえ断片的で抽象的なパフォーマンスが流され、 政治家に対する記者やキャスターの幼稚な質問と知識のなさ (全員ではありませんが)、良識のなさ丸出しの政治家や評論家の多用、 過剰なまでのお笑い番組の多さ──ワイドショーの視聴者が主婦層だけでなく、最近は若者世代が増えているという。 以前、大学生に最近のニュースで関心をもったのは何かと聞いたときに、 ワイドショーの話題を挙げた男子学生が何人もいたことを思い出した。
  また、多くの企業が契約社員、アルバイト、派遣社員、パートタイマーを優先して、正社員を採用しない。 この不安定な雇用状況がフリーター、ニートを生み出し、その場しのぎ的発想や少子化問題をまねいているといってもいい。

  これが現状であることをまず認識して、発想していかなければいけないと強く感じる。

  そのためには、若者を中心に多くの人が気軽にサイトに訪れてくれるような組み立てが不可欠であろう。 押しつけではなく、問題意識をもつきっかけを提供することも大事な要素のように思う。
  市民記者の存在意義を、このような視点から考えてもいいのではないだろうか。 全国で活動している多様なサークル (文化、趣味、スポーツ等) や市民運動、環境団体との連携など、 無限な可能性を秘めているように思うのは飛躍であろうか。

  最後に、団塊の世代をはじめとする壮年、熟年の方へ
  60〜70年代に、学校や職場でベトナム反戦運動や70年安保、大学紛争等、社会問題に関心を持ち、 さらに参加した経験をもつ人の多い団塊の世代が、定年の時期を迎えている。 話をすると今の政治状況を何とかできないのか、と考えている人の多くが、連携できずにバラバラの状況におかれているように感じる。 このような人たちの協力が鍵を握っていると、最近、強く感じる。他の人たちはどうだろう。

  日本では残念ながら、市民派、変革派、環境、人権などのほか左翼といわれる人々、 要するにこの世の中がこのままでいいと思わない人々の大同団結が持続したことがない。 この際、しがらみを捨てて、ことにあたらなければならない時期にさしかかっていると思う。

  国民投票法案を審議するための憲法調査特別委員会の設置が決まった、9月22日に記す。