国分寺市立第一中学校講演レジュメ (2004年7月9日) | |
6月21日、国分寺市立第一中学校にて梓澤が講演いたしました。 その際使用されたレジュメを掲載いたします。ぜひご覧下さい! 後日、講演を聞いた生徒たちの感想も掲載する予定です。お楽しみに! 体が痛むひと、心が苦しいひと、困っているひとのことが自分のことのように感じられるような。 お話のための資料 2004年6月21日 国分寺市立第一中学校にて 梓澤 和幸 (あずさわかずゆき) 1、「13歳のハローワーク」という本が出ました。 中学1年のころからよく将来のことを考えようと呼びかける本です。 いろいろな仕事があって、この世の中がなりたっていることがわかります。 今日お話する物語には、さまざまの仕事をやっている人が出てきます。 仕事とは、職業とは、何でしょうか。 その仕事を通じてどこか、人の役に立つ、社会の役にたつ、そしてその結果お礼 (給料、報酬)をいただくものです。 13歳から15歳というこの時期は大切です。なぜなら、自由に設計図を書き、将来の準備をしてゆくときだからです。 今日のお話が将来を考える皆さんの参考になりますように。 2、いまから、10年前の6月のむしあつい夜、長野県の松本市でガス事故がおこりました。たくさんの人々が命をおとしたり、入院しました。 3、事故現場の隣にすんでいた河野さんの家では、家族全員がこのガス (サリンという毒ガスです) にやられました。とくにひどかったのは奥さんと河野さんでした。 河野さんは、被害者なのに犯人と名指しされました。 警察は河野さんの家に農薬があったことを知り、河野さんに疑いをかけました。 ある強制的な手続きをとり、新聞記者の会見で発表しました。 その翌日から、河野さんが犯人であるかのような記事やテレビが出たのです。 4、4日たって永田さんという、お相撲さんのようにりっぱな体格をし、豪傑肌の弁護士さんが頼まれました。 5、河野さんを犯人と疑った警察は、心をきずつける取調べをしました。 しかし河野さんはそれに負けませんでした。 6、やがて──。 「弁護がなければ、冤罪 (無実なのに有罪とされること) になったであろう。」 と永田弁護士は言っています。 弁護士のどんな活動が河野さんを助けたのでしょうか。 新聞もテレビも河野さんを真犯人扱いするのですが、この毒ガスが河野さんの家ではできないと科学者にたしかめた弁護士は、心の通ずる記者に書いてもらい、少しずつ、反撃してゆきました。 7、山梨県のまったく別のところで毒ガスの実験のあとが発見されます。 こうして潔白は証明されるのですが。 8、奥さんは10年たったいまも、ベッドに寝たきりです。 ことばも行動の自由もありません。 9、河野さんは、奥さんのところに毎日かよいお医者さんがもう難しいかもしれないといっても必ず声をかけ、体をさすり、いつもそばにいると、呼びかけています。 「妻よ」という本の中で、河野さんはよびかけています。 その言葉は当日紹介します。 それと11月13日土曜日午後一時いずみホールで河野さんがいらっしゃって話してくださいます。 心にのこる機会になると思います。お配りするチラシをご家族に見せてあげてください。 10、この人はどんなに大変だろうなあ、と体がつらい人、心の苦しさをかかえている人、その人のことが自分の胸の中にひろがってほうっておけなくなること、それが人権だ、と私は考えます。 人権作文で、それぞれの思いを書いてみてください。 楽しみにしています。 |