国分寺景観訴訟    梓澤和幸

〈目次〉
申請書要約
要請文
エッセイ
意見書
水くむ人々
意見書2 (環境に配慮した基礎工法について)



意 見 書 (2003年11月12日)

水みち研究会 代表 神谷 博 
2003年10月31日  

  水みち研究会は、1988年以来、野川流域の湧水保全のための調査研究を続けている市民団体です。 その活動は、「水みちを探る」(けやき出版)、「井戸と水みち」(北斗出版) などの書籍で紹介しているほか、 地域の構成団体ごとに小冊子や 「水みちマップ」 を作っています。 国分寺地区においても活動を行っており、「国分寺・地下水の会」 が水みち研究会のメンバーです。
  真姿の池湧水群は、野川の水源となっており、東京都を代表する湧水群として全国的に知られています。 その最源流部にあるのが国分寺「真姿の池湧水」です。流域の湧水群の中でも特筆される湧水であり、 環境庁 (当時) の 「名水百選」 として東京都から唯一選ばれた湧水です。 (もう1箇所は御岳の渓流) 歴史的にも武蔵国分寺の立地の由来にもなった極めて重要な湧水です。
  水みち研究会としても、その湧水が脅かされていることに非常に大きな懸念を持っています。 以下にどのような懸念を抱いているかについて述べたいと思います。

1.涸れる恐れがあることについて
  真姿の池湧水は、他の湧水が涸れるような渇水時においても決して涸れることがないと言われてきました。 それが近年怪しくなりつつあります。周辺の市街化が進み全般に地下水が減ってきていることと関係があると思われます。
  それでも真姿の池が今も良好な状態を保っているのは、大きな水みちが2つあることによると思われます。 二つの水みちがあることは、東京農工大学 (小倉研究室) の研究で初めて明らかにされ、 今回の国分寺市の提出した地下水調査資料によってもその実態が明らかにされています。 また、湧水点にて目視等によっても確認することができます。
  問題となっているマンションは、その2つの水みちの内の一つの真上に当たっています。 マンションの基礎工法はローム層と礫層に羽根のついた鋼管杭を回転されながら籾込むもので、 崩れやすい水みちに対して影響がないとは言い切れません。 水みちとは、砂礫層の中で、特に水が通りやすくなっている部分で、 砂の部分が洗い流されて礫だけが残っている状態のことです。 水みちは水が流れやすくなっていますので、そこにますます水が集まり、水みちとして固定されるのです。 砂が流されることにより、そこは崩れやすくなり、徐々に沈下して次第に地表に緩やかな窪地を形成して行くと考えられています。
  工事によって水みちが崩れて流動阻害を起こすことは可能性として否定できません。 水みちが潰れることによって、水みちが変わるなど、 二つの水みちの内の一つが影響を受けるとどうなるかについては予測がつきません。 最悪の場合、水量が半減することもないとはいえません。 その際、通常は湧水が涸れることはなくても、 渇水時に涸れるようになる可能性があるということが大きな問題です。
  複数の水みちを持っているということは、真姿の池湧水の価値を支えてきた根幹に関わることなのです。 水みちが一つになってしまった時には、非常時の最も湧水が必要とされる時にその価値を失うことになります。 古来より、大渇水で本当に困ったときにこそ、湧水の価値が尊ばれてきました。それゆえにその水源を大事にして、水神や弁財天を祭り、決して荒らさないように守ってきたのです。
  開発側が、仮に水が減ったとしても涸れなければよい、というように考えているとすれば、 それは大変重大な誤りを犯す可能性を孕んでいます。 事業者自らが、水量が減るかもしれないということを暗に認めているにもかかわらず、 工事を強行することは、広く市民に利用されている自然水源としての共有的な財産と地域の歴史的な文化を 踏みにじることになると考えます。涸れないということを誰も保障はできないということに大きな懸念があります。

2.水質を損なう恐れについて
  鋼管杭を用いた工法による影響のもう一つは水質に対する影響です。 こちらは水量が減ることに比べて影響の出る可能性がさらに高いと思われます。 プロペラ状の羽根のついた翼杭は、回転させて杭を籾込む方法で、 通常のオーガーを用いて杭の内部の土を排出する方法とは異なる特殊な工法です。 杭の体積分だけ周囲の地盤に圧力をかけつつ土を押し付けることになります。 礫層内にも籾込まなければいけないので、礫層のかく乱はきわめて大きいものとなります。 ローム層の土も当然ながら礫層の中に巻き込まれてゆきます。
  礫層上部にローム層の土 (赤土) が巻き込まれれば、当然帯水層に赤土の細かい粒子が混入します。 水みちの発達した部分で礫層に赤土が混入すれば、そのまま湧水に向かって流出します。 極めて清浄な湧水にとって赤土が混じることは決定的な水質の変化をもたらします。 すなわち、もはや湧水の水質ではなくなってしまうのです。
  このような水に近い場所で用いられる基礎工法に深礎という工法があります。 この工法自体にも様々な方法がありますが、拡底手掘り併用深礎と呼ばれる工法があります。 この工法によればオーガーによる機械掘りを用いて礫層から先を人力で状況を目視しながら掘削することができ 、礫層をかく乱することも最小限に止めることができます。地下水に配慮するならば、このような工法を選択すべきですが、 水部会でその旨の指摘があったにもかかわらず全く考慮する姿勢を示しませんでした。 翼杭はこれに比べると機械で闇雲に杭を挿入するだけで、杭の先端で何が起きているかを確認することはできません。 水みちへの影響が懸念されている場所で用いるには極めて乱暴な工法です。
  事業者は地下水位が礫層の下のほうにあるために影響がないと主張していますが、 礫層の上部がからからに乾いていて礫層下部と関わりがないというような主張はあり得ないことです。 地表に降った雨水はその一部が地中に染み込んでゆきます。 雨量が多いときには雨水はローム層全体に染み渡って礫層に到達します。 逆に雨が少なくローム層が乾燥してくれば、礫層から湿気がローム層に伝わり地表に向かって水分が移動します。 つまり、礫層の上部は水に浸かっていなくとも常に水分の多い湿った状態にあって、水分が上下に動いているのです。 暦層上部にシルト分が巻き込まれれば、当然雨の多いときの後にシルト分が礫層に移動し水質を変化させます。
  更に、極めて雨量が多いときには、新小平駅のホームが浮き上がってしまった事故が起きたほど地下水位が上がります。 このときは、地下水が礫層の中は言うに及ばず、ローム層の中まで満杯になり、 地表に野水が走る状態まで起きたことは記憶に新しいことです。数年に一度はこうしたことも起きます。
  このような状況は一時的なものではなく、長期にわたって継続して何度も繰り返されていきます。 その度に赤土は礫層に流出するのです。
  砂礫の中を流れてくるからこそ清冽な湧水の水質が得られるのであり、 そこに赤土が混じったらまったく違う水になります。 多くの人々がここの水を汲みに来て飲んでいるのは何故かといえば、いい水であり、美味しい水だからです。 いい水の価値は、お茶やコーヒーに用いれば誰にでもわかることです。 そこに赤土が混じったらどうなるか、そうなる懸念は大きいのです。

3.生態的な環境を損なう恐れ
  湧水とは極めて特殊な生態的な環境です。地下水でもなければ川でもなく、湧出したその瞬間を示す特殊な環境です。 それ故、そこにしか生息しない生き物が棲んでいます。しかし、そうした特殊な環境に対しての調査はまだ十分に行われていません。 河川環境を調べている生物研究者は多くいますが、湧水生物の研究者は極めてわずかな数に過ぎません。 従ってその研究もまだ進んでいません。
  しかし、先日も国分寺崖線に連続した下流部の世田谷区で、ある研究者によりメナシヨコエビの新種が発見されました。 その生態はまったくわかっていないことから、緊急に周辺水系の調査が始められています。 他にも湧水にのみ依存する特殊な生き物がいることが知られていますが、その実態はほとんどわかっていません。 未知なる環境に対してほとんど調査もせずに環境に影響を与えることは未来に大きな禍根を残します。
  湧水の生態的な価値が正しく認識され始めたのはつい最近のことです。湧水はどこにでもあるというものではありません。 毎年場所が変わるわけでもなく、人間が生活する以前からずっとその場所に湧いてきたのです。マンションはどこにでも建てられますが、湧水にとってそこだけは困るという場所があるのです。人間の体でも経絡や急所があるように、大地にとっても手をつけると致命的な影響を及ぼして回復ができない要所というものがあるのです。湧水の周囲に生息する植物や昆虫などについても同じようにそこでしか暮らせないという環境があるのです。
  環境教育が重要視されてきつつある今日、豊かな生態環境の象徴ともいうべき湧水について、 今こそ保全の目を向けるべき時だと思います。

4.これまでの保全努力を無にする懸念
  真姿の池湧水は、名水でありその保全にこれまでにも多くの努力が傾けられてきました。 東京都と国分寺市は地下水涵養のために雨水浸透枡の設置を推進しています。 真姿の池湧水の涵養域調査も行って、それに効果的な浸透施設の設置を進めてきました。 JR鉄道中央学園跡地再開発と西国分寺駅周辺の再開発に際しても、 高層住宅の基礎が真姿の池湧水群に影響を及ぼさないように多くの調整が図られました。 その結果、当初計画で崖線近くに立つ予定だった郵政住宅群の位置を駅に近い場所に変更し、 崖線近くは公園とし、公園内の涵養域に大規模な雨水涵養施設の設置も行っています。
  名水百選の真姿の池湧水に対しては、相当の保全努力も図られてきたのです。 そこには多くの関係者の利害の調整があり、そこに関わった事業者たちが保全のために 事業にとって不利となるような条件も引き受けて現在の環境が整ったのです。 その間の経緯については国分寺市議会の議事録だけでも膨大なものであり、調整に多くの時間が費やされました。 その際の関係事業者は、東京都、郵政住宅、住宅都市整備公団、国分寺市、などであり、 そこに投入された保全のための資金、税金は決して少ない額ではありません。 その投資は何のために行われたのでしょうか。涵養域側で一生懸命水をつくろうと努力したにもかかわらず、 その出口でせっかく造った水を汚したり減らしたりというような行為は身勝手なことであり、決して許されるものではありません。
  東京都では、野川流域連絡会を2年前から立ち上げて、流域全ての市民代表と自治体職員とが協働した活動を行っています。 ここで野川復活大作戦という課題に取り組んでいます。かつて湧水に恵まれていた野川は今、 水涸れして断流を起こすほどに事態になっています。湧水を復活させ、野川を回復することは、 今、野川流域全体で取り組んでいる最大の関心事なのです。真姿の池湧水の保全は、 小さな湧水一つの問題ではないのです。既に皆が自然回復に向けた努力を始めているにもかかわらず、 相変わらずの環境破壊を平気で行う企業は、反社会的な存在と写ります。
  事業者が元は社宅を保有し、会社が住民として関わっていたのに対して、 この開発は住宅分譲事業であることにも問題を起こす原因があります。 単にここで事業利益を上げてあとは地域との関わりが無関係になるのですから、 地域の環境に無関心、無責任になるのも不思議ではありません。 私企業の利益追求が目的であっても、環境は犠牲にしてもらっては困るのです。 企業倫理の欠如がもたらした事態とはいえ、地域が培ってきた人間関係までも 引き裂く状況を作り出してしまったことに対して、地域に長くしこりを残すのではないかと懸念しています。

  最後に、この開発が行われると真姿の池湧水の名水百選を辞退せざるを得ない事態になるのではないかと危惧しています。 それに代わるべき湧水が東京には他にない、ということもあらためて感じます。如何に大事な湧水か、語りつくせないものがあります。

(参)神谷 博 プロフィール