表現の自由   梓澤和幸

〈目次〉
1.NHK問題―政治家介入の徹底追求が不可欠 (2005年1月27日)
2.指定公共機関と放送局 (2005年1月27日)
3.NHK番組改変問題が問うこと (2005年12月 5日)



NHK問題―政治家介入の徹底追及が不可欠 (2005年1月27日)

  いま目の前におこっている問題の追及をさしおいてどんな改革案の検討も意味をなさないと考える。 よってこの問題から取り上げたい。

  はじめに、政治家介入問題の解明のありかた
  政治家、NHK幹部は事実関係がわかりにくいとの印象にもちこむこと、担当記者の政治傾向、 取材方法への非難にすりかえることによって世論を分断しようとしている。 これを見抜き、春秋の筆法によって政治家とNHK幹部の発言だけをみても介入、 番組変更という看過できない事実があったことをつくべきである。
 当事者間に争いえない事実や揺るがぬ証拠が示す不動の点から出発して事実をふりかえってみよう。

  次は、単なる経過をまとめたものでなく、論議の出発点となる不動のポイントである。

  1、政治家二人は 「日本の前途と歴史教育と考える若手議員の会」 (国会議員107名参加) の中心メンバーであり、 (中川氏は代表、安倍氏は事務局長) 同会は従軍慰安婦問題を歴史教科書でとりあげることに強く反対し、 その趣旨の出版もしている。 (同会ホームページ)

  2、番組の内容は国会議員の間に事前に流れており、安部氏は事前に 「放送はひどい内容だと考えていた」 と語った。 (安部氏の1月12日報道ステーションでの発言)

  3、事前事後をおくとしても、松尾武放送総局長、野島直樹国会担当局長というNHKの最高幹部が二人の政治家に会い、 民衆法廷の番組内容を説明し、政治家の意見を聞いている。

  4、民衆法廷の番組については放送前日である2001年1月29日の昼間44分のオンラインテープ (完全パッケージ) が完成していた。その後同日安部氏とNHK松尾武放送総局長、 野島直樹総合企画室国会担当局長が会見した (注 中川氏とNHK側が事前にあったか否かについての筆者の評価は後述)。 この際安倍氏はこの番組について公平公正な放送をしてほしいと述べた。
  同日夜、伊藤律子制作局長、松尾放送総局長が出席して試写会が行われた。
  そこで公平性が保たれていないとして29日深夜から未明にかけて日本国政府と 天皇の従軍慰安婦問題への責任に言及した部分 1分がカットされた。

  5、1月30日放送当日、中国人元従軍慰安婦本人のインタビューを含む3分のテープが現場の反対を押し切り、 松尾放送総局長の命令でカットされた。
  これがNHK,政治家を含めて争いのない事実関係にたった経過の確認である。

  次に、もっとも争いの対象となっている中川氏がNHKに会った日時のことを検討しておく。
  中川氏は朝日新聞の1月12日朝日スクープ報道の後同日中に報道各社に対して、 「当方は公正中立の立場で放送すべきであることを指摘したものであり、 政治的圧力をかけて中止を強制したものではない」 と述べている。 (東京、毎日、朝日等各紙の報道)
  この中川氏の発言は事前の面会を前提としたものである。 そうでなければ中止を強制したものではないとの文言になるはずがない。
  同氏は1月13日に発表したコメントでNHKとの会見が29日でなく2月2日としたが 朝日報道後の前記コメントと13日コメントの矛盾がなぜ生じたのかについて説明していない。
  短期間に自己矛盾供述をし、変遷の理由を説明しない (できない) 供述者は信用されない。
  以上の確認と検討のうえにたって次の点を指摘したい。

  第 1に、解明すべき疑問はしかるべき手続きで究明されるべきである。

  予算説明だけなら国会担当の野島局長で足りるのに放送局長まで出向いているのはなぜか。
  安倍氏とNHK幹部は放送前日に15分か20分あったという (NHK幹部記者会見での発言)。 安倍氏は公正中立に放送してほしいとお願いしたいといっただけ (安倍氏のテレビでの発言) というがこれでは 1−2秒しかかからない。いったい何をのべたのか。
  偽証罪を背景にした国会か法廷での証人尋問を実現すべきである。
  また安部副官房長官 (当時) という権力の座にあるものがNHKの最高幹部に番組内容について 事前に言及することについてまったく罪の意識がなく、 NHK側もそれを悪びれもせず 「どこが悪い」 という態度をとっていることもおかしい。 それを各メデイア、一般の世論はもっと問題にすべきである。この点について民放テレビの批判が弱い。
  検閲の禁止は民主主義国家の絶対的要件である。 検閲またはそれに類する事前規制はそれだけで二義を許さず憲法が許さないとすることが憲法学の常識である。
  安部氏は一般的に放送の公正中立を述べたのでなく、具体的な番組について放送の前日に放送関係者に言及したのである。 そのことを安倍氏が悪びれもせず堂々と述べているのである。
  NHK側がいまにいたっても、安倍氏との会見の内容について問題はなかったとしていること、 論証のないまま中川氏と言説をあわせていることにおどろく。ジャーナリストの高潔さを感ずることができない。

  第2に、削除された部分のもつ今日的な重大性である。

  従軍慰安婦は日中戦争のさなかの南京大虐殺 (1937年) とその前後の日本軍兵士の強姦事件の多発、 それに起因する中国民衆の反日感情への対策として日本軍によって打ち出されたとすることが 日本近代史研究の到達点となっている。
  日本軍北支那方面軍参謀長名の 「性的慰安の設備がないと禁をおかすものがでるので対策を講ずるべき」 との 趣旨の命令文書 (1938年6月) が出されたことを示す旧軍史料が吉見義明氏によって1991年年発見された。 当時の権力者である天皇と国の責任に言及することは国際的な常識である。 被害の深刻さを示す被害当事者の証言と国の責任を示す報道の根幹が一夜にして削除されたのである。
  満州事変、日中戦争の発端になった柳条湖という場所での南満州鉄道の爆破事件 (1931年9月) は 日本軍の創作であった。当時のメデイアは中国軍の暴虐をただすとして日本軍の侵略拡大をもてはやした。 軍と政府の上層部以外、踊らされた国民は1945年の敗戦まで誰も真実を知らされなかった。 膨大な数の家族の悲劇をもたらしたことの責任をメデイアは負っているのである。
  しかるにNHKは1930年代の真実が多数の目にふれることを嫌悪した政治家とともに番組から、 すなわち人々の記憶から歴史を削除しようとしたのである。

  第3に、NHK受信料拒否の論理

  政治家の放送への介入に対して潔癖な態度をとらす、かつ真実をこれだけ露骨に蹂躙するのでは、 視聴者は報道の反対給付としての受信料を支払う義務はないはずである。
  放送法32条は協会 (NHK) の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、 協会 (NHK) とその放送の受信についての契約をしなければならない、と規定している。
  これはもともと妙な条文である。契約自由というのは民法の大原則である。公法である放送法では私人間の契約締結を強制できない。
 よって視聴者はまず原則にかえり、自らに検閲とたたかわない放送局に その経営をささえる受信料を支払う意思があるのを問うべきである。
  法律上、契約を強制することもできないし、その手段もないから契約を拒否した視聴者には民法上受信料支払いの義務はない。
  いままでこの法律論があまりに知らされてこなかった。
  この機会に告発者が明らかにしたような日常的な政治介入の実態をもっと抉り出すことを背景にして 受信料支払い拒否の法律的論理、受信料支払い義務不存在確認訴訟も検討すべきであろう。

  市民が次々に立ちあがってその意思を表明するとき、はじめてNHK変革の可能性が開かれるのだと考える。
  民衆法廷の真実が隠蔽され、民衆が、すなわち私たちが問われているのである。