表現の自由   梓澤和幸

〈目次〉
1.NHK問題―政治家介入の徹底追求が不可欠 (2005年1月27日)
2.指定公共機関と放送局 (2005年1月27日)
3.NHK番組改変問題が問うこと (2005年12月 5日)



指定公共機関と放送局 (2005年1月27日)

  2004年9月17日、国民保護法施行と同時に、広域民間放送局19局とNHKは有事 (戦時) の指定公共機関に指定された。
  これは報道のもつ使命の根幹にふれる意味をもつ。
  放送局を指定公共機関とし、その責務を定める法律の仕組みはこうである。
  外部からの武力攻撃があるか、それが予測される事態を武力攻撃事態等と定め、 (武力攻撃事態法1条) かかる事態のもとで内閣総理大臣のもとに対処本部をたちあげ、 その指揮下に有事 (戦時) 体制をつくる。 そして行政機関、地方公共団体、をその指揮系統にくみこむほか公共性をもつ民間の団体を指定公共機関として指定し、 対処の責務を負わせる。 (武力攻撃事態法6条、国民保護法3条3項)
  指定公共機関の義務の内容は、総理大臣の発令による武力攻撃事態等に関する警報 (国民保護法50条) 内閣総理大臣の指示下に行われる都道府県知事による避難指示 (同法57条)、 同緊急通報 (同法101条) を放送することである。
  放送関係者に注目してほしいのは次の2点である。

 
第1 「予測事態」 という言葉の危険性である。

  武力攻撃事態等には予測事態が含まれる (武力攻撃事態法1条) から、現に武力攻撃があったときだけでなく、 それが予測される事態にも、内閣総理大臣の出す警報、それに根拠をおく避難命令、通報の放送義務が生ずる。
  戦争による攻撃が予測されるか否かはよって立つ情報、情報解析の立場によって異なる。
  イラク戦争開戦に際して大量殺戮兵器があったかなかったかの判断が歴史の分かれ目を作ったことは記憶に新しい。 満州事変の発端となった柳条湖事件は日本軍の自作自演で中国軍の攻撃を創作した。
  戦争を準備する権力とはそのような危険なものである。それを監視するのが報道機関の社会的使命のはずである。
  しかるに法律によって有無を言わせず、警報発令放送等の義務まで負わせられるなら、監視、批判など不可能になる。

 
第2 日常的に有事 (戦時) 準備体制に報道機関が組み込まれる危険性である。

  指定公共機関は、政府の作る国民保護基本指針にもとづき国民保護に関する業務計画を作成し、 所轄の大臣を通じて内閣総理大臣に報告する義務を負う。 (国民保護法36条)
  内閣総理大臣はこれに関する助言もできる。
  組織整備、職員の配置、訓練義務も定められた。 (同法41条42条)
  これは、有事 (戦時) 体制の日常化であり、この法文どおり放送局が実施に応ずれば 戦時のみならず平時にも報道機関の骨抜きにつながる。
  12月 1日の朝日新聞朝刊に指定公共機関に指定された放送局について図上訓練が行われたとの記事が出た。
  内閣官房や総務庁から訓練のため送られたフアックスには 地下鉄サリン事件のような化学テロの訓練ケースが書かれているという。 記事によると、参加した放送局はこのフアックスの実物をみせなかったという。
  朝日新聞、毎日新聞が報道したほかはいかなるメデイアも、テレビもこの図上訓練のことを報道論評していない。 一般市民は驚くべき速さで進む戦時準備の進行を知らされていない。
  内閣官房や総務庁との間でこれは発表しないとの約束でもあるのではないかとの疑念も抱かせる出来事である。 テレビが訓練のことを一切報道していないというのも鈍感さを疑わざるを得ない。
  元自民党幹事長野中広務氏は1930年代が再現していると発言して世間を驚かせた。
  計り知れない悲劇の発端となった満州事変の開戦 (柳条湖事件) やイラク戦争開戦と同じことが起きたとき、 わが国民が同じ過ちを繰り返すことになることを恐れる。そのときのメデイアの責任は計り知れない。