人権救済機構(人権機構)について   梓澤和幸

〈目次〉
マスコミ学会ワークショップ「マスコミ規制とジャーナリズム」
法律時報特集「人権救済機関設置をめぐって」より
中間とりまとめに対する法務省への意見
法務省の中間とりまとめに対する日弁連への意見
法律新聞より (平成12年11月3日)


法務省の中間とりまとめに対する日弁連への意見 (2001年1月16日)

1、 人権機関の事務局は、人権擁護局、法務局、地方法務局を改組して編成することが検討されている。(23頁、24頁)委員に多少の専門性や多様性がいかされたとしても、これでは現行の人権擁護制度の主体とさして変わらず、政府からの独立性について重大な疑問を持たざるを得ない。
   日弁連のパブリックコメントをまとめるにあたっては、この現実を直視して、調査権限、調査対象を検討すべきである。
   
2、 ジュネーブの規約人権委員会は主として公権力の人権侵害に取り組むことの出来る人権機構を勧告したが、とりまとめの内容はそうなっていない。
   公権力の人権侵害についてほとんど実効性のない警察の内部監査、準起訴制度、行政不服審査などとの関連について言及しており、刑務所、代用監獄、入国管理局でおこる人権侵害救済について具体的な構想はまったく示されていない。
   難民性を主張する外国人の強制送還、長期の拘束、暴力的な虐待、差別的言動、代用監獄への長期の勾留、自白の強要、刑務所における暴力、不法な懲罰等公権力による人権侵害に対処できる人権機関こそが国際社会からも、国内の人権団体からも期待されていたのである。
   しかし、このとりまとめが公権力の人権侵害にふれた部分(16頁)は失望を禁じ得ない。
   審議会は今一度、規約人権委員会の勧告の原点にかえり、公権力の人権侵害への救済策を具体的にうちだすべきである。とくに、立ち入り、文書提出命令、関係者の出頭命令等の調査権限、不服従の場合の罰則等を明示すべきである。
   この点についての具体的な実効性のある構想をしめすところがなければ、この人権機構は本来の役割を果たし、市民の期待に応えることができない。
   他方、市民間の紛争や双方の権利の対立が根底にある民間での人権侵害の場合や、報道の自由との調整が必要なメデイアによる人権侵害の場合と公権力の人権侵害とは明確に異なる対処が必要である。人権機構をして、民間、メデイアに対しての強大な権限をもたせれば有害な機構になるというべきである。
   公権力の人権侵害について、専門に取り組む人権機構を独自に作って強い権限をもたせ、民間の人権侵害を取り扱う機関は別に設置し、事務局の構成、運営方法、権限は別途検討する、との提案も審議されてしかるべきである。

3、 マスメデイアの人権侵害は人権機構の管轄からはずすべきである。
   (1)とりまとめは@犯罪被害者と家族、A少年事件の当事者、B過剰取材に焦点をおいているが、行政機関であり、かつ中立性に大きな疑問のある人権機構に調査、仲裁、勧告、公表などの権限を認めれば、権力による報道への介入の手段に利用されるのは明らかである。報道機関は人権機構の管轄のもとにおいてはならない。
   マスメデイアによるプライバシー侵害、名誉棄損、取材による私生活への侵入などの救済は、市民とメデイアとで作る自主的な救済機関に委ねるべきである。
   確かに、日本の名誉棄損、プライバシー侵害裁判の実情は、時間、労力、弁護費用の負担がきわめて大きいことに比し、被害当事者が得られる結果は貧弱である。
   しかも、放送の分野におけるBROを除いて活字の分野では業界横断型の自主救済組織はない。
   従ってこのままでは報道による人権侵害の被害者があまりに救われない状態にあることは否定しがたい現実である。
   しかし、このような状況を打破するために、日弁連はメデイアに対して、BROの充実、報道評議会の設立、毎日新聞や朝日新聞に設けられたような各社ごとの苦情対応、被害救済組織(社内オンブズマン)の設置充実を強く要望すべきである。
   メデイアによる人権侵害は、一件ごとに市民の権利と報道の自由の限界が問われ、その調整が必ず争点となる。この限界の調整、コード作り、判断について、公権力を介入させることは禁物である。
   いわんや、法務省、法務局の役人が事務局に横滑りする中間とりまとめの構想の下で、人権機関の管轄にこの問題を委ねることは歴史的な大きなあやまちを犯すことになる。
    日弁連のパブリックコメントは、かかる人権機構にメデイア問題の審査を許すことがあってはならず、メディアの除外を強く主張するべきである。
   ましてや強制調査権限、仮救済(差し止め)による検閲の権限を与えてならないのは当然のことである。
   (2)中間とりまとめは過剰取材も人権救済の対象とするという。
   しかし過剰取材とは何かという定義規定がないから、政治家が過剰取材として申立てしたときに、受理を拒否できない。その結果、政治家、高級公務員の悪事暴露を抑圧する機構として働く可能性を否定できない。
   政治家、高級公務員を除外するとの規定をおけば解決するものでもない。
   権力の悪を監視し、市民に知らせるリクルート事件報道のような調査報道は、強制調査権限を持たない報道機関の記者が、政治家、高級公務員の周辺の私人、関係企業人を地道に洗い出すことによって成果を生み出す。
   広い調査の中から執拗に権力中枢の悪にせまるのである。最終的ターゲットになる政治家、高級公務員の申立を除外しても、それ以前に危険を察知して過剰取材を理由に調査をつぶさせることが可能である。
   また、桶川事件のように警察の捜査の過ちを暴露し明らかにしてゆく行為もはじめは末端の警察官の過ちを暴露することからはじまった。
   拷問する刑事や入国管理局職員の違法行為の暴露も末端の係官の行為の追求からはじまるのである。
   よってかかる限定では、市民の知る権利への不当な介入を防止できない。
   また、弁護士が市民から訴えをうけ、メディアなどを通じて広く市民に訴え救済にあたる人権侵害の被害者救援活動も、権力によって妨害を受ける可能性を否定できない。
   (3)中間とりまとめは差別表現には事前差し止めの可能性を認めているが、検閲禁止をうたった憲法に違反する疑いがある。
   (4)放送メデイアにはすでにBROがあるが、新聞、雑誌等の活字メデイアは、この機関が具体的に法案の形をとる前に、報道評議会、会社ごとの被害救済組織(社内オンブズマン)を早急に設立、充実し、報道被害の自主的救済につとめるべきである。
   イギリスでは、議会に設けられたカルカット委員会が、1990年6月に18か月間のうちにメデイアは自主規制機関を飛躍的に改善せよ、さもなくば、反論権、プライバシーの権利を法制化し、法的な機関による権力規制をすると提言した。
   イギリスのメデイアは1年のうちに報道評議会を改組し、いまでは年間何千件の苦情を受け付けて解決している。
   日本の新聞、雑誌業界もこの危機を認識し、報道被害者救済に本格的な知恵をしぼるべきである。
   (5)中間とりまとめでは民間への強制調査権の検討が打ち出されている。
   何が差別か、何が人権侵害か個別の分野毎に実体法を整備し、それに該当するものでなければ、強制調査をみとめるべきでない。
   そうしなければ憲法や刑事訴訟法がさだめる適正手続きの保障はなきに等しくなる。
   罰金で担保された質問検査権を与えれば、出頭命令、文書提出命令、立ち入り調査命令違反にそれぞれ刑事訴訟法の強制捜査が随伴する。現行犯逮捕、令状逮捕、逮捕に伴う令状ぬきの捜索差し押さえ等である。
   公式の審議会が右のような適正手続きの保証の侵害を黙認するのを許せば、人権擁護に尽力してきた日弁連の歴史に反し、その人権についての見識に疑問が呈されることになろう。
   民間の団体、個人に対しては無限定にこのような強制調査権を及ぼすべきでない。
   虐待などで調査が必要であれば、構成要件を厳格にさだめるなどして、憲法の適正手続き保障に違反しないような措置がとられるべきである。
   また、慎重な配慮をするというものの、未だにメデイアが強制調査検討の対象から明確にはずされていないのは、重大な問題である。日弁連はこの点について厳しい批判を加える責任を負っている。
                            
まとめ
   日弁連は国から独立した人権機構の設立を提言した。しかし、今回中間とりまとめがうちだした構想は以上のようにまことに危険な要素をもつものである。
   私たちは、以上の通り中間とりまとめの危険性を指摘するとともに、日弁連執行部、同理事会に対し、公権力の人権侵害へのとりくみを中心においた人権機構を再度強く求めること、実態に即したパブリックコメントをまとめられることを要望する。 

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