人権救済機構(人権機構)について   梓澤和幸

〈目次〉
マスコミ学会ワークショップ 「マスコミ規制とジャーナリズム」
法律時報特集 「人権救済機関設置をめぐって」 より
中間とりまとめに対する法務省への意見
法務省の中間とりまとめに対する日弁連への意見
法律新聞より (平成12年11月3日)


マスコミ学会 ワークショップ 「マスコミ規制とジャーナリズム」
2001年10月8日
梓澤 和幸(弁護士)
1、メデイア規制の動き
  個人情報保護法は法案として上程され、審議日程にのぼっている。
  人権機構については2001年5月25日法務省人権擁護推進審議会の最終答申がだされた。
  答申は、人権救済機構の独立性、公権力の人権侵害ついての、現状認識、救済の手法の抽象性という問題点がある。また、メデイアによる人権侵害について、積極的救済の対象としている。
  青少年環境対策基本法案 (参議院自民党) は内閣総理大臣と県知事によるメデイアへの指導、助言チェック、勧告をなしうる。サンクションとしては公表規定がある。推進側は国民運動を推進すると表明していることは注目を要する。

2、国家による情報の一元管理、取材への干渉、捜査を容易にする罰則規定 (懲役6ヶ月罰金30万円以下) をもつ個人情報保護法、メデイアへの任意調査、積極的救済を盛り込んだ人権機構答申、青少年問題を口実とした権力中枢からの干渉根拠法と表現の自由にかかわる法案や答申案がめじろ押しである。

3、議論していただきたいこと
 イ、新聞メデイアの対応や、報道が弱いのは問題である。なぜなのか。幹部と一線の記者の双方に危機感の不足があるように思われるが。

 ロ、日弁連人権大会シンポ実行委員会は、行政による事前差し止め(仮救済)、メデアへの強制調査権限を含む人権救済機構設置の要綱試案を発表した (2000年10月)。これとは別に同人権大会では公的機関にメディアの調査権限をもたせる執行部提出の原案に対し、修正案がでるなど白熱した議論の末議論はもちこしとなった。
  中間とりまとめをめぐる会内の議論では、人権救済機構の独立性如何によってはメデイアも調査対象とするとの意向が有力である。議論はまだ結論に至っていないが。
  日弁連は個人情報保護法案に反対とはしている。しかし基本原則をメデイアには適用すべきでないとは明言していない。
  この二つのことはことは市民の動向を考察するうえで検討を要する重要な現象であると思われる。

 ハ、メデイアへの反感と、表現が市民にとって他者のものである現実
  人権救済機構に関する最終答申があげる 「犯罪被害者への取材、一部事件の少年の実名報道、松本サリン、和歌山カレー事件などの過剰取材」などの現象がメデイアへの反感を招いていることは否定できない。
  とくに取材される側と取材する側の不平等感は否定しがたいのではないか。
  松本サリン事件の永田弁護士、桶川ストーカー事件の福地弁護士のいずれもが、報道による被害の深刻さをみながらも、報道によって包囲の網を特別とした戦術をとったのは注目すべきであろう。
  巨大な力と対峙するとき、市民にとって報道による監視は不可欠である。このような体験を持つ弁護士は報道規制に対して無条件に身構える。
  報道規制は市民の問題であると主張するためには、報道と市民のそうした体験が必要なのではないか。

 ニ、市民とメデイアの距離感を縮めるためには、報道評議会、オンブズマンの設置充実が大切であるし、放送の世界では BRO の充実がもとめられる。

 ホ、報道被害救済弁護士ネットワーク (LAMVIC) の結成、日弁連報道被害一斉相談の動きは、まだ萌芽的であるが今後の発展によっては市民とマス・メディアの距離を縮める上で大きな意味をもつであろう。

 ヘ、個人情報保護法はすべてのコンピューターを権力的に把握しようとするこころみという指摘 (白川元自治大臣ほかの発言――現代人文社ブックレット 「個人情報保護法ぶっつぶせ」 9、27頁) は、表現の自由をメデイアの自由でなく市民の自由として語り、規制立法の本質をみぬくためにも大切ではないか。

4、損害賠償の高額化と訂正放送判決については若干の問題提起がある。
  最近 名誉毀損事件の判決で1000万円に達したものがでているが、名誉毀損事件判決の高額化については報道被害救済にたずさわる弁護士と研究者では異なるのではないか。(ジュリスト2001年10月1日所収東京地方裁判所損害賠償訴訟研究会参照)
  私は公人についてはもっと低く、私人については高くてよいと思う。(事例に言及したい。) 7月19日の東京高裁のNHKに訂正放送を命じた判決の評価についても議論したい。
  名誉毀損の回復手段として、訂正,謝罪の措置は大きな意味を持つ。
  この事件の最高裁の結論が注目される。