〈目次〉 マスコミ学会ワークショップ 「マスコミ規制とジャーナリズム」 法律時報特集 「人権救済機関設置をめぐって」より 中間とりまとめに対する法務省への意見 法務省の中間とりまとめに対する日弁連への意見 法律新聞より (平成12年11月3日) 法律時報特集 「人権救済機関設置をめぐって」 より
新人権機関――弁護士会内論議の帰趨 はじめに 2000年10月5、6日弁連人権擁護大会で行われた、国から独立した人権機関についての論争は、基本的人権擁護の取り組みの根本にかかわるものであった。 論争参加の当事者として、議論の分岐点を整理し、私見を述べておきたい。 一、端緒となった国連規約人権委員会の勧告 1998年11月5日国連規約人権委員会は、自由権規約に関する第4回日本政府報告に関する最終見解を採択した。 同委員会は、日本に国内人権機構がないこと、現行の人権擁護委員会制度は、同委員会がいう人権機構でないこと、とりわけ、警察や入国管理局職員による虐待に対する申立を調査し救済する独立の人権機関が存在しないことへの懸念を表明した。 二、日弁連の取り組みの開始と要綱試案、宣言案の討議 日弁連は1999年11月10日の会長声明で国内人権機関の実現に努力するとの見解を表明した。 また1999年5月1日の定期総会決議、同年10月22日の理事会決議を経て、11月の日弁連50周年記念式典で発表された人権のための行動宣言も、人権機関の創設にむけ行動することを強調した。 2000年の人権大会で人権機関の問題がとりあげられ、宣言決議の一つとされること、大会のシンポジウムで討議されたことが会内で決まったのも同じ年の秋である。 村上重俊委員長を中心とするシンポ実行委員会メンバーは2000年10月のシンポジウムにむけて基調報告の作成準備を開始した。後に厳しい論議の対象となる人権機構設置のための要綱試案は、この基調報告の一部をなすものである。 当初要綱試案の内容がいかなるものなのかは実行委員会メンバー以外は知らなかった。 2000年7月定例の人権擁護委員会の席上要綱試案の素案が配付されるや、心配の声があがり、筆者も招かれて実行委員会で批判意見を述べたが、きわめて厳しい調子で反論され採用されるところとならなかった。 日弁連人権擁護委員会の幹部や要綱試案を作成した実行委員会の中心メンバーは要綱試案をたたき台だとか討議資料にすぎないと説明している。(武村二三夫実行委員会事務局長の朝日新聞対論における発言など) しかし筆者が2回出席し反対意見を述べた参加者20〜30名の実行委員会の雰囲気はたたき台を討議するなどという生易しいものではなかった。実行委員会での筆者への反批判の調子は、筆者の弁護士経験の中で29年ぶりの愉快ならざる体験であった。当時要綱試案を提案した人々は、確信に満ちており、筆者などはさしづめ、せっかくの提案にあえて異論を唱える少数者として扱われた。 会内論議の途中で東京新聞、朝日新聞が主として報道の自由の観点から要綱試案の危険性を報道し、日弁連内部の討論はようやく会内外の注目を集めはじめた。9月18日の理事会では、要綱試案とは別に準備されていた人権機構の設立をもとめる人権大会宣言案の討議を行い、一部修正をした。 日弁連執行部の説明によると、この修正は宣言が提案する人権機構が報道にかかわる問題を管轄に含むか否かは白地とし、今後の会内討議に委ねるとする趣旨のものであった。 一方シンポ実行委員会は要綱試案の大筋を変更せず、10月5日のシンポジウムにむけて要綱試案発表の準備をすすめた。正式に要綱試案が世間の目にさらされたのは、シンポジウム前日岐阜で行われた日弁連会長記者会見の席上であった。 会内で要綱試案への危惧をもつ弁護士は連絡をとりあい、要綱試案への批判と対案と題する文書を起案し、9月28日急遽全国15名有志弁護士の連名でこれを発表した。 批判の論理は次の通りであった。要綱試案の第一の問題点は、人権機構に強大な調査権限を与えるとしたことである。 人権機構は、申立か職権により相手方、関係者、参考人に出頭を命じたり、関係書類の提出を命ずることができる。関係場所に立ち入る権限も持つ。(要綱試案22条1項1号、2号) 出頭命令、文書提出命令違反は3万円以下の、立ち入り拒否は30万円以下の罰金を科す。(要綱試案46条、47条) 刑事罰であるから、刑事訴訟法が動きだす。命令に反して出頭せず、文書を提出せず、人権機構職員の立ち入りを拒否すれば、現行犯逮捕される。(刑事訴訟法212条以下、同217条の軽微事件の制限を受けないことに注意) 検察官、検察事務官、警察官が現行犯逮捕に赴くときは、令状なしの捜索、差し押さえも出来る。(刑事訴訟法220条) 例えば、労組の団交中に経営者側が、人権機構に訴え、機構の職員と警察官が現場に急行、関係者に出頭を命じ、拒否すれば逮捕、団交場所の文書の差し押さえ、捜索というストーリーもあり得る。 冤罪を訴える弁護士が警察官を特定して拷問の事実を新聞記者に告げ、紙面に掲載することはよくある。警察官の申立てを受け、弁護士、記者の逮捕、新聞社の捜索、差し押さえとなりかねない。 村上重俊シンポ実行委員長はシンポ当日の討議まとめで、同種の規定がある労組法、労基法では逮捕の事例はないはずと反論した。 しかし、労働法と本件を同一には論じ得ない。刑法なら罪刑法定主義による構成要件の厳格さがあり、労組法、労基法でも法違反の実体は枠組みがはっきりしている。 人権侵害という、フレームのはっきりしない実体で、刑事訴訟法が作動することの危険を十分配慮しなければならない。また軽い刑罰しかない軽犯罪法、旅館法、農地法などで濫用的な逮捕が行われている実体から見ても右反論は説得力に乏しい。 要綱試案の第二の問題点は、行政機関による出版、報道の差し止めの可能性を残していることである。 要綱試案には仮救済の規定がある。(要綱試案26条)人権機構による仮処分に似た規定である。 ビルマの難民が送還されれば、投獄、処刑される危険があると訴えたときなどは力を発揮するであろう。しかし、要綱試案26条には報道、出版の除外規定がない。検閲はこれをしてはならないとの規定があるが、教科書検定、ポルノ出版物の税関検査を検閲にあたらずとする裁判例からすれば、機構が事前差し止めをやらないとの保障はない。第三の問題点は、報道被害救済を国が設置する人権機構の管轄とすることである。 昨年の人権大会では、権力介入を阻止するためにメデイア自身の自主的な報道評議会の設立をよびかけた。機構が報道被害をも取り扱うことはこの趣旨と自己矛盾である。 シンポでは横山ノックのセクハラ事件被害者の映像を掲載した雑誌の写真を流したテレビの放送の弊害が、担当の弁護士から紹介された。しかし、この事例は報道の権力規制の必要性に結びつかない。 事前なら裁判所の差し止め仮処分申請の方法がある。事後なら弁護士がテレビ局と厳しく交渉し、謝罪、損害賠償、を求め、達成できなければ訴訟の道がある。 報道の権力規制はデメリットが大きいことも視野に入れなければならない。 こんな例はどうか。 有名政治家が首相になったときのために核兵器の開発政策を検討中だとしよう。情報を入手した報道機関の動きを察知して、これは名誉棄損で人権侵害だ、として、機構を使って事前差し止めをしたり、強制調査をさせ、圧力をかける危険性がありはしないか。 第四の問題点は人権機構の独立性、中立性への疑問である。 実行委員会メンバーは、機構は中立なもので、批判者がいうほど人権を抑圧することはない、とした。しかし、機構の委員は内閣の推薦委員会の推薦をうけ、両議員の同意を得て選出される。(要綱試案7条) 時の政権、与党の影響は免れない。法律上も公正取引委員会、国家公安委員会のような独立行政委員会として作る以外の方法はない。 国から完全に独立し、政治の影響を受けない機関を作るなどは幻想である。中立性をあげることでの反論は成立しない。 私たちは人権機構の設立それ自体には反対していない。公権力の人権侵害を重点に取り組む機構をつくれとの、国連規約人権委員会意見の原点に戻ればよい。民間の団体や個人に過度に介入しないことにすればこうした危険性は防止できる。 三、大会宣言案をめぐる討議 人権擁護大会の宣言と、大会シンポジウムで発表された要綱試案はいかなる関係にたつものかにここでふれる。人権大会には定足数はないが、議事運営規則に従って厳密に運営される。従って採択された宣言は人権大会の決議を経た日弁連の意思の公式な表明である。 これに比して要綱試案は人権大会シンポジウム実行委員会によって作成された基調報告の一部分にすぎない。従って日弁連の公式見解ではない。 しかし、実行委員会は日弁連の公式の機構によって選任された人々で構成される。 またNGOへのアンケートは日弁連事務総長名で出される。これらのことからして、要綱試案がまったくの私的グループの研究成果という理解も成り立たない。 日弁連内部の一機関がまとめた討論のための試案という性格は否定できない。 要綱試案のコピーが人権擁護委員会内部で厳しい議論をよぶ一方、2000年8月から9月にかけて宣言案をめぐる議論も熱を帯びて行った。 9月18日に開かれた理事会では報道による人権侵害を人権機関の管轄におくことを前提にしたくだりが宣言案から削除され、今後の会内論議に委ねることとされた。 人権大会シンポジウムは10月5日、人権大会は同6日岐阜で開かれた。 人権機構をテーマとする第一分科会には弁護士328名、一般34名が参加した。 前述のとおり要綱試案の前述の問題点を指摘する要綱試案への批判と問題点と題する文書が著者を含む全国一五名の弁護士によって作成、発表されていたが、要綱試案の大筋は変更されず、そのまま基調報告の一部として発表された。 シンポでは対案提案者には一人十分間の発言時間が与えられただけで、科学的、理性的な論争が保障されたとは言えなかった。横山ノックによるセクハラ事件被害者弁護団の一人による「写真週刊誌に女性の顔が掲載され、テレビのある局が目隠しつきながら放送した。メデイアを放置できない」とする発言、自治体の人権相談をした女性弁護士の「強い調査権限をもたなければ人権機構には意味がない」とする発言でしめくくられ、要綱試案は支持すべきものとする強い雰囲気でシンポジウムはしめくくられた。 要綱試案への対案提案者は、次のように考えた。 このまま翌日の六日に宣言原案が通ればその内容は抽象的であっても具体的には要綱試案の内容を支持する雰囲気が日弁連の中に存在していると受け取られる。 中間とりまとめを目前に控えた法務省人権推進審議会への影響を考えれば、これはまことによくない。 そこで対案提案者は五日夜宣言案への修正動議提出を決定し、その起草にとりかかった。 修正動議の主な内容は次の三点であった。 第一に、人権機構は公権力による人権侵害を中心とすることを宣言の中にうたうべきとしたこと 第二に民間の団体、個人に対しては強制調査は適切でないこと 第三に報道の自由、学問の自由、弁護士自治などを守るために報道、大学、弁護士会等にかかわる人権問題については、自治的解決組織に優先的に委ねるべきとしたこと 六日の人権擁護大会には弁護士だけが評議に参加できるが、参加者は1206名であった。 議事運営規則により修正動議提出のためには50名の参加が必要であるが、その賛同をえられたのは、宣言の討議がはじまる1時15分直前のことであった。 加藤良夫人権擁護委員長(名古屋弁護士会)が大会の司会をつとめた。そのさばきは時間の制約の中で、質問、意見を十分に保障した見事なものであった。 主として修正動議提案者から、次の質問が出た。国家行政組織法三条のもとで作られる独立行政委員会といえども独立性には限界があるのではないか。報道は人権機構の管轄からはずすべきではないか。前回の人権大会は報道による人権侵害の自主解決をもとめていたのと、今回の宣言とは矛盾しないか。 この機関に民間を含めて強い調査権限を与えることはあらたな国による人権侵害をもたらさないか、などである。 宣言案を提案した人々による答弁の核心は、人権機構は独立、中立のものだから質問者たちの心配は杞憂に帰するというところにあるように思われた。 賛成、反対(修正動議の理由)について代表発言をそれぞれ、十五分ほど行った後、修正動議提案者の一人として筆者が休憩、すりあわせを提案し、控室で緊急協議が行われた。 協議の結果執行部提案になる原案に次の各点がもりこまれ圧倒的多数で修正後の宣言が採択された。 修正されたのは主として次の三点であった。 第一に公権力は当然に取り組むとして、公権力による人権侵害への取り組みがより強調された。 第二に、大学の自治、弁護士自治、報道の自由などにかかわる重大な問題については、その分野における先議を尊重するかどうかを含め、今後慎重な検討が必要であるとされ、他の人権との衝突、調整についての慎重な討議が確認された。 第三に調査権限その行使方法については、公権力による人権侵害の場合と民間による場合とでは自ずから差異が存するべきであるとも考えられるのでその点については今後慎重に検討する必要があるとして、民間への調査のありかたについて慎重に検討するとされた。 一見して明らかなようにこの原案修正により、主な争点は持ち越しになった。 四、中間とりまとめと弁護士会の取り組み 11月1日に発表された法務省人権擁護推進審議会の中間とりまとめの全体的評価については、別稿に譲るが、ここでは人権機構設立にむけた弁護士会運動の中心を担って来た人々の評価をお伝えしたい。 その上で、弁護士会内部の討論の現状にふれる。 まず、人権機構の事務局が法務省の役人の横滑りで事務局が構成される可能性が大きいこと他への強い失望は否定できなかった。 中間とりまとめは、法務省人権擁護局の改組を視野に入れ(23頁)法務局、地方法務局の人権擁護部門の改組(24頁)を明言している。また審議会では人権機関が独立行政委員会になった場合の所轄官庁は法務省になることは当然の前提になっているとも聞く。 この点について要綱試案作成と宣言案提案の中心になった日弁連シンポ実行委員会事務局長の武村二三夫弁護士は「人権機関は法務省からの独立性が明確でない、内閣府におかれるべきで、独立性が確保されないなら作らない方がよい」とまで極言している。(朝日新聞一月一五日付朝刊掲載予定の筆者との対論にて) その他、日弁連人権擁護委員の中からも色濃い落胆の声が聞こえる。 公権力への言及が弱いことも失望の原因となった。 中間とりまとめは公権力による人権侵害を民間における差別虐待と同等のものに位置づけながら、付審判請求を含む刑事訴訟手続きのほか、(内部的監査、監察や苦情処理などの)他の手続きとの関係にも留意しつつ、積極的救済を図るべきとしている。(中間とりまとめ16頁) 現行の苦情処理手続きがいかに実効的なものでないかは、人権救済にあたってきた弁護士なら体験で思い知らされて来ている。 この中間とりまとめの表現は、公権力の人権侵害について新しい人権機関がさして意味のある存在にならないことを示唆するのに十分であった。 この中間とりまとめの実情を前提にした上で、2001年1月19日理事会で審議される日弁連のパブリックコメントがどのようなものになるか、本稿執筆の段階では判然としない。 しかし、民間への刑事罰を背景とした強制調査の弊害についの認識は広がって来ている。また中間とりまとめで検討事項とされる、メデイアへの強制調査はするべきでないし、メデイアの問題についての第一次的な審査を人権機関が行うべきでないとの意見が大勢であることも確かである。 メデイアを管轄から外すべきとすることについては最後まで日弁連によるパブリックコメントの行方がどうなるか予断を許さない。日弁連人権擁護委員会の中では、賛否伯仲しているといって過言でない。 五、公権力の人権侵害とメデイア問題 公権力の人権侵害とメデイア問題は問題の両極にある。前者については弁護士の誰もが人権機構の管轄に含むことを争わない。 後者は激しい対立を呼んだ。 そこで本項では弁護士会が大きな期待をもった公権力による人権侵害とは具体的にどんな場合か、人権機構はどのように働くことを期待されるか、について述べる。 一方メデイアについては議論の分岐がおこる源は何か、対立を克服しつつ論議の向かうべき方向について示唆を試みたい。 1、公権力の人権侵害の実例と人権機関 イ、難民を申請する入国申請者の拘束 これは筆者が弁護した事例である。 1997年3月アジアのある国から成田に入国したフセインさん(仮称)は故国で少数派の教団に転宗した。それを理由に多数派のテロリストから殺害の予告を受けた。 偽造パスポートで成田に到着した。難民申請の意向を入国審査係官に伝えた。成田空港ビル地下の上陸防止施設に40日間、その後茨城県牛久市の東日本入国管理センター内の上陸防止施設に移され、12月12日まで8か月拘禁された。 成田の施設は地下にあって窓がないため日光はささない、喫煙が許されているのに換気が悪く、煙草を吸わないフセインさんは卒倒しそうだった。室内の水飲み場は不潔で外に声をかけなければ水分はとれなかった。 運動は一日数分廊下に出してもらえるだけだった。ベッドのシーツは極めて不潔で交換して貰えなかった。 牛久にある東日本入国管理センターの中の上陸防止施設も同様だった。激しい胃の痛みでも医療を受けられず、三日間ハンストをして医師を呼んでもらった。その結果は七か月日光にあたっていないことが原因と診断された。 その後でも一週間に一度一時間の運動時間を与えられただけである。それも室内のサンルームのようなところだった。 この間男性の難民申請は却下され、異議申し出でがなされた。 男性が仮上陸許可をうけて釈放されたとき二〇代なのに髪は白くなり、ストレス性の反応鬱病で強い不眠、自殺念慮にかられていた。 それでも男性が拘束に耐え、釈放までこぎつけ、命を保ったのは、難民高等弁務官事務所(UNHCR)日本・韓国事務所(東京)に連絡をとったからである。同房の外国人に教えられた。UNHCRの法務担当官の敏速な動きで私たち弁護士が受任し、日弁連人権擁護委員会への申立の準備をし、この動きを朝日新聞が察知して九八年五月一九日付け社会面トップの記事になった。今では本上陸許可が認められ、在留資格が認められている。またヴォランテイアの医師の援助も大きかった。 本件ではUNHCRの動き、弁護士の活動、医師の援助、メデイアの報道が一つになって一人の命が救われた。 人権機関が公権力の人権侵害を主な管轄にすれば、このような事例ではUNHCRへの通報が行われた時点で、難民申請者を拘束してはならないとのUNHCR執行委員会の決議や、被拘禁者の処遇に関する最低基準規則などにもとづき、フセインさんは刑務所、代用監獄以下の非人間的な環境での拘束、強い不眠や自殺念慮に苦しまなくてすんだはずである。 同じ法務省の官僚にはとても期待できない救済措置を、国から独立した人権機関に期待したい。 ロ、医療刑務所内部の公務員による暴行、その後の医療不足による死亡の事例 1992年8月28日北九州市の城野医療刑務所で受刑者Sが、職員から暴行を受けて死亡した。 刑務所内部の診察室で医師から糖尿病の食餌療法の指示をうけたSが不満な表情と言動を示したことに立腹したY看護長とA看守長が、次のような暴行を加えた。 Y看護長は革靴のつま先でSの腹、胸付近を四、五回くらい蹴りつけた。Sは身体を左右にひねったり、足をばたつかせたりして、「痛い、痛い」「ぎゃー」などと悲鳴をあげた。 Yはさらにつま先で左腹付近を二回けり、さらに位置をかえ、かかとで下腹部を力まかせに蹴った。その際ボクっという音がした。 その後Yはさらに三回くらいけった。 その後Y看護長とA看守長はSを診察室につれてゆき、Sは医師に土下座して糖尿病の治療をお願いしますと言った。 その日の夜、S受刑者は39度の発熱をし腹部を波うたせ、肩で息をするなどして苦しがったが翌日午前9時10分まで医師への連絡はとられず、S受刑者は午前九時頃死亡したと推定された。 Yは、暴行罪で20万円の罰金、懲戒免職とされたが、一部始終をみていてまったく制止もしなかったAについては処分はなく、刑務所当局も事件も病死として検察庁に報告した。司法解剖も行われていない。 (日弁連拘禁二法対策本部刊「刑事施設等における人権救済事例集112頁以下城野刑務所あて福岡県弁護士会の警告書等から) このような深刻な事件のときこそ事実を厳密に調査し事件の経過、発生原因、再発防止策を深く掘り下げるべきである。しかし弁護士会の調査に対して、城野刑務所は面談を拒否した。 この他、前掲事例集には、刑務所、警察留置場などで頻発する信書接見の妨害、暴行、拷問、不適切医療、革手錠、不当懲罰、等の人権侵害事例が104事例にもわたって掲載されている。 公権力に対して、現場への立ち入り、関係者の呼び出し、文書提出命令等適切な調査権限をもつ人権機関が動きだせば刑務所、代用監獄等で繰り返される人権侵害の防止にとって画期的な役割を果たせるはずである。 人権機関への元来の期待はこの分野に焦点がおかれることについては衆目の一致するところであろう。 2、メデイアの問題と人権機関 要綱試案は、メデイアを含む民間の団体個人に罰金三万円の刑事罰を背景とする強制調査権を人権機関に与えるとした。 中間とりまとめもメデイアへの強制調査権を検討事項としており、法務省審議会の結論は予断を許さない。たしかに日弁連の公式見解である人権大会の宣言では、メディアを含む民間への調査権限の程度や自主機関の先議尊重が検討課題とされて結論は示されていない。また中間とりまとめへのパブリックコメント作成をめぐる日弁連内部の議論では、メデイアへの強制調査説は人権大会シンポ以降その調子が弱くなった。 しかし、要綱試案は撤回されていないし、中間とりまとめのような、法務省の官僚横滑りの構想を前にしても、日弁連内部にはメデイア除外に反対する意見が有力に存在する。 なぜそうなるのか。意見の分岐はなぜおこるのか。この項ではその点を検討する。 (1)人権侵害は深刻なのにメデイアから有効な方策が示されていない。 筆者は、報道による名誉、プライバシー侵害などの人権侵害についてその回復をもとめて、交渉、仮処分、裁判にあたって来た。 その体験にてらしてこの国では報道による被害にあったときに救済の道がまことに狭すぎると思う。 損害賠償額について相談されて答えるのは40万円から百万円位の見通しである。 最近訴訟上の和解の席上で300万円という金額を裁判所から示されるようになったこともあるが大勢はまだそんなに動いていない。 報道被害者が裁判にもとめるのは、社会的評価の回復である。ただ実際にかかる記録の謄写代、コピー代、等の実費しかでず、弁護士の日当さえ満足に回収できないという制度はまことに不合理、不平等きわまると考える。裁判がそうであればメデイアが市民とともにあろうとする以上、十分に機能する自主救済組織を設立充実させるのはあたりまえの責任となろう。 しかし放送にはBRO(放送と権利に関する機構)があるが、新聞、雑誌には報道評議会がないし、設立の動きも見えない。 筆者は、人権と報道をテーマにした一九九九年前橋で開かれた人権大会の実行委員として新聞の関係者数人とインタビュウ、座談の機会を得た。 その際に感じたのは、新聞関係者の報道被害の深刻さの認識、権力規制の危険についての認識の弱さである。 「人権侵害は週刊誌、テレビのワイドショウのこと、全メデイアを一緒にされても困る」とする人が少なからずいた。 しかし松本サリンの過ち、和歌山カレー事件の私人宅包囲、東京電力女性社員殺害事件での報道(一部新聞ではあるが)桶川ストーカー殺人事件の被害者の家周辺への密集、など社会の指弾をあびている取材、報道には新聞も少なからずかかわっている。 このような認識は時代遅れにすぎる。そしてそのような状況認識とそれにもとづく対応の遅れが、少なからぬ弁護士の反感と批判を呼んでいるのである。 新聞こそは、各社毎の苦情受付システムに第三者を参加させてオンブズマンのような体制にすること、報道評議会の動きもつくりだして行くことがもとめられているのである。 雑誌業界もメデイアとしての多様性をのりこえて、業界として自主的救済機関を作りだすことが必要なのは言うまでもない。 (2)それにしても、ではなぜ、弁護士会の中では自主救済機関を作れとメデイアにせまるよりも、人権機関のような公的機関による規制という構想が有力に存在するのか。 それにどう反論すべきか。 着目すべき点はいくつかある。 第一には、深刻な報道被害の事例は目につきやすいのに、報道機関が市民の味方として活動し、知る権利に貢献した事例がめだたないことである。 そこで全体としてメデイアは市民の味方として目にうつらなくなる。 しかし政治家、高級公務員の悪事暴露で言えば、最近の中川官房長官が辞職にまで追い込まれた週刊誌の報道があった。フォーカスからテレビ局にもちこまれた録音テープには警察捜査の動きにまで言及した政治家と女性との会話があった。 リクルート事件では地道な調査報道により、政治家、大会社の幹部が濡れ手に粟の金もうけをしたこと、株の売買が賄賂に使われたことなどが暴露された。(この取材、報道については元朝日新聞社会部記者山本博著「朝日新聞の調査報道」(小学館文庫)に詳しい。) また桶川ストーカー事件の警察捜査のひどさを自らの取材でつきくずしたフォーカスの清水透記者の活躍はめざましい。 本来なら防げた筈の殺人事件から女性を救えなかったばかりか、自分たちの捜査のまずさを隠蔽しようとした警察をして謝罪にまで追い込んだこの記者の活躍は今メデイア問題を論ずるにあたってもっと注目されてしかるべきと思う。 オウム真理教の犯罪行為についてまだ社会の注目が弱かった1990年代前半に、命懸けで独自の取材と報道を続けたジャーナリストの江川紹子氏の活躍も想起されてよい。 このようにジャーナリズムの努力は脈々と続けられているのである。 中間とりまとめにでているような法務省の官僚が横滑りした人権機関に調査権限を与えれば、報道被害の救済との口実で市民にとって有益なジャーナリズムの活動に権限を持って規制の手がのびるのである。 ジャーナリズムとして規制論へのもっとも有力な反論は、発表ジャーナリズムの限界をこえ市民の側にたった調査報道の実現にむけて奮闘することであろう。 第二にこうした実際的努力とともに理論活動として、市民の人権としての表現の自由、報道の自由という原理がもっと深められるべきだと考える。 筆者はアメリカ、スウェーデン、イギリス、韓国などの報道機関や関係団体を訪問し、ヒアリングしてきた。 その際感じたのは、それぞれの国歴史の体験の上にたってジャーナリズムの中に報道の自由が市民的な原理として語られていることである。 日本では報道の自由という言葉がまだ権力と市民との闘いの原理として定着していない。報道機関が市民を含む外部からの批判に対抗する用語というひびきが強い。 弁護士会の中でも報道の自由、表現の自由が大切だというと「君は報道機関の味方か」と面とむかって言われたり、「報道被害者の側につくのか、報道機関の側につくのかはっきりさせろ」と詰め寄られることが少なくない。私のような論者を「報道機関の代理人」と呼ぶ人もいる。 しかし筆者は報道機関のために表現の自由や報道の自由を主張したことは一度もない。 市民が真実に到達することを権力によって妨げられるのが許せないのである。 筆者は真に市民に真実を知らせるために献身するジャーナリストなら、報道被害の防止、救済にも熱心であるはずと信じている。そのような質の向上を通じてこそ、この問題は真の解決に至ると考える。 筆者は、自身の難民問題、在日外国人問題、戦後補償、冤罪、警察官の暴力などしのぎをけずる権力との闘いを通じて、少なからぬ現場のジャーナリストと助け合い、人権侵害の被害者の救済に若干の成果を挙げてきた。メデイアとの闘いでも同様である。 その体験をもってすれば、メデイアに対する権力介入の権限と口実を与える人権機関構想を弁護士会が提案することなど度し難いのである。 前述のような筆者らへの評価は、この国の表現の自由、報道の自由が、真に基本的人権として思想にまで深まっていない不幸な現状の反映というしかない。 (注) 中間とりまとめへの日弁連パブリックコメントでは、法務省官僚が事務局に横滑りする可能性の強い人権機関構想への危惧に言及することになる公算が大である。 ところで法務省審議会の組織構想が中間とりまとめの線でまとまった場合でも、日弁連編集にかかる「二一世紀の弁護士論」(2000年有斐閣)所収の次の提言はなお維持されるのかどうか、筆者としては憂慮の念を持ちつつ関心を寄せている。 1、弁護士会の人権擁護委員会に法的な調査権限を与え、国、自治体からの財政拠出を求める。 2、日弁連は人権機関の要請に応じて要員を派遣する。 3、弁護士会の人権擁護委員会と人権機関は前者が大学病院のような、後者が相対的に簡易迅速な解決な必要な事案を扱う市民病院的な役割を担い、情報と要員の交流をはかる。 (前掲書261頁以下人権擁護のたたかい――21世紀の進路人権擁護活動と人権救済機関と題する藤原、村上、岡部個人論文の二七四頁以下の要旨抜粋、正確には是非原文を参照されたい。) なお、この件に関しては 人権機構 (奥平康弘氏、紙谷雅子氏、田島泰彦氏、阿部浩己氏等執筆)をご覧ださい |