言論の自由の根底を問う NHK番組改変、人権擁護法案、 1.のしかかる不自由
梓澤 対立して主張されている事実を除いて、これは両方が認めているという不動の事実に基づい て、何が明らかになるかというところが大事だと思うんですね。朝日新聞、NHK、政治家の言い分 の違いの部分を全部取り去ったとして、何が争えない事実として浮かび上がるのか。 第一に言えることは、放送よりも前に、霞ヶ関に番組の内容がすでに漏れていたことです。それ が自民党の政治家の間で議論になっていた。そのことを安倍氏は番組の内容は放送の前から、ひど いものだと考えていた、とテレビ番組で語っています。その前提でもって、安倍晋三氏と中川昭一 氏が政治的な行動を行った。事実彼らは、従軍慰安婦をめぐる記述が教科書の中から除かれること を切に願っていたわけです。その願いは、当時安倍氏が事務局長、中川氏が代表を務めていた「日 本の前途と歴史を考える若手議員の会」のホームページに表現されています。 第二に、NHKと接触をしたのが事前か事後かといったことよりも、報道機関であるNHKと政治家 の間で、番組をめぐる会話のやりとりがあったことが問題です。それに安倍氏の場合は、事前に接 触したと言っているわけですね。 そのときに安倍氏は 「公平にお願いします」 と言った。それは一秒もかからない短い言葉ですが、 ふつうの人の想像力でもってその会話の状態を思い浮かべると、議員会館にNHKの幹部が行って、 政治家から 「公平にお願いします」 という言葉がある前後の会話の内容はいったい何なのか。合理 的に推測することができます。 それは、真実を公平に伝えるという報道機関と政治家の関係のあり方において、自分でものを考 えようとする市民が受け入れることができる状態なのか。この会話の後に、一夜にして四分間の番 組削除がなされたというのは、やはり受け入れがたいですね。 以上の大事な論点をさしおいて、その後のNHKと朝日新聞の応酬では、記者の取材のあり方論と いうようなところに争点が移動させられてしまっている。記者の取材のあり方が問題だったから報 道全体が問題だという方向に、問題が逸れているように思います。実頃NHKの朝日新聞に対する公 開質問状の中でも、録音を録っているんじゃないか、隠し録音をやっていてもいいのかと書いてい るわけですね。 しかし、関係者がお互いに認め合っている事実を突き合わせても、政治家の間に事前に番組に関 する情報が流れていたこと。そして、それについて教科書から従軍慰安婦の記述をなくしたいと言っ ている政治家が異論をもって、その後にNHKの幹部と政治家との間で番組をめぐる会話があったこ とは動きません。 報道機関にとっては事実の確定が優先するわけですね。ところが、それよりも前に取材方法の方 が争点にされてしまっている。やがてそれは朝日新聞、NHKだけでなく、他の会社の新聞記者をも 縛り上げていくようになってしまいます。それはやはりおかしいんじゃないか。 服部 おかしな状況だなと思うのは、社会全体が朝日対NHKのような位置づけをしていることです。 なおかつライブドア問題が起きると、NHKの問題はどこに行ったのかという状態になる。 NHKは制作費の不正利用問題をきっかけとして 「NHK倫理・行動憲章」 を制定しました。それ は、 「公共の福祉と民主主義の発展のために視聴者・国民に奉仕します」 「受信料の重みを深く認 識して業務運営にあたります」 「地球環境に配慮した事業運営を行います」 といった、言ってみれ ばすごく当たり前のことです。 しかし問題は、強制的に、職員全員がこの憲章に署名をさせられたということです。それに、朝 日新聞が提起した問題、政治家とのずぶずぶの関係をただすことも、この憲章には当然ながら書い ていない。ですが、政治家との接触には細心の注意を払うべきだし、取材目的以外で、いたずらに 会うべきではないといったことをここに記す必要があると私は思います。 さらに、不正利用問題をきっかけとしてコンプライアンス委員会ができ、長井暁チーフプロデュー サーの訴えに対しても、予算説明や事業計画を説明する際に付随して、政治家に番組の事前説明を したのは通常業務であると、NHKは文書に残しているわけです。 この文書はどんなかたちであっても撤回しないとだめだと思うんです。そうしなければ、NHKは 再び信頼を回復するなんていう道にも立てないと思います。それに、個別の番組で政治家に 「公正 に」 などと言われる筋合いはない。 ジャーナリズム倫理や行動憲章を作ったNHKにおいても、事前説明は通常業務だと平気で言える 時代になってきた。なおかつ、朝日新聞とのやりとりの中で、録音をしたのかしないのかと、同じ 報道機関であるNHKが追及する。しかし、そういうことを質すこと自体がおかしい。 取材の中でメモを取材対象者から取るなと言われた場合でも、公共性の高い問題について隠し録 りをするのはありうることではないか。もちろん、それはルール違反で倫理に反することかもしれ ないけれども、しかしジャーナリストの行為としては当然、公益性のある問題での取材には必要不 可欠のことと思われます。それに松尾氏に対してはプライバシーを訊いているわけではない。 私は、そのテープを公開してもいい時期になってきたのではないかと思います。取材テープやメ モを公開できないというのは、本来は取材源の秘匿であって、非公開は松尾氏や安倍氏などを守る ことになる。当の本人が「会った」とか「話した」と言っているわけだから、もはや取材源の秘匿 は全然ない。そうすると取材方法においても、公益性の観点から、テープの公開はいくらでも説明 がつくと思うんですね。 しかし一方で、どうもうやむやに終わっていこうとしている朝日側の報道姿勢にも問題がある。 もっとその点を明確にしていかないと、やはり日本の民主主義のために、あるいはNHKという存在 がどのようになっていくかということのためにも、ちゃんと追及していくべき問題だと思います。 梓澤 録音テープの問題については、安倍氏と中川氏、NHKの松尾氏の三人がそれぞれ、秘匿すべ き取材源ではありません。取材対象者であり、追及の相手なわけです。追及の相手に対して、極め て公共性の高い事実を事実として残すということは、私は崇高なジャーナリストの任務だと思うん ですね。その内容との関係で、録音したことが倫理違反なのかどうかが問われるべきであって、朝 日新聞はあるともないとも言っていないけれども、私は状況から推認するとテープは録っていると 思います。 ところが、もし朝日が録音テープを録っていると自白すれば、それを叩いてやろうという、そう すれば世論は一気に自分の側に有利にくつがえせるという意図がNHKにはありありと見えます。そ こはおかしいと思います。 服部 自分たちの独立や倫理という問題とは全く別にして、今回の問題は枝葉末節の部分でぐちぐ ち言っているだけです。 この問題がきちっと解決されないままだと、NHKという存在があいまいなままで、ジャーナリズ ムの基盤が揺らいだままになる。そのことを、我々がどう見るのか。つまり、NHKが経営的に追い 詰められた場合、何が起きるかというと国営化または民営化の問題です。民営化になったときには、 各民放だって相当な影響を受けるわけですね。特にデジタル化でお金もかかっている時代、さらに 今のように株の買収を防ぐために、上場している会社はいろんな防衛策をとらなければいけない。 ですからNHKの問題というのは、決して民放界に影響がないわけではないですね。 梓澤 受信料不払い著が急増するNHK問題の脱出口として、自民党が受信料拒否者に対する罰金導 入という策をけっこう考えているのではないかと思うのです。どうも今回の政治家の介入というの も氷山の一角に過ぎないのであって、もっと日常化しているのではないか。特に、政治部の記者と 政治家の関係は要注意だと思うんですね。 そうすると、そうではない公共放送論というものをどう打ち出すか。市民にとって有効な公共放 送とは何かを考えるべきです。民間放送とは違うドキュメンタリーなどを守りながら、BBCのよう なあり方を参考に模索して、市民側から打ち出していく必要があると思います。 服部 BBCが去年のギリガン・レポートをめぐって、会長と経営委員長が交代しましたけれども、 後を受けて経営委員長になったグレイド氏が 「公共的価値の創出 (Building Public Value)」 とい う将来ビジョンの報告書を出しました。 そこには、BBCは特権があった、お金が入ってくる、しかしこのデジタル時代にその特権が正当 化できるのかと書かれています。財源が保障されていることには責任を伴う、それはコマーシャル やスポンサーとの関係といった商業的な圧力からの自由を意味するといっているんです。効率的、 効果的な運営をしているのかどうか。そして、受信許可料を得るだけの価値ある放送をしているの か。だから、価値があることを検討して自問しなければいけない。公共的価値のパブリック・バ リュー・テストを不断にやっていかなければいけにというんですね。 その報告書には五項目のテストが掲げられていて、一つは民主的・市民的価値を果たしているか。 信頼される公正なニュースで、民主主義社会に貢献して市民のことを支援しているのか検証する。 二つ目には文化的・創造的価値を普遍的に伝えているか。三つ目に共同体的価値、地域コミュニティ が根付くように地域社会を擁護しているか。四つ目に地球的価値で、イギリスを世界に発信し、世 界の出来事をイギリスに届けているのか。そして五つ目が教育的価値です。 この五つの価値を見たときに、一つ目の民主的・市民的価値の指標として考えると、たとえば NHKのメインニュース 「ニュース7」 を見た場合、今回のNHK問題で朝日の報道を受けて、朝日の 「虚偽報道」 と流したでしょう。このニュースを見ている人は多いのですが、その人たちはNHKが正 しいと思ってしまう。先ほど梓澤さんが言われた、政治家の介入はもっとすごいのではないかとい うことが、このニュースの構成だけを見てもわかる。つまり、ニュースの取捨選択にもそうした意 識が働いていて、民主的・市民的価値の指標からすると、とんでもないことになる。 伝える/伝えないという問題がそういうかたちで出てきたときに、少数の声や反論・異論をどこ まで伝えていくのかということが、ジャーナリズムの大原則だと思うのです。さらに加えて、ニュー ス報道に伴う取材が自立的に、独立して、自らを律する力で行われているのかが問題です。 ところが、それが自主規制、自己規制という言葉で丸められると大変だと思っています。まさに 今回の問題である番組改変を自主的にやったのだ、NHK内部で試写をやったという表現が、いわゆ る自主規制という言葉で、法や制度を乗り越えてさらに言論を縛っていく。ものすごく都合のいい ように使われていくのです。 有事法制などの問題でも、自主的、主体的な判断を報道機関には認める、といわれている。けれど もまったくそうではなくて、「指定公共機関」に指定された放送事業者はそれに対応した枠組みを 作れと指示されている。NHKは自らその中に入り込んで、自らを律する力を失って、内部的な自由 を完全に抑圧していると思うんです。 梓澤 阪口徳雄弁護士を中心に、関西に公益通報支援センターという内部告発を促す組織がありま す。このセンターが、NHKおよびメディアの内部抑圧を受けている人の告発を受けたいから、東京 でも受け皿を作ってはしいと言ってきています。長井さんのような人が出てきたときに、それを受 け止められる社会的な受け皿を、やはり外部の我々は作っていく責任がある。 服部 やはりNHK内部だけはなく、研究者や日弁連が集まって独立調査機関を作り、権限はないけ れども、NHKや朝日新聞を調査していく必要があります。そうしないと、言論の自由は風前の灯に なっていってしまう。私は、国家に頼らずに我々が自主的に作って、そして自主的な存在として社 会に認知させていくしかないのかと思う。 梓澤 いまの公益通報者支援センターに、ジャーナリズムの人たちも入って人員を構成することも 重要ですね。 服部 この四月一日から公益通報者保護制度が施行されますが、内部ではだめだから、外に出して 通報する。そうすると、一ヶ月間で答えを出さなければいけませんから、すごく迅速になっていく。 内部告発する人がさらに出てくるかもしれませんが、日本的な曖昧さのなかで、不利益な処遇を受 けないかという危惧はあります。ただ、ずいぶんと変わっていくのではないかと期待しています。 |