トピックス   梓澤和幸

〈目次〉
第5回 人権のつどい 講演会 2005年12月
「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例」 について 2005年10月12日
「沖縄密約訴訟を考える会」への参加のお願い 2005年9月12日
「メディアの危機、憲法の危機」 100人を超える参加 (2005年7月28日)
近代という知恵 (2005年7月27日) 「憲法の危機、表現の危機」 に関して
官の優位 法の趣旨逸脱 (2005年6月21日)
日本テレビ視聴率操作問題を論ず (2003年12月24日)
裁判員制度実現にむけて (2003年12月3日)
日本テレビ視聴率問題 (2003年10月29日)
共謀罪の法案提出について (2003年7月9日)
情報産業の中小企業と法律問題を考える (2003年5月24日)
名古屋刑務所事件について (2003年2月26日)
知っておきたい法律知識と最近法律事情 (2002年7月19日)


名古屋刑務所事件について (2003年2月26日)

  名古屋刑務所事件が注目を呼んでいる。
  社会の受け取り方はどうか。新聞記事は毎日のように出る。今日も法務省の調査体制の強化という記事が出た。どこかに 「でも何か間違いをおこして入った人たちのことでしょう。」 という受け取りかたがあるかもしれない。」
その人々には次の事件の経過を確認してほしい。

第1事件
  2001年12月14日 午後2時20分から午後3時半までの間、保護房の受刑者A (年齢43) を全裸にし、うつぶせにさせた。その上で、肛門部にむけて消防用ホースを使って高圧の水を多量に噴射した。直腸や肛門に裂傷をおわせ、翌15日未明、細菌性ショックで死亡させた。(読売新聞2003年2月13日中部版朝刊)

第2事件
  2002年5月27日 同日入所し、刑務官に抵抗したとして革手錠で拘束、保護房に収容されていた男性受刑者B (当時49歳) が急性心不全で死亡した。逮捕された刑務官らは、この受刑者の胸囲が80センチであるところ、約60センチになるまで何度もしめあげていたという。(2002年11月28日毎日新聞中部版夕刊)

第3事件
  2002年9月25日 「些細な理由で懲罰を受けた」 として名古屋弁護士会に同年四月人権救済を申し立てていた男性受刑者C (30歳) が、27日に予定されていた弁護士会との面会について刑務官と話し合った際、革手錠で拘束されて暴行され、重傷を負う。

第4事件
  2001年10月  2000年10月に法務大臣あて情願をしていた男性受刑者D (37歳) が、作業中に 「脇見をした」 として革手錠で拘束、保護房に収容された際、内出血や擦り傷を負った。(2002年11月15日 毎日中部地方版朝刊) この情願は2002年末に不受理となったという。 (前同毎日)

  2002年2月  男性受刑者Dが、看守との口論などを理由に革手錠で拘束されて計10日間保護房で収容された際、腹部内出血などの怪我を負う。

  監獄人権センターに海渡雄一弁護士という人が事務局長をやっている。その人が出した声明がホームページにのっているが、本当に犠牲者への気持ちがこもっているので胸をうたれた。
  「第四事件がおこったとき、その声が私たちのところに届いていれば次の三事件を防げたのに残念でならない」 と。

  5年ほど前にアルカトラズ監獄のことを描写した 「告発」 と言う映画のことを思い出した。
  ういういしい新人弁護士が、囚人とあう。
  囚人が尋ねた。「君はいくつだ」
  弁護士が答えた。すると囚人が答える。
  「俺とおなじか。」
  弁護士はすまなそうな顔をした。

  きっと、監獄人権センターに集う若い弁護士と刑務所の体験者の間に深い深い人間的絆が生まれていると僕は思う。