トピックス   梓澤和幸

〈目次〉
第5回 人権のつどい 講演会 2005年12月
「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例」 について 2005年10月12日
「沖縄密約訴訟を考える会」への参加のお願い 2005年9月12日
「メディアの危機、憲法の危機」 100人を超える参加 (2005年7月28日)
近代という知恵 (2005年7月27日) 「憲法の危機、表現の危機」 に関して
官の優位 法の趣旨逸脱 (2005年6月21日)
日本テレビ視聴率操作問題を論ず (2003年12月24日)
裁判員制度実現にむけて (2003年12月3日)
日本テレビ視聴率問題 (2003年10月29日)
共謀罪の法案提出について (2003年7月9日)
情報産業の中小企業と法律問題を考える (2003年5月24日)
名古屋刑務所事件について (2003年2月26日)
知っておきたい法律知識と最近法律事情 (2002年7月19日)


日本テレビ視聴率問題 (2003年10月29日)

  日本テレビのプロデューサーが視聴率モニターに不正に働きかけた。全国紙は一面トップ、テレビ朝日のニュースステーション、TBSのニュース23、NHKニュースが一斉にとりあげた。日テレ社長のコメントは、視聴率を追うことは、多くの人に見てもらうためによいことだし、それを奨励はしてきたがかかる逸脱はよくなかったというものであった。
  一方、各紙各局の批判は、日テレは視聴率を追い過ぎていた、それはよくない、というところにつきていた。しかし、何か足りない気がする。

  第一、日テレ社長は、ビデオリサーチ社員の尾行、モニター家庭へのギフトは個人の金で支払われており、組織的背景はない、と断言した。前日の夜自白し、昼過ぎの会見である。
  断言は早すぎはしないか。

  第二、過度の視聴率競争批判はするが、何が失われたかの検証が不十分だ。放送は、営利企業である。広告収入で成り立つ。視聴率を上げ、商品を高価値なものにする。そのどこがいけない?数字批判からは何もうまれない。
  そうではなく、営利優先が何を犠牲にしているか。それを批判者も自己批判者もほりさげるべきだ。犠牲にされたもの、それは、批判精神である。たとえば、農業、冤罪、犯罪被害者、医療、貧困、過疎、いじめ、不登校、在日朝鮮人、ハンセン、南北問題、イラク戦争、1000万人の反戦デモは、夜7時からのプライムでがっしりとりあげた局があるだろうか。これらは、午前2時である。あるいは午前8時である。こうした番組にとりくんでいる人、テレビだけではない新聞でもそうだ。こうしたマイノリティーの中に入って、泥日の中をはいずりまわっている記者に、どの新聞社が光をあてているだろうか。逸脱を切り捨てるのではメインストリームは変わらない。基本的には、視聴率競争主義、思想を深いところで支えている各紙、各局の官僚体制がブレークしなければ、日テレ問題は、他山の石とならないのである。

  第三は、批判する側の主体形成である。新聞各紙の社説はせいぜい床屋談義のレベルである。あたがい議論するときも気をつけよう。ありゃあいけねぇ、しょうがねぇではだめである。私たちの人権、市民の基本的人権である表現の自由がおとしめられているのである。ならば、市民はもっと静かに持続的に憤らねばならない。サステイナブルアンガーだ。主体を形成せよ。各紙各局へ手紙を書こう。いったい、戦争をするな、という死者たちのさけびをあなたがたは、いつまで等閑視してさんまと、あまり品のよからぬ女性たちの駄話に公共の財産を消費するのであるかと。そして、午前2時によいドキュメンタリーを見たら励ましの手紙を。

  受験生諸君、これは断じて、法的問題である。憲法問題である。人間の尊厳の問題である。