〈目次〉 第5回 人権のつどい 講演会 2005年12月 「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例」 について 2005年10月12日 「沖縄密約訴訟を考える会」への参加のお願い 2005年9月12日 「メディアの危機、憲法の危機」 100人を超える参加 (2005年7月28日) 近代という知恵 (2005年7月27日) 「憲法の危機、表現の危機」 に関して 官の優位 法の趣旨逸脱 (2005年6月21日) 日本テレビ視聴率操作問題を論ず (2003年12月24日) 裁判員制度実現にむけて (2003年12月3日) 日本テレビ視聴率問題 (2003年10月29日) 共謀罪の法案提出について (2003年7月9日) 情報産業の中小企業と法律問題を考える (2003年5月24日) 名古屋刑務所事件について (2003年2月26日) 知っておきたい法律知識と最近法律事情 (2002年7月19日) 裁判員制度実現にむけて (2003年12月3日) 裁判員制度実現にむけて、捜査、起訴前報道はどう変わるべきか 討議のたたき台のために 2003年12月2日 梓澤 裁判員との接触禁止制度や、偏見報道の禁止など制度の設計にともなう法律上の規制がいかなるものになるにせよ、裁判員制度実現ののち、公正な刑事裁判を実現するために、マスメデイアは次の点で大胆な改善を迫られていると考える。 ここでは、とくに捜査、起訴前報道のありかたに焦点をあてて問題提起をしたい。 1、無罪推定原則の重視を 国際人権規約(自由権規約)14条2項は、次のように規定している。 「刑事上の罪にとわれているすべての者は、法律にもとづいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する。」 この規定について、これを刑事手続き上の規定と解し、報道には無関係とする見解を聞くことがあるが、同旨の規定 (ヨーロッパ人権条約6条2項) についてのヨーロッパ人権裁判所の判例で報道の事例に言及したものがあり、報道の場面でもこの規定は尊重されるべきだと考える。 民間放送連盟報道番組指針が無罪推定の尊重をうたっていることは注目すべきことと考える。 2、公人についての知る権利の保障は当然である。 無罪推定原則の強調は、リクルート事件のような隠された疑獄事件の発掘(調査報道)の障害になってはならない。 無罪推定を受ける権利と、市民の知る権利の実現は両立させられなければならない。 無罪推定の権利と表現の自由(知る権利)という人権は、これを全体として、均衡よく考察することで調整が可能である。 調査報道とは捜査機関がいまだとりあげず、または捜査を中止したような問題について、報道機関の独自の調査によって問題を世に問うものであるが、一般私人の犯罪を発掘するというだけでは無罪推定の権利を超克するほどの公共的価値があるとはいえない。 政治家、高級官僚、など権力の座にあるものの不正義を暴露するという公共的価値があるときにこそ無罪推定の権利をこえる価値があるとみて報道機関は独自の取材に取り掛かるべきだということになる。ではいかなる事例がこのような場合にあたるのかであるが、これこそ報道機関の自主性と市民の批判との鍛えあいによって、事例ごとに積み重ねられてゆくべきであろう。 3、捜査報道改革への具体的提言 @前提事実 法律家の間では、市民裁判官(裁判員)制度の実現に伴い、 イ、証拠開示 ロ、捜査の可視化 が実現しなければ、無罪をあらそう被告人、弁護側にとって、かえってきびしい条件をしいられることになるのではないかとの危惧感もないわけではない。 裁判員の存在のため短期集中審理が行われるからである。 日弁連はいま可視化ワーキンググループ、IBA捜査可視化調査ワーキンググループを設けその実現のために、または一歩前進のために全力を集中している。 これは、現在の刑事事件の審理が警察、検察の作成する調書中心の裁判である結果、誤判、長期裁判をもたらしていると見るからである。 捜査を客観的に検証可能な条件におくことで、ほとんどすべての誤判が防げたとする見解もある。 イギリス、オーストラリアでは取り調べが録音かビデオに記録されなければ自白調書に証拠能力がなく、ドイツ、アメリカでは弁護士立会いでなければ自白調書に証拠能力はない。 いずれの国でも、被疑者が黙秘権を行使すると表明すると取り調べは直ちに打ち切られる。 日本では、拘束被疑者については、取調べ室滞留義務、取調べ受忍義務が捜査実務の前提とされ、黙秘権を行使するといっても説得がつづけられ、長時間の取調べも当然とされ疲労困憊のすえに署名押印がなされる。 A捜査情報依存、自白依存報道の危険性 捜索、逮捕などの強制捜査の着手も警察の仮説の表現にすぎない。 (松本サリン事件の事例参照) 報道機関は、国家権力の私人への発動という事実を重視すると発言するが、実はこれに一定の真実性の反映があるとみているから大規模な報道をするのではないか。 自白報道も同様である。 逮捕後起訴まで自白を中心に犯罪ストーリーが描かれるが、それは真実とは限らない。 自白の存否という点でも自白の任意性という点でも、自白の信用性という点でもいまは客観的検証が不可能である。 B以上を前提として次の提言をしたい。 第一、捜査報道について 〈公人について〉 提言 公人に関する調査報道は従来にもまして積極的に追求すべきところである。 無罪推定の故をもって、公人の不正、犯罪に関する報道機関独自の取材、報道に圧力をかけたり萎縮をもたらすことがあってはならない。 偏見報道禁止の規定について、仮りに訓示規定であってもこれをおくことに反対と批判の声が強いが、この規定が、裁判所や捜査機関などによって、調査報道抑制にならないように留意すべきところである。 朝日新聞の調査報道 (山本博)(小学館文庫) によると、リクルート事件の第一報の際に捜査筋から捜査中止になったのだから、いかがなものかというプレッシャーが強烈にかかったという。偏見報道禁止規定は、かような場合に相当の問題をもたらすと思われる。 〈私人について〉 提言1 強制捜査の第一報がセンセーショナルにならないようにする。 提言2 発表する官憲の氏名、官職を必ず具体的に摘示し、この発表官が 「こういった」 との間接話法にする。 提言3 自白にもとづく犯罪ストーリーの展開を報道しない。 提言4 被告人、弁護側の言い分、を捜査側の発表と同程度に報道する。 提言5 勾留理由開示公判、弁護側の勾留取り消し申したて、執行停止申立、接見制限に関する準抗告、取調べ中の暴行、脅迫に関する弁護側の主張をバランスよく紹介する。 提言6 逮捕された被疑者については私人である限り、実名を公表しない。 スウェーデンでは、氏名の公表に公共性があると明らかに認めることができない限り、氏名をもちいないとの報道倫理綱領があることを参考にできる。 論点として、裁判員の評議の秘密をどう考えるかの問題は残されている。 4、まとめ──報道機関と在野法曹の継続協議を 従前の報道改革と異なり、飛躍的な改善が期待される。 従前の捜査情報依存がつづくとき、その過ちの結果は従前よりも大きなものになりかねない。制度がかわるいま継続的根本的な検討が期待される。こうしたたたき台をもとにきびしい切磋琢磨の討論が求められる。 |