トピックス   梓澤和幸

〈目次〉
第5回 人権のつどい 講演会 2005年12月
「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例」 について 2005年10月12日
「沖縄密約訴訟を考える会」への参加のお願い 2005年9月12日
「メディアの危機、憲法の危機」 100人を超える参加 (2005年7月28日)
近代という知恵 (2005年7月27日) 「憲法の危機、表現の危機」 に関して
官の優位 法の趣旨逸脱 (2005年6月21日)
日本テレビ視聴率操作問題を論ず (2003年12月24日)
裁判員制度実現にむけて (2003年12月3日)
日本テレビ視聴率問題 (2003年10月29日)
共謀罪の法案提出について (2003年7月9日)
情報産業の中小企業と法律問題を考える (2003年5月24日)
名古屋刑務所事件について (2003年2月26日)
知っておきたい法律知識と最近法律事情 (2002年7月19日)



「風」 をめざした人──鈴木規雄(のりお)さん(のりさん)

  ぼくがのりさんとはじめて会ったのは、彼の男盛りのときだった。ひきしまった横顔、鋭く射抜くような視線、 無駄のない言葉をいま思い出す。
  部分ではなく全体、自分のことではなく人のこと、とくに若い人たちのことを気にかけている人だった。

  個人情報保護法をめぐる論議がふっとうしていたころ、大阪朝日の勉強会に呼んで下さったことがあった。 そのうちあわせのため夜11時半に編集局に電話した。

  「こんな遅い時間に編集幹部がいらっしゃるんですか」
  「何言ってるんだ。毎日ですよ。12時前に局をはなれたことはないよ。一字一句川柳にいたるまで全部目を通すんだから。」

  それが彼の憤然とするような答えだった。

  勉強会の帰路にたつとき、はにかんだような表情で一冊の本を下さった。 赤報隊を名乗る集団の凶弾にたおれた小尻記者のお母さんの句集だった。
  小高い山をのぼって小尻記者の墓前にたつ、ご父母と、のりさんの胸中を思って、帰りの新幹線の中で思わず心が激した。

  のりさんは「風」という言葉が好きだったという。
  風の姿は見えない。だが、それは梢の葉をゆらし、ときには大木をも倒す。
  いま、のりさんのお顔は見えない。だが、その心は確実に残されたものの魂を揺り動かしている。

  真のジャーナリズムをめざす若い人たち、人間の自由を何者より大切にする人たち、 ヒューマニズムのためにたおれた人、のりさんをしのぶつどいに、心あらば参集されたし。


「故 鈴木規雄さん(元朝日新聞大阪本社編集局長、同東京本社局次長)のお別れの会」について

  日時 2月10日(金) 午後6時から (1時間半程度)
  場所 有楽町朝日ホール (スクエア)
      千代田区有楽町2-5-1 有楽町マリオン11階

詳しくは、朝日新聞東京本社社会部 (03-5541-8435) にお問い合わせください